今度はうまくいくか、自前の治安維持態勢
国連PKOと国際治安部隊の撤退
思えば8年前に同じ事がありました。
2002年5月20日に東チモールが独立して国連暫定統治機構の任務は完了、規模が縮小されたPKO部隊を有するUNMISET(国連東チモール援助団)が展開され、そのUNMISETは8年前の2004年、治安維持の全権を東チモール政府(当時はマリ=アルカテリ首相のフレテリン政権、大統領はシャナナ=グズマン)へ移譲し、東チモールは国連PKOに治安維持を依存しない独り立ちの状態になったのでした。
そして国連組織はUNMISETからUNOTIL(国連東チモール事務所)へ、いかにも小規模な印象を与える組織となり、国連による東チモールでの展開は徐々に消えるかに見えました。
しかし2006年、国家・東チモールの二つの武装機関、つまり軍(F-FDTL=東チモール国防軍)と警察(PNTL=東チモール国家警察)はそれぞれ統制を保つことはできず、とくに地に根がはらない警察組織ほぼ壊滅状態となりました。さらに軍と警察は銃撃戦を交え、東チモールの秩序は崩壊し、とりわけ首都の住民は恐怖のどん底へ堕とされ、右往左往して難民となったのでした(詳しい経緯は拙著『東チモール 未完の肖像』[社会評論社、2010年]参照)。
東チモールは国際社会に秩序回復の手段を求め、国連は再びPKO部隊を東チモールに派遣することになりUNMIT(国連東チモール統合派遣団)が創設されました。また、国連とは別枠でオーストラリア軍とニュージーランド軍で構成されるISF(国際治安部隊)も展開され、東チモールはこれら二つの武装組織に治安維持を委任したのです。
2008年、シャナナ=グズマン首相と当時のジョゼ=ラモス=オルタ大統領がアルフレド少佐率いる武装反乱兵士に襲撃されたことが皮肉にも東チモールを劇的な治安回復に導くことになり、東チモール人指導者たちは自らの治安維持の権利を取り戻そうと団結した結果、今日、東チモールに治安の安定を見ることができるようになりました。治安が安定してしまえば、残るはPNTLの抜本的な再建のみが課題となり、それももう十分になされたと判断され、UNMITもISFも不要となり、今年限りで任務終了の運びとなりました。こうして再び東チモールは自前の治安態勢による独り立ちの挑戦に臨むときがやってきたのです。
2006年の「危機」を振り返るシャナナ首相
10月31日、政府庁舎前でUNMITの国連警察(UNPOL)が治安維持の全権をPNTLへ委譲する式典が行われました。シャナナ首相は演説のなかで、東チモール危機のことを振り返りながら国際社会へ謝辞を述べました。シャナナ首相の発言を『テンポ=セマナル』から引用して粗訳になるかもしれないが要約してみます。
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国家建設は間違いから逃れられない経緯をふむ。これは、解放闘争から生じた紛争をうけて任務が始まるとき、事実以上のことである。実際、国家が短期間で建設されることは世界のどこにも見られない。
このことに照らしてみると、われわれ主権国家の初めの10年間は、われわれに幸福だけをもたらさなかった。われわれは、新興国の初期段階を指導する者たちに共通する多くの困難に直面した。
最も要求された挑戦の一つとは、ゲリラ部隊を近代的で職業的な軍事組織へ移行することであり、治安と人びとの平和を守る警察組織をゼロから創ることであったことはわれわれ全員が知っていた。
近視眼的にいって、われわれは、PNTLに募集された警察官の基礎訓練の質を含めて、重要な溝があったことを認めなければならない。このことでPNTLの深刻な弱点が増長され、2006年、われわれの国家が社会秩序を最も必要とするときに、この組織はそれができない事態となったのである。
そして国内が抱える問題の結果、F-FDTLはほぼ3分の1の兵士が軍隊を離れた。かれらの多くの者たちは国家権威に挑戦する行動に走り、このことは国じゅうを、とくにデリで、深刻な紛争をもたらした。
2006年、われわれは自力で社会秩序を回復することができないと自覚し、法規制が危険にさらされているなかで民主的で独立国家を存続させながら、われわれは国際支援を要請せざるを得なかった。これはわれわれの主権の諸機関で共有された決定であった。
われわれは幸運にも4ヶ国からの偉大な連帯と素早い対応に頼ることができた。それはオーストラリア、ニュージーランド、マレーシア、ポルトガルである。これら4ヶ国は軍隊と治安部隊を東チモールへ派遣することに躊躇しなかった。一歩一歩、これら4ヶ国の部隊はわれわれを正常な状態へ戻すよう助けてくれた。
