歴史的な三者会談
国連の派遣組織は撤退するが重大犯罪調査は未完
10月31日、UNMIT(国連東チモール統合派遣団)のUNPOL(国連警察)からPNTL(東チモール国家警察)へ治安維持の全権を委譲する調印式が行われ、UNMITの公務は12月31日で終了となり、1200名ほどの国連PKO人員が帰国の途につく予定です。この流れは去年から本格的に始まったことですが、大統領選挙と国会議員総選挙を無事に終了できたことで決定的となりました。
東チモール政府はシャナナ=グズマン首相の署名入りで9月20日付けの書簡を国連に送りました。それには「東チモールは2012年以降、平和維持の分野でも政治分野でも国連の駐留を通じての支援をもはや求めないと考える。必然的に、安保理による東チモールの考慮の継続に関しても求めないのがわれわれの考えである」と書かれています。そして新たな段階を迎えたに東チモールは国連との関係を重要なパートナーとして発展させたいという旨が述べられています。国連安保理でも、11月12日に東チモールに関する(おそらく最後の)会合をもち、国連安保理の東チモールへ訪問団(11月3日~6日に東チモール訪問)の団長サンキ氏(南アフリカ)は、東チモール訪問の概要を報告し、東チモールからのこの書簡を次のように要約してとり上げています。
「9月20日付けのシャナナ=グズマン首相から事務総長へ送られた書簡には、国連による東チモール支援にたいする心からの感謝の念が表されていた。首相はさらに、東チモールは2012年以降、平和維持の分野でも政治分野でも国連の駐留を通じての支援をもはや求めず、必然的に、安保理による東チモールの考慮の継続に関しても求めないと述べている。そしてシャナナ=グズマン首相は、国連は東チモールの発展の新たな段階において重要なパートナーであり、制度面での強化と発展に焦点をあてた国連との革新的な協力関係を築きたいと述べている」。
同氏はまたこう発言します。
「UNMITの撤退は東チモールと国連の関係が終わることを意味しない。国連は東チモールの加速する発展のために計画の立案・導入によって国内制度への支援を、国連の人員と基金そして東チモールとの協力関係を通じて、提供しつづける」。
このようにUNMIT撤退にかんして東チモールと国連は、外交的な礼儀ではあるでしょうが、互いに感謝し感謝される良好な関係を表意しています。しかしサンキ氏は一つだけ残した点があることを指摘します。それは重大犯罪の調査です。
「UNMITがやり残した重要な事は、すべての重大犯罪の調査が完了できないことである。UNMITのもとで、過去における重大犯罪の調査を指揮する検事総長を助けるために重大犯罪調査班が創設された。この調査班は本日まで319件の調査を行い、12月まで未解決の396件のうち335件の調査にたどりつけるだろうと思われる。残りはしたがって未着手となり、完了するまで9ヶ月を要するであろう。政府はこの任務について確認をとった」。
もしも、「過去における重大犯罪」、つまりインドネシア軍占領時代に犯された人道に反する犯罪も、最近およそ10年の間に犯された重大犯罪も、調査されたとしも犯罪者が裁判にかけられ全容が明らかとなり正義が下されることは東チモールでは過去一度もありません。シャナナ=グズマンら指導者たちは政治的意図から常に棚上げ・後回しの曖昧な状態にする方針を採りつづけています。人権団体などからシャナナへの批判が集中するのはこの点です。シャナナ首相が任期中に棚上げできようとも、カンボジアの例を見てもわかるように、いつか必ず、東チモールと「過去における重大犯罪」が正面きって向き合うときがやって来ることでしょう。
この件で日本は国連とは別に第二次世界大戦中の東チモール(あるいはチモール島)占領時に何をしたのか、「過去における重大犯罪」の独自に調査をすべきです。日本が東チモールと本物の友好関係を築きたいのなら、そしてもし本当に日本がエネルギー対策としてチモール海の天然資源が必要ならば……。
11月21日、ISF(国際治安部隊)も任務終了の式典を行い、最高時で1000人以上の兵士を派遣したオーストラリア兵とニュージーランド兵で構成される部隊の撤収が22日から始まりました。残っていたのは400名ほどの兵士です。ただし、治安維持の任務がなくなっても東チモール人兵士を訓練する業務もあることから、部隊の完全撤退は来年4月となるとオーストラリアのABC局は報じています。また同局によれば、続く24日、国連警察部隊の中心的存在であり、2006年の「危機」以来2000名の人員を派遣したポルトガル部隊・GNR(共和国護衛部隊)の75名が飛行機に搭乗したとのことです。
