――八ヶ岳山麓から(404)――
中国の大都市では軒並み、長期化する新型コロナウイルス感染症対策に抗議するデモが発生している。複数のメディアのニュースをまとめると、先週11月26日夜には、上海のウイグル人が多く住む「ウルムチ中路」で数千人が街頭デモを敢行し、2日前に新疆ウルムチで発生した火災事故の死亡者10人を追悼する集会を開き、それは27日明け方まで続いた。新疆全土はすでに3ヶ月以上ロックダウン状態にある。
デモ参加者はロックダウンの解除を叫び、なかに「中国共産党は退け、習近平は退け、ウルムチを解放せよ」といった「あぶない」スローガンを叫ぶ者がいた。この自然発生的なしかも大規模なデモにたいして警察が出動し、参加者の一部が逮捕、連行された。
27日には北京で、東部朝陽区の地下鉄「亮馬橋」駅近くに白紙を持った数百人が集まり、「PCR検査はいらない、自由が欲しい」と連呼した。これには行き交う乗用車がクラクションを鳴らして連帯の意志を示した。また精華大学でも1000人近い学生が集結し、「民主主義を、法治を、表現の自由を」と訴えた。
同夜は四川省成都でも数百人が自由、人権を求め、「終身制はいらない、皇帝はいらない」と連呼した。湖北省では数千人がデモ行進し、コロナ政策による封鎖を解除するよう要求した。
25日から27日までに全国一級行政区の省・自治区・直轄市31のうちほぼ半数で抗議行動があった。2020年1月に武漢で新型コロナ感染症が発生し、世界的な流行が始まったときからすでに3年が経過した。この間中国では都市封鎖という「ゼロコロナ政策」がとられ、国民は行動の自由を失い、仕事ができず、消費は急減し、景気は後退し、若者の失業者は20%に達した。これまで耐えに耐えてきた挙句がこの街頭行動である。
いくつかの都市や大学では、国際労働歌「インターナショナル」や中国国歌「義勇軍行進曲」が歌われたという。「インターナショナル」は、1989年6月の民主化運動(天安門事件)のとき学生・市民の間で抵抗の歌として歌われ、運動鎮圧後はこれを歌うのが中国共産党に盾突くものとしてはばかられてきた。
「義勇軍行進曲」は国歌であるが、その冒頭は抗日の「立ちあがれ、奴隷となるのを望まぬ人々よ!われらの血肉をもって、新しき長城を築かん!」というものである。
わたしは、このような状況に関する西側各国メディアの報道の仕方に気になることがあった。
日本のメディアをふくめて、いずれも中国各地のロックダウン反対デモを「習氏批判デモ全土に拡大」とか「独裁に不信任」といった反体制的、急進的な見出しで伝えていた。
もちろんデモ参加者やそれに共鳴する人々の気持には、習近平政権のやり方に不満があることは確かだ。それを強調するのは間違いではない。
だが、コロナ防疫体制に対する抗議が、いまにも反体制運動に発展するかのような印象を与える報道のしかたは、西側メディアの期待をあらわすだけであって、デモに参加した多くの人々の要求をリアルにとらえているとは到底思えない。
わたしは、抗議デモは反体制運動に発展しないと考える。
第一の理由は、中国の一般人(「老百姓」)の気持である。
10月中共党大会直前に北京の高架道路上に「封鎖はいらない、自由が欲しい」「PCR検査はいらない、食べものがほしい」というスローガンが現れたが、今回のデモも、大部分の望みはこの程度にとどまっていると思う。
むしろ多くのデモ参加者は、反体制と取られるのを意識的に避けようとしている。
北京の抗議デモでは、「習近平退陣」を叫ぶものを「それ以上踏み越えてはいけない。我々の要求はゼロコロナの撤回と憲法で保障された権利を守ることだ」と制止する声が上がった。その後「共産党、立派、立派、立派」と繰返すシュプレヒコールが上がったという(信濃毎日新聞、共同 2022・11・30)。これはたぶん「共産党,好、好、好(コンチャンタン、ハオ、ハオ、ハオ)」といことだろう。
28日の人民日報社説は、抗議デモをうけて規制を緩和する方針を示した。このためだろうか、ある居住区では、むやみな連行、家族の隔離がなくなり、感染者の出たマンションの扉、居住区の門の閉鎖が解かれた。このとき、みんな「万歳!」を叫んだという。
つまり北京・上海の庶民の多くは、抗議デモには共感するものの、感染者が出たマンションや宿舎の出入り禁止とか、毎日のPCR検査とか、何ヶ月も工場内に閉じ込めて働かせるといったロックダウンを緩めてほしい、仕事や買物、散歩、親戚知人との無駄話などができる範囲を拡大してほしいというものであって、居住区の封鎖をやる居民員会や警察、防疫要員に対しては強い反感を持つとしても、かならずしも怒りの矛先を習近平政権に直接向けてはいないものと思われる。
それに、報道統制と厳重なネット管理によって、北京ですら、スマホをしょっちゅう見ない人は、デモがあったことを知らないのだ。
都市封鎖に反対する運動が反体制運動に発展しない第二の理由は、中共当局の取締り、弾圧体制の完璧さである。そしてそれを知っている中間層の腰の重さである。
2014年には人権・民主人士に対する激しい言論統制と逮捕・投獄・拷問が行われたという経過がある。それのみか中年以上の人たちは、33年前1989年の「天安門事件」における戦車の出動、無差別銃撃、隣人・知人による密告、その後の長期投獄という当局からの厳しい報復を知っている。
現在、中国ではどの都市でも街頭の電柱に軒並み監視カメラが付けられていて、マスクをしていてもデモ参加者のこれぞという人物を識別することは可能であるという。治安当局に目をつけられれば容赦なく逮捕される。すでに当局は事後にデモ参加者を連行したり、圧力をかけたりしている(信毎、同上)。
また、いずれの都市・大学の抗議デモにもまちがいなく治安要員が潜入している。すでにデモのさなかに「このデモは外国の差しがねだ」と叫ぶ者がいた。逆に過激な反体制スローガンを叫んだもののなかに治安要員がいた可能性は十分にある。挑発して積極分子を洗い出すためである。テレビの動画には、デモの中にいた私服が飛び出して、制服警官とともにデモ参加者をとりおさえる場面があった。そして、日本での同情デモのなかにもその存在を示す兆候があった。
念のため言えば、「ロックダウンの解除」「封鎖を緩めよ」という要求それ自体は、反体制ではない。だが、都市封鎖は習近平主席じきじきの政策である。地方によってはロックダウンを多少ゆるめるところがあるとしても、その撤回は習近平政権の威信に関わる。
すでに警察・司法担当者は「敵対勢力の浸透、破壊活動や社会秩序を乱す違法な犯罪行為を法に基づき断固取り締まる」との方針を確認した(新華社・信毎・共同2022・12・01)。いうところの敵対勢力とは西側世論であり、その手先となった中国人のことだ。
警察当局は通行人のスマホのアプリを調べるなど厳密な捜査に着手した。北京のデモへの参加者は複数が警察から当日の行動記録の報告を要求されたと証言。デモ情報をどこで手に入れたか、集まった動機についても聞かれている(赤旗・時事2022・12・01)。
中国でいう「秋後算賬(取入れ後の清算=機を見て報復する)」が始まったのである。
(2022・12・01)
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