賢しさの限りを尽くした安倍談話 ―あらためて考える「歴史問題」番外

著者: 田畑光永 たばたみつなが : ジャーナリスト
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 敗戦70年の安倍談話が発表された。ひと言でいって、いかにもこの人らしい談話である。予想される批判に対して言いぬけ用の布石を配して、どうだ文句はないだろうと胸をはっているのだが、それがかえって本人の心底を浮き彫りにしてしまうという結果に気付いていない。小賢しさの限りを尽くしている点では出色である。
 簡単な例からいけば、村山、小泉両談話で共通に使われた4つのキーワード(マスコミの命名だが)、つまり「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「こころからのお詫び」が入るかどうかという内外の関心には、なるほど「全部入れました」と答えられるようになっている。
 しかし、談話を読めば明らかなように、最初の2つは今後そういうことがあってはならないという文脈での使用である。「侵略しました」、「植民地支配をしました」と言っているわけではない。後の2つは「先の大戦における行い」について「我が国」はその言葉を表明してきたという文章である。敗戦70周年時の首相として反省し、お詫びを言っているわけではない。そして相手は「インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々」である。
 結局、この4つの言葉の使い方で分かるのは、まず安倍首相は日本が「侵略しました」「植民地支配をしました」とは言いたくない。第2に、ほかの国々と並べることで中国、韓国を特別扱いしたくない、はっきり言えば中国、韓国に頭を下げるのではない、ということだ。隠すより現るる、とはこのことだ。
 このくだりの最後に、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」とあるが、村山、小泉両談話は、日本の行った「侵略」、「植民地支配」に「反省」と「お詫び」を表明したのだから、この安倍談話を「こうした歴代内閣の立場」と言うのは明白なすり替えである。村山、小泉両談話は今後、安倍談話に吸収されてしまう恐れがある。
 この4つの言葉については、NHKは昨夜の7時のニュースで「すべて取り入れられたから、中国、韓国からも一定の理解が得られるのではないか」などと馬鹿な解説を加えていた。勿論、現実政治はインチキだろうとなんだろうとお互い打算と都合で動くから、実際はどうなるか分からないが、こんな小賢しさも見抜けないとはNHKも情けない限りだ。
 しかし、安倍談話の本当の問題点は別のところにある。冒頭で、百年以上前の世界には西洋諸国の広大な植民地が広がっており、その波がアジアにも押し寄せてきた危機感が日本の近代化の原動力となった。・・・日露戦争は植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました、という歴史観が述べられている。
 この談話について安倍首相に進言する報告書をまとめた「21世紀構想委員会」の中でこういうことを言いそうな人間の見当はすぐつくが、これは日清戦争から朝鮮併合までの歴史を「近代化のため」という錦の御旗でおおって正当化する歴史観だ。
 介入する理由もない朝鮮の東学の乱にむりやり介入して、清国軍を戦いに引きずりこんで、挙句、当時の日本の国家予算の4年分にもあたろうかという莫大な賠償金と台湾を奪い取った日清戦争も、日露戦争の余勢を駆って朝鮮王朝の抵抗を抑えつけて植民地とした朝鮮併合も、ともに正当な行為であったと、(歴史家が主張するのではなく)日本政府が閣議決定したのである。それも自分が植民地を作りながら、「多くのアジア、アフリカの人々を勇気づけました」などと自画自賛しながら。
 安倍首相は「侵略の定義は定まっていない」などと言って、都合の悪いところは逃げるくせに、19世紀末から20世紀初頭にかけての歴史について、定説どころか、そういう見方もないではないといった程度の俗説を政府の見解として認定してしまったのである。これで右翼陣営が勢いづいて、教科書検定などでこの見方がのさばるようなことになったら、それこそ「歴史問題」はどこまで深刻になるか、空恐ろしい。
 では安倍談話では、日本はなにが悪かったと言っているのか。1930年代の世界恐慌の時代、経済のブロック化が進む中で「日本は孤立感を深め、・・・(行きづまりを)力の行使によって解決しようと、・・・世界の大勢を見失っていきました」というのである。
 この記述は間違いでないにしても、前からの文章の運びでは、悪かったのは30年代からですと言って、朝鮮・台湾支配も、対華21条要求も、なにも問題なしということになる。
それらを正当化するのがこの談話の目的ではないかとさえ思える。
 おそらくそのように歴史を要約しようという発想は、今年の新年にあたっての天皇の次のお言葉から生まれたものではないだろうか。
 「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人が亡くなった戦争でした。・・・この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
 確かに1945年の敗戦に直接つながる満州事変以降の15年戦争の歴史を学ぶことは大切だが、天皇がそれ以前の歴史は間違っていなかったから学ぶ必要はないと考えられてのお言葉とは思えない。しかし、ことさら30年代以降を問題として、それ以前を正しい「近代化」とする今回の安倍談話はこのお言葉を下敷きにしているような印象がぬぐえない。そういう点の頭の働きはなかなかすばしこいと認めざるをえない。
 ともかく安倍流小賢しさの塊と言ってもいいこの談話が内外でどう評価されるかは注目される。
 とりあえず植民地支配を正当化され、また従軍慰安婦という言葉を使わずに、問題を戦争における女性の悲劇一般での言及に止められた韓国は黙っていられないだろうし、日清戦争、対華21カ条要求を正当化された中国も収まらないのではないかと思われるが、さて現実政治がどう進むか。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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