「イスラム国」(IS)がイラクで政府軍と戦いで勝利を重ね、支配地域を急拡大したことは、米国や英国の軍事専門家たちを驚愕させた。トップから前線部隊までの指揮・統制、イラク軍についての新鮮な現地情報に基づく作戦が的確で敏速だったからだ。捕虜や反抗する部族民への残虐な斬首処刑のネット動画を公開し、政府軍兵士たちと一般市民に恐怖を植え付けた。目標のイラク軍基地や部隊、強力な部族勢力を攻撃する際には、車列を連ねて急襲、大量の火力を集中する「恐怖・驚愕作戦」が効果を挙げている。
これらの作戦の成功は、グルジア出身で対ロシア戦争のベテランであるシシャーニ司令官以下の「イスラム国」軍事指導体制が機能し、①中・北部のスンニ派部族有力者と接点を確保し、イラク軍基地や部隊の兵力、弱点、将兵の戦闘意欲、武器や燃料、食料などの情報を得て、敏速に軍事指導部に伝達する仕組み②新鮮な情報を生かした作戦命令を軍事指導部から各部隊に敏速に指令し、それを実行させる指揮・統制(C&C)がしっかり動いていることを示している。
イラクの軍事情勢と「イスラム国」はじめ反政府武装勢力に最も詳しいと思われる「戦争研究所」(ワシントン)のジェシカ・レーウィス部長は「もはやテロの問題ではない。シリアとイラクで行動し、支配地域を拡げている一つの軍隊だとみなすべきだ」と述べ、「信じがたいほどのC&C」と前線から司令部への精巧な報告システムを持っていることを特に指摘している。ISが短年月のうちに、このようなC&Cを構築したのには、イラク政府軍の残党の役割があったに違いない。確かに、ISの行動には、アフガニスタンで政府軍に勝利して8年間も全国のほとんどを支配したタリバンを含め、アジア・アフリカのイスラム過激派の武装組織、テロ集団とは異なる、軍隊のような特徴がある。
最近、米軍事当局は空爆によってISのC&Cが打撃を受け、政府軍とクルド人民兵部隊ペシュメルガの反撃も強化されて、ISの進撃、支配地域拡大が行き詰まっているといった発言をし始めた。それがどこまで現実なのか、楽観はできない。
もちろん、ISがシリアからイラクへの“里帰り”反攻で、大きな成功を収めることができた最大の理由は、圧倒的なはずの装備と兵力を全国に配置している政府軍が,実は腐敗とさまざまな弱点を抱え、IS側がそれを知り抜いていることだと思うが、それは、別稿にまとめよう。
▽モスルで成功した、ソフトに入りこみ、後に支配権を奪う戦術
歴史豊かなイラク第2の都市モスルの占領、支配、「イスラム国」樹立と最高指導者カリフへのバグダディの就任宣言は、その日(6月29日)に組織名も「イスラム国」と改称した彼らにとって、これまで最大の収穫だった。この人口180万人の都市の占領はほとんど“無血”だった。シーア派マリキ政権に強い反感を抱いていた地元のスンニ派部族の有力者たちを懐柔し、彼らの民兵たちとともに、政府軍や警察の抵抗を受けずに市内に入った。最初の数日間は、少数が市内に入っただけで、市民たちに恐怖感を与える行動もほとんどなかった。
しかし、1週間後までに、ISの戦闘員たちが車両で続々入り込み、女性にはニカブ(目だけを露出する被り着)の着用を義務付けるなど、復古的な戒律を強制し、違反者へのみせしめ処刑の公開などを始めた。モスルに多いキリスト教徒には、改宗かシズヤ(人頭税)の支払い、どちらも受け入れなければ死を選ぶよう迫った。布告後ただちに(実際には1日程度)身一つでの脱出を許し、約50万人が脱出したという。残された家にはISの幹部・戦闘員が住みつき、財産を奪った。真っ先にやったことは、中央銀行モスル支店を襲撃し、4億2千万ドル以上のイラク・ディナールやドルの現金を奪ったことだ。シーア派のモスクも10か所以上爆破した。
ISが最初はソフトに町や村に入り込み、その後に幹部や戦闘員を急速に増やし、支配権を握って、復古的な布告を強制する手法は、中部アンバル州の町や村落でも数多くみられた。アンバル州の有力スンニ派部族の一つ、アル・ブ・ニムル族は11月、自分たちの町や村で支配力を増していたIS勢力を追い出し、反旗を翻した。しかし数日後、40台の車両を連ねた数百人のIS部隊が逆襲、豊富な火力を浴びせて、部族勢力とその家族、630人以上を殺害した。部族勢力は銃弾が尽きるまで戦ったという。部族長は決起する以前から、戦闘の最後まで、弾薬の緊急補給と政府軍の出動を訴え続けたが、効果的な支援は全く得られず、事実上、見殺しにされた。
(続く)
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