暴論珍説メモ(130)
消える社会主義
3月の上旬から中旬にかけて駆け足でキューバを見てきた。「北朝鮮から、今度はキューバか、また物好きな」と言われそうだが、自分の中では一応の理由はある。やや自虐的に言えば、「社会主義の最後を見届けたい」ということだろうか。
今、地上から消えつつある「社会主義」という言葉はわれわれ世代(「戦後民主主義世代」という言葉は最近、揶揄の対象だが)にとっては特別の郷愁をかきたてる。1950年代から60年代、「戦後は終わった」が、まだまだ貧しかったわれわれは東西対立の中で、戦争と市場競争の資本主義を選ぶか、それとも平和と計画経済の社会主義を選ぶか、と問われて、多くは社会主義こそ進むべき道と見定めたものであった。ソ連が米に先駆けて有人宇宙飛行をやってのけた時(61年)には、その正しさが立証されたように思った。
勿論、ソ連にはスターリンの圧政があり、スターリンを批判(56年)して、平和共存を唱えたフルシチョフもカストロが革命政権を打ち立てたキューバにミサイルを持ちこんで、あわや世界大戦という危機(62年)を呼ぶなど、世間知らずの頭では理解できないことも多かったが、原理的には計画経済の社会主義のほうが金儲け第一の資本主義より優れているはずだという信仰めいたものは根強かった。
その後、中ソの根深い対立を見せられ、中国が文革で混乱する様を聞いても、よもや社会主義がよもやこの世から消えてしまうとまでは考え至らなかった。
決定打はやはり中国だった。毛沢東の死後、鄧小平が始めた改革開放政策(79年)は、文革後の混乱から国民の生活を安定させる緊急措置として誤っていたとは思えない。
しかし、80年代、90年代、さらに21世紀に入っての10数年、「改革開放」と「中国の特色を持つ社会主義」は「資本主義生産の無政府性」を覆い隠す煙幕でしかなくなってしまった。世界の下請け工場に甘んじての野放図な生産拡大、それがもたらした自然環境のとめどない破壊、貧富の格差の広がり、こうした資本主義固有の病状の深化を食い止めるのに、社会主義であった経験は何の役にも立っていない。
そればかりか、本来、社会主義国の(過渡期ゆえの)必要悪に過ぎなかったはずの「一党独裁」を、一部の権力者層が自分たちの地位の永続を正当化するための錦の御旗として担ぎ上げ、いささかでも危険と彼らが判断した人びとに対する、このところのきびしい弾圧ぶりは外国人のわれわれでも目を覆いたくなるほどである。
それでいて、資本主義世界の言論表現の自由、政党結成の自由、権力交代の仕組(民意による権力者の決定)などを、中国社会は欠いている。
中国より長い社会主義経験を持つロシアは国名から社会主義を綺麗さっぱり捨てて旧国名に戻っただけに、政権は選挙で決定され、権力者が「一党独裁」を自分の権力維持に借用するようなことはないが、ここでもまたかつて掲げた社会主義の理想が国造りに生かされているとは言えない。
北朝鮮、ベトナムはまだ社会主義の看板をおろしてはいないが、北朝鮮は社会主義とは似ても似つかぬものに化けてしまったし、ベトナムは中国の後を追いかけているように見える。
となると、改めてキューバの存在が浮かび上がる。建国以来の指導者、フィデル・カストロが病いに倒れ、ここ数年は実弟のラウル・カストロが後継者(国家評議会議長兼首相) として国の運営に当たっているが、引き続き社会主義の路線を歩み続けているように見える。
キューバ社会主義
では、キューバ社会主義は今、どうなっているか?
