最悪の内戦が続くシリアの首都ダマスカス南部のヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ。これまで同国北部中心に支配地域を拡げてきた「イスラム国(IS)」の部隊が4月1日、同キャンプに突入、それまで市内で有力だったシリアの反政府武装勢力「自由シリア軍」やパレスチナ人民兵勢力と戦って、数日で市内の大半を支配してしまった。「イスラム国」の首都への接近に危機感を深めたシリア政府軍は、ヤルムークにヘリコプターから極めて残虐な「バレル爆弾」を多数投下してIS部隊を攻撃、住民多数が死傷した。全体が古い住居ビルが連なる大きな町であるヤルムークの破壊の惨状は、昨年のイスラエル軍のガザ攻撃と同様のすさまじい破壊の光景を示している。「バレル爆弾」はドラム缶様の容器に爆発物と金属片などを詰め込み、低空から投下して人間と建物を破壊する残虐兵器。シリア政府は、これまで反政府勢力支配下の北部の都市アレッポなどで多用してきた。
交戦する武装勢力と交渉しながら、ヤルムークに食料や医薬品を運び続け、住民の生命を支えてきた国連パレスチナ難民救済機関(UNRWA)も、緊急支援物資の搬入ができなくなり、住民の生命が脅かされている。UNRWAは6日、「すでに数千人の住民には数週間前から生命維持に必要な物資が届けられなかった。いまや1万8千人の住民たちの状態は非人間的という以上にひどい。この危機は人類の恥だ。なんとしても、食料や医薬品をヤルムークの住民たちに届けなければならない」と訴えた。
国連安全保障理事会では、議長のカワール・ヨルダン大使が「住民たちの生命を保護する人道援助を緊急に届けること」を求めた。
ヤルムーク・パレスチナ難民キャンプは1948年の第1次パレスチナ戦争の後に最初に作られた。2011年のシリア内戦の開始前までには16万人のパレスチナ難民が生活していた。12年以後、シリア内戦の影響が及んだが、ヤルムークはパレスチナ人の左翼組織PFLPとシリアの世俗派反政府武装組織「自由シリア軍」が影響力を維持、政府軍は攻撃を繰り返したが、支配権を奪うことができなかった。しかし、街の破壊が進み住民の避難が続出。最近では、ISとは違うイスラム過激派も入り込み、市内での交戦も悪化していた。
それでも1万8千人が住み続き、交戦する武装勢力も、国連の支援の受け入れや、住民たちの通行路の維持のために交渉もしていたし、政府側もそのために攻撃を手控えていた。政府側も、シリアの武装勢力側も、“パレスチナの大義”から難民キャンプと国連の難民救済機関を尊重する意思が働いていた、と言えよう。しかし、ISには、“パレスチナの大義”などは全く通用せず、アサド政権も首都に迫るISへの恐怖から、パレスチナ人住民が多数犠牲になることを十分承知の上で、バレル爆弾攻撃をやったに違いない。
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