軍人、右派、石油色濃いトランプ政権の安全保障中枢

 トランプ米政権が発足してから1か月余り。政権の安全保障政策の中枢、司令塔となる国家安全保障会議(NSC)の常任メンバーがやっとそろった。プリーパス共和党前全国委員長を国家安全保障会議の首席補佐官、右派メディア「プライバート」の会長だったバノンを大統領首席戦略官、マクマスター陸軍中将(退役)を安全保障担当大統領補佐官、マティス海兵隊大将を国防長官、石油最大手エクソン・モービルの元会長ティラーソンを国務長官。ホワイトハウス大統領補佐官のクシュナーも常任メンバー並みに加わるという。
 従来の政権から常任メンバーだった統合参謀本部議長と国家情報長官は、常任から外された。
 トランプ政権が、対中東をはじめどのような外交・軍事政策と行動を、実行していくのか。中枢スタッフの顔ぶれと発言、政権発足以来さっそく発令したイスラム7か国からの入国拒否の大統領令(裁判所の決定で執行停止)、イランへの経済制裁追加、ネタニヤフ・イスラエル首相との会談での「2国共存解決」の変更などから、その危険な全容が見えてきた。
 NSCのトップ首席補佐官は、かってキッシンジャーが務めて、その権限、役割を思う存分発揮できた重要ポスト。プリーパスは共和党の穏健な政治家で、共和党とのパイプ役をトランプは期待しているという。それ以上の発言力があるのは、トランプと最も親しいバノン。大手メディアに対してきわめて攻撃的で、「プライバート」は、しばしば偽情報をニュースとして流してきた。トランプは、首席戦略官・上級顧問として民間からバノンを登用した。首席戦略官という肩書で、バノンを権威づけしたのだろう。
 国家安全保障会議の首席補佐官は、国家の再重要ポストの一つ。トランプは政権発足とともに、フリン(陸軍中将、元国防情報局長官)を任命したが、ロシア側との接触を先走ったとしてわずか3週間で辞任させられた。トランプ政権の補佐官、閣僚選びは歴代政権とは全く比較にならないほど、難航した。
 最後にやっと決まった、マクマスター補佐官は陸軍中将で退役。湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争を戦い、軍指導者として優秀だとの評価の高い軍人。
 マティス国防長官は海兵隊大将。イラク戦争を第一海兵隊師団長として戦い、中東全域をカバーする中央軍司令官を務めて退役。「マッド・ドック(狂犬)」のあだ名がある軍人。
 ティラーソンはエクソン・モービルの会長を2006年から務めた、石油業界の超大物。サウジアラビアなど大産油国のお近づきだ。
 大統領に最も近い場所にいるホワイトハウスの大統領補佐官クシュナーは36歳。選挙運動中も、当選後も、トランプの親密な側近、秘書役を務め、大統領就任直後からホワイトハウスで外国首脳との電話会談のアレンジをはじめ活動を全開した。
 クシュナーは、トランプの娘でファースト・レディ役を務めるイヴァンカさんの夫。頑強な保守的ユダヤ教徒で、イヴァンカさんもユダヤ教に改宗している。祖母は第二次大戦中、ポーランドでナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の犠牲となった。クシュナーは1998年、イスラエルのネタニヤフ首相が、アウシュビッツに十代の若者を数千人、世界各国から集めた集会に参加。以来、ネタニヤフを崇拝し、何回も会い、しだいに親しい関係を作ってきたという。トランプのイスラム嫌い、親イスラエルは選挙運動中、世界に知れ渡った。トランプ自身、ユダヤ教の宗教家や資産家、事業家と接触が多いが、クシュナーからの影響もあるに違いない。ニューヨーク・タイムズ紙は、クシュナーを紹介する長文の記事の中で「36歳の彼は、いまや大統領に対する、中東問題の首席助言者だ」と書いている。大統領は就任後さっそく、中東と北アフリアのイスラム教徒が多い国7か国の人々の入国を大統領令で拒否したが、憲法違反とする州政府の提訴で敗北し、実施停止となった。これが、トランプの“イスラム嫌い”を示すとともに、政権の中東政策を示す最初の行動だった。
 1月29日、トランプはイスラエル以外の中東諸国の元首では初めて、サウジアラビアのサルマン国王と電話会談、イランを厳しく非難したうえ、武力行使の可能性を示唆したという。2月初め、トランプ政権は、イランが12月以来、散発的に行っている弾道ミサイルの発射実験に対して、米国だけが継続している経済制裁を強化した。新任のマティス国防長官は「イランは最大のテロ支援国だ」と改めて非難した。
 トランプは2月15日、訪米したネタニヤフ・イスラエル首相との会談で、「2国家方式による解決にこだわらない」と、米政府と国際社会が一貫して維持し来た、パレスチナ紛争解決への大前提を掘り崩す発言を表明した。
 イスラエルに大使館を置く各国はすべて、第二の都市テルアビブに大使館を置いている。
 パレスチナ紛争の解決方式については、1947年の国連決議で、パレスチナをアラブ国家、ユダヤ国家に分割し、エルサレムを国際管理に置く分割案を決定。48年、イスラエルは建国宣言直後に始まった第1次戦争で、国連分割案より広い土地とエルサレムの西半分を占領して、首都宣言。さらに67年の第3次戦争でエルサレムの東半分も占領、東西合わせたエルサレムを「永遠の首都」と宣言した。しかし、どの国もそれを認めず、1947年国連決議の2国家による解決方式を、米国を含め堅持してきた。大使館をエルサレムに移転しないのはそのためだ。

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