まずキューバの基本的なデータを抑えておくと、国土は約11万㎢(日本の本州の約半分、意外に大きい)で、人口は1100万人強(東京都が約1200万人)。 日本外務省のHPにはキューバの国家統計局の数字が挙げられている。それによれば、GDP(2011年)は689億9000万ペソ(28.7億ドル、ドルとの交換比率は24対1)、1人当たりでは6135ペソ(266ドル)だから、この数字だけでは世界の最貧国に列せられる。
貿易ではニッケル、医療品、砂糖、たばこ等を輸出して、燃料類、機械・輸送機械、工業・化学製品、食料品を輸入しているが、輸出(2011年)約60億ペソ(2.5億ドル)に対して、輸入(同)140億ペソ(5.8億ドル)である。一次産品を輸出して工業製品と食料を買うという構造も、輸入が輸出の2倍を超えるというアンバランスも苦しい。
ここへ来るまでの経過をざっとたどれば、キューバは20世紀初頭、スペインの植民地から独立するが、その後はアメリカの半植民地の状態で経済はサトウキビの単一栽培に頼る状態だった。そこでフィデル・カストロやチェ・ゲバラらが革命を起こし、1959年1月に革命政権を建てる。
その後、前述のキューバ危機を経て約30年間、キューバはソ連圏の一員として冷戦の最前線の拠点の役割を果す見返りにソ連から安く石油の供給を受け、砂糖を高く買ってもらうという優遇措置で経済を支えた。
1991年にソ連が崩壊すると、キューバは危地に陥った。安い石油は入らず、砂糖も思うように買ってもらえなくなり、経済はマイナス成長に転落した。アジアでは北朝鮮が「苦難の行進」に陥った。
90年代末にベネズエラに反米を掲げるチャベス政権が誕生したことで、安価の石油が再び入手できるようになり、ようやく落ち着きを取り戻した。
さて、ハバナの街。第一印象は何十年か昔にタイムスリップしたような感じ、と言ったらいいのだろうか。空地が多い。そこでは子供たちが野球をしている。高層住宅もあるが、古い小さな一戸建ちが多い。住宅は個人持ちではなく、公共財産だということだが、これでは管理が大変だろう。
目を惹くのは乗り物だ。キューバは50年も60年も昔のアメ車が走っていることで有名だが、アメ車に限らず、昔のソ連の大衆車、モスクビッチやラーダもたくさん走っている。新車もあるが、韓国車が多い。観光客用の大型バスは中国製の天下と見た。
公共交通機関もユニークだ。バスは勿論走っているが、トラックの荷台に幌をかけ、梯子をつけただけのバスが走っている。サンチァゴとかサンタクララでは乗合馬車が現役である。
ただ、そこは南国、暗くないのがいい。食糧は自給を達成していないが、飢えている印象はない。むしろ肥満気味の人が多い。キューバには世界に誇れる優れた全国民医療保障制度があるせいかもしれない。
広く知られたことだから、ごく簡単に説明すれば、まず末端に「ファミリー・ドクター」制度がある。100~200家族を受け持つファミリー・ドクターの網の目が全国を覆っている。ファミリー・ドクターは受け持ち区域全員のカルテをその人の一生涯にわたって管理する。キューバ国民はだれでも自分の主治医を持っているわけである。
ファミリー・ドクターは自分の診療所で病気の診療もするが、主たる仕事は病気の予防である。毎日、午後は受け持ち区域を巡回して、人々の健康状態に目を配る。
本格的な診療、治療を必要とする場合には、その上の「ポリクリニコ」と呼ばれる地域の総合病院がある。ファミリー・ドクター20か所から30か所の上に設置されていて、全国に500か所くらいある。
そこで手におえなければ、市立、県立の病院があり、さらに上には国立病院や専門の研究所がある。この4級の医療システムが有機的に全国民を包み込んでいる。そしてこのシステムは学校教育と同じく、すべて無料である。
社会主義からさらに共産主義に到達した場合の分配原則は「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」とされるが、医療という最も重要なサービスをキューバ国民はすでに「必要に応じて」国から受け取っている。
すべて無料ということは、医師をはじめ医療に携わる人々の仕事は市場経済的に言えば価値を生まない無償労働である。GDPに加算されない。ちなみに日本の現在の総医療費はざっと40兆円弱で、GDPの約8%を占める。単純な比較はできないが、キューバのGDPにはその分が含まれないから、数字だけで貧しさを量ることはできない。
経済改革へ
だからと言って、経済が満足すべき状態にないことははっきりしている。2009~12年にキューバ大使を務めた西林万寿夫氏の『したたかな国キューバ』(2013年、アーバン・コネクションズ)によれば、この国で「大きな経済改革への第一歩」が踏み出されたのは2010年8月である。