一方、国連安保理はわれわれの要求に応え、東チモールの治安に責任をもつ単独の機関となる部隊を派遣した。その部隊がUNPOLであった。
この6年あまりの間、東チモール国家は国民とその財産を守る独占的な能力を発揮する立場になかった。これは、しかしながら、過去の誤りを正すためにわれわれに必要なことであったと、PNTLの各種の部隊の、とくにより複雑な犯罪に手を染めた者たちの訓練の質を語ることを含めて、われわれは認めなければならないのだ。
同時に、UNPOLと一緒に働きながら、欠陥を直し、機能を組織しながら、われわれはPNTLの徹底した改革に着手した。
国内難民や嘆願部隊の問題など、人びとの安定と安寧を脅かした危機によって引き起こされた問題をわれわれが解決しえたのは、持続性と決意があったからである。
2008年、国家主権の首脳たちが攻撃されたのをうけて展開された「共に集う作戦」は、兵士と警官が共通の目標に向かって密に協働と協力ができることを示す機会となった。この作戦は国の平和・安定・安全の点で大成功を収め、防衛と治安の部隊に任務を成功すべく一層懸命に働くことを望ませるようにしたのであった。
われわれは国内の地区ごとに警察機能の責任を暫時的にPNTLへ譲渡していき、この手続きは2011年3月27日、総指揮権を譲渡して完了した。
防衛と治安の部隊が、信頼をあげながら効果的に、いかにして治安と防衛を確かなものにできるかを証明し、われわれはこのことを満足して目撃したのだ。それにもかかわらず、われわれはISFとUNPOLの寛大な支援に頼り続けた。
F-FDTLとPNTLが職業精神と資格とともに憲法によって与えられた任務を実行できることを証明したことから、外国支援を際限なくいつまでも受けることはできないことが明らかになった。われわれ全員が、それゆえに、今年の終わりまでに国連が東チモールにおける使命を永久に終わりにすること、ISFがわれわれの領土から撤退することに同意するのである。
それだけで、本日は、最近の歴史にとって、だがわれわれの祖国のすばらしい歴史として、画期的出来事を標すのである。これはすべての東チモール人にとって喜びと誇りをもたらしてくれる。だがそれは寛大にもわれわれを援助してくれた警察官や兵士たちが東チモールを去るからではなく、かれらの援助がわれわれに過ちを正させ、われわれの技術と職業的技巧を向上させたからなのである。
このことがまさに、UNPOLとISFが東チモール人社会をより安全にし、さらにそうしようとする重要な役割を演じたことをまずもって認識する式典に本日われわれが集った理由なのである。UNPOLとISFにこの6年間従事し、そして結果的に東チモールとその国民に従事したすべての人たちに東チモールの勲章を授与することは、われわれの真の感謝の念を表している。
わたしの名において、そしてわたしが率いる政府を代表して、UNPOLとISFの長官に東チモールにおける素晴らしい仕事にたいし感謝と祝辞を述べたい。そしてまた、国連の事務総長特別代行代理に、オーストラリア政府に、ニュージーランド政府に、本日終了する援助を提供してくれたことにたいし感謝を申し上げたい。
われわれは未来への新しい挑戦があることに気づいている。われわれの治安部隊を再建させ、最近起こったことが繰り返されないように、そしてわれわれの警察部隊がつねに任務に忠実であるために、いまその人員の訓練に骨を折らねばならない。
友好国からの警察部隊との将来の協力関係は、PNTLへの協力に似たモデルとして、いま双方に引き受けられるであろう。これはまた、われわれが国際的な軍事協力を引き受けることによるモデルともなるであろう。
「外国から来た警察官と兵士すべてにわたしは感謝する。そしてあなたがた全員の幸を願う。そして帰国の旅が楽しいものとなるよう望む。
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2004年、国際社会からの治安部隊が去ったときはフレテリン政権下にありました。そしてフレテリンは治安維持に失敗しました。今度はシャナナ連立政権が挑戦することになります。シャナナ=グズマンは首相就任から6年目にして初めて自前の治安維持態勢が試されるのです。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion1104:121210〕