辺見庸Ⅱ―わたしの気になる人⑩

「辺見庸ブログ」が11月10日から再開した。「私事片々」の写真は、またも、あざやかだ。さまざまな、空のいろと雲のかたちに、かすかに陽が差している。私たちに何かを問うてくる。訴えかけてもくる。
 とりわけ、わたしは「日録1」の11月14日付のくだりに注目した。「赤旗」の「インタビュー・ドタキャン事件」について、食い入るように読んだのだった。とっさに「はだ寒い」ものをおぼえた。日本共産党って、ちっとも変わっていないじゃないか。ピアノを弾くという志位和夫が委員長になっても、宮本顕治の委員長時代と体質はおなじなのであろうか。
 共産党の機関紙「赤旗」は、作家辺見庸の新刊『1937』(金曜日)を読者に紹介するため、著者にインタビューを申しこみながら、急きょ、その中止を通告してきたという。この「ドタキャン」をめぐって、辺見庸は「ブログ」に連日くわしく書いている。問われているのは組織の責任だと、わたしは思った。志位委員長と小池晃副委員長は、誠実に応えてほしい。なぜ、中止におよんだのか、「ほんとうの理由」のていねいな説明が必要である。一個の人間にたいしても、独りの文筆家にたいしても。人をブジョクしてはいけない。そうする側の人間性が、いま、問われている。
 文芸評論家で明大教授でもあった平野謙が死去したのは、1978(昭和53)年4月のことだ。もう30数年が経過している。「辺見庸ブログ」の先のくだりを読みながら、ふと、わが脳裏に平野謙の絶筆の文章がうかんだ。「政治の論理と日常の論理」(「週刊朝日」1978.1.27)と題する、『わが文学的回想』(構想社)のなかに収録されている1編だ。平野謙は食道がんの手術後で、死去する4か月前に執筆した。これだけは書かずにいられない。その執念と切迫感が、いまなお、文中からたちのぼってくる。
 1977(昭和52)年、委員長宮本顕治が、副委員長袴田里見を共産党から除名した。ボロクソにやっつけた。1933(昭和8)年12月から翌年1月にかけて発生した「リンチ共産党事件」いらい、2人は当事者として、切っても切れない結びつきを保ってきた。しかし、この「人格の掌をかえすような評価の急変」に、平野謙は黙っていられなかった。
 「政治の世界はきびしいものだ、などという常識的な感慨にながされずに、この異和感を率直にみつめれば私どもは意外に厄介な問題の所在につきあたるはずである」と。
 さらに、平野謙はその絶筆を、つぎのように結んでいる。
「私どもは日常の論理をしかと踏まえて、デヒューマナイズ(非人間化)されつつある政治の論理のゆくすえをみきわめる必要がある。そして、できれば日常の論理と政治の論理とのより高い統一を、一市民の立場からつねに模索する心がまえを忘れたくないものである」と。
 くりかえせば、現在、平野謙の絶筆から30数年が経過している。辺見庸は、平野謙の子ども世代だ。しかし、平野謙の投げかけた課題は、いまになお、通じることであろう。辺見庸は書く。「中止は党の『思想統制』にひとしいのではないか。問題は重大である」と。そう、「瑣事」ではない。「流砂的な政治状況のいま、これは考察の対象ではある」にちがいない。この「ドタキャン事件」は、重要な問題を私たちにも突きつけているのだと思う。
 だから、辺見庸が進みでて志位委員長に対話を呼びかけようとするのも道理である。「いまはどんな時代なのか」それについて本音で、辺見庸は、志位委員長と話し合いたいという。トップと話し合いたいなぞ、平野謙にはなかった。辺見庸の弾力的で真摯な姿勢であろう。

 辺見庸は、この「ドタキャン事件」を「ただ、なんか不気味なものを感じる」「おかしい」とも、心情的に述べている。30数年前、宮本が側近の袴田をばっさり斬ったことについて、「すさまじい」とか「はだ寒い」とか、当時、一般市民は感じ、受けとめたのにちがいない。平野謙はこれを「一般市民の正常な反応」と書く。しかもそれを、ほとんど自明のこととして書いているようだ。しかし、30数年後のいま、人たちは「正常な反応」を率直に示すだろうか。わたしは気がかりだ。一般市民は、この危機の時代に共産党の「ドタキャン事件」をどう見て、どう感じているのだろう。
 平野謙はさいごに、「政治の論理」を「一市民の立場からつねに模索する心がまえを忘れてはならない」と、私たちに注意をうながしてきた。一般市民が「正常な反応」を堅持するためには、日常感覚を鈍磨させてはいけない、ともいう。「冷酷無残なことを冷酷無残とも思わずにやってのける」かれらの「非情な政治の論理」は、たえずチェックする必要がある。私たちは、辺見庸が指摘するように、いつも「研ぎすまされた感性」が求められているのではないだろうか。(2015・11・27)

 平野謙(1907~1978)の文学と人生については、拙著『平野謙のこと、革命と女たち』(社会評論社)のなかに書きました。どうぞ、ごらんください。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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