「八月一日の人民権力全国議会で、国営部門の労働者をカットし人件費を節約すること、そして自営業の認可を拡大することがラウル・カストロ議長より発表された」(108頁)
9月には、翌2011年4月までに国営部門の労働者50万人を非国営部門に移行させる(つまり解雇する)こと、自営業の認可分野を178に拡大することが明らかにされた。労働人口は570万人、そのうち9割近い510万人が国営部門なので、50万人はその1割にあたるという(同109頁)。
その期限である2011年4月にキューバ共産党は第6回党大会を開いた。規約では5年に1回開くことになっているが、この時は13年ぶりだったそうである。そこでは「党と革命の経済・社会政策方針」が決定された。『岐路に立つキューバ』(山岡加奈子編・アジア経済研究所叢書8、2012年、岩波書店)の巻末にその概要が翻訳されているが、項目だけでもなんと313もある。
内容をここで詳しく紹介することはできないが、「各人の能力に応じて働き、各人の労働に応じて受け取る」という分配の原則、「計画が支配し、そのもとで市場の諸傾向が考慮される」という原則を守ることを明記して、引き続き社会主義を堅持することがまず謳われている。
しかし、個別の項目を見ていくと、企業により多くの権限を授与するとか、所得の分配・再分配では「結果の平等主義の解消(働かざる者食うべからず)」とか、過度な補助の打ち切り(成果主義の導入)とか、かつて社会主義国が経済の停滞から抜け出そうとした時に唱えられた対策が並んでいる。
また対外関係では、「開発特別区」の設置、外国資本の導入、多国間協力の推進といった項目が目につく。それらを合わせれば、要するに「改革・開放」である。
それから3年、その後の進展具合はどうなのか。われわれを受け入れてくれたキューバ諸国民友好協会(ICAP)のコルデラ・アリシア副総裁のレクチュアを受けた。
同氏はきわめて慎重に閣僚会議の新聞記事を見ながら答えてくれたが、出国を自由化した、住居や自動車の売り買いを自由化した、自営業の範囲を拡大した、といった成果はあるものの、改革全体としては要するに「思うようには進んでいない。公務員の人員整理もすぐには出来ない」「農業の生産性が上がらない」「意識を変えなければだめ。何が欠けているかを認識することが大事」ということであった。
ほかにもキューバにとって頭の痛いことがある。これまで石油供給の面でキューバを支えてきたベネズエラのチャベス大統領が昨年3月に死去し、その路線を引き継いだマドゥロ現大統領が激しい反政府運動に直面していることだ。万一、ベネズエラの現政権が倒れて、これまでの反米路線からの転換が起きるようだと、キューバへのマイナスの影響は大きいだろう。アリシア氏もベネズエラとの連帯は極めて重要だと認めていた。キューバ各地の街頭には今でもチャベス大統領の大きな顔写真が飾られていて、同氏との特別な関係を示している。
こう見てくると、キューバは確かに今、分岐点に立っている。スローガンでは物事は進まないということが浸透することが改革の前提だが、今、キューバはそこまで来た。ここから先、あくまで「計画経済体制を維持しながら改革・開放を」で踏ん張れるか。この路線が貫ければ社会主義は生き残るが、これまで成功例はない。それともある時点から堰を切ったように市場経済化が始まって、多くの社会主義国が変質した轍を踏むか。もし後の道へ進めば、全国民医療保障制度というキューバ社会主義の成果も市場化の波に押し流される可能性が高い。
しかし、資本主義世界もまたグローバリゼーションの進行とともに、格差の拡大、労働者内部の差別化・低賃金化、高失業率といった病根が広がっている。「誰でもよかった殺人」(日本)や銃の乱射事件(米)の頻発がそれを物語っている。マイケル・ムーアが映画「シッコ」で描いた無保険の悲劇は米国に止まらず、今、日本でも広がりつつある。
それを考えれば、生・老・病・死という誰にでも不可避の過程を必ず見守ってくれる医師がいるというキューバの制度は未来を先取りするものだ。それが社会主義の消滅という世界の流れとともに姿を消してしまうか、それともそれが社会主義を再生させる種子になるか。特有の陽気さとたくましさで、貴重な種子を守り育てて欲しいのは言うまでもないが、その結論が出るのはそう遠い先ではないだろう。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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