記念すべき三者会談とありきたりな二者会談
国際部隊の撤収が始まった11月の初旬に歴史的な出来事が起こりました。シャナナ=グズマン首相と、インドネシアのユドヨノ大統領、そしてオーストラリアのギラード首相の三首脳が会談をしたのです。
11月8日~9日、バリ島で開催された「第5回民主主義フォーラム」にはオブザーバーを含め84の国と機関が参加し、東チモールからもシャナナ首相が参加しました。この会議の共同議長はユドヨノ大統領とギラード首相そして韓国の李大統領でした。ギラード首相がインドネシア大統領とシャナナ首相に声をかけ調整したようですが、三者会談が11月9日に実現したのです。
会談の前日、ギラード首相は、「われわれの共有した歴史を鑑みれば、あしたの会談は大きな意義ある発展である」と語り、「もし10年前に誰かが10年以内にオーストラリアとインドネシアそして東チモールからそれぞれ民主的に選ばれた首脳三人が一堂に会すると言ったら、その人は夢想家また理想主義者だと一蹴されたであろうが、あしたまさにそれが実現するのです」と歴史的な会談であることを強調ました。ギラード首相は、話し合いは基盤整備・交通・通信・人材育成・人と人の繋がりに焦点にあてられると話していたことからこの三者会談は「民主主義フォーラム」に集まった各国首脳たちの外交ロビー活動の一環であると思われます。しかし、三首脳だけの集まりは歴史的な寄り合いであり、記念すべき瞬間であることは間違いありません。
ところでギラード首相がもし、東チモールとインドネシアが現在のように民主的な国家になっていることにたいし「意義ある発展」といっているとしたら、あるいはまた、東チモールとインドネシアというかつての“敵同士”の両国とそれらを支援するオーストラリアとの三者会談が「歴史的」だといっているのだとしたら、それは誤りです。わたしが考えるに、アメリカの軍事支援を後ろ盾にして東チモールを侵略したインドネシアと、そのインドネシアによる東チモール併合を唯一認めた侵略支援国オーストラリアからの二人の首脳が東チモール解放闘争の指導者と“さし”で会って、三人だけの話し合いの場が初めて設定されたことが、歴史的であり記念すべき瞬間であるといえるのです。
オーストラリアとアメリカの軍事的な繋がり、オーストラリア軍によるインドネシア軍の特殊部隊への支援あるいは訓練という構図が継続されている限り、この地域の本当の平和はやって来ませんが、この三者会談は東チモール人が侵略軍に勝った歴史を改めて想起させてくれる出来事だと思います。
余談になりますが、この「民主主義フォーラム」で共同議長を務めた韓国の李大統領は演説で、日本軍による従軍慰安婦の問題を取り上げたと報じられています。韓国大統領が従軍慰安婦の問題を取り上げつづけることについて韓国の国内事情を論じることもできるかもしれませんが、この問題の基本は、やった方は忘れても、やられた方は忘れない、ということに尽きます。
またこの「民主主義フォーラム」には日本から榛葉(しんば)外務副大臣が出席し、シャナナ首相と二者会談しました。日本の外務省のホームページによればこの40分間の会談では、榛葉外務副大臣は東日本大震災にさいして東チモールから寄せられた日本への支援に謝意を表し、独立10周年を迎えた東チモールの平和構築の取り組みと民主主義の国づくりを評価した一方、シャナナ首相は国道建設のための円借款とこれまでの日本の支援に謝意を述べ、両者は今後の友好かつ緊密な関係を維持することで一致したといいます。実にありきたりな会談だったようです。
東チモールにも日本軍による従軍慰安婦の歴史問題が存在します。シャナナ首相がこの問題を口に出さないことをいいことに日本政府(あるいは外務官僚)がこの問題は存在しないのだと考えているとしたら、日本はおめでた過ぎます。やった方は忘れても、やられた方は忘れないという基本を忘れると、日本はチモール島の歴史から手痛い外交的なしっぺ返しを喰らうことでしょう。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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