<道を誤らないでほしい>
六月の洪水
早いもので今年も半分が過ぎ7月になりました。先月半ばに帰国しましたが、今回の東チモールで得たネタを書き続けたいと思います。
前号の『東チモールだより』で「6月7日、朝から雨が降り出しました」と書きましたが、その週末、つまり6月7日~9日、東部と南部で大雨による被害の様子がTVニュースで流れました。南部では農村全体がすっぽり浸水する様子が、そして東部では川が氾濫し道路が遮断された様子が報じられました。その川の氾濫で自足止めをくらっていた自動車の運転手やバスの乗客が「仕方ない」「待つしかない」とややヤケクソ気味にインタビューに応じていました。
通常ならば6月は乾季の入り口からやや奥に進んだ時期であるはずなのに、各地で大雨の被害がでているとは、やはり異常気象といえましょう。
道路は批判の火だるま
雨が降らないときは凸凹だらけだと道路は文句をいわれ、雨で冠水する道路がでたり、上記のように水没して遮断される道路がでたりすれば、道路に質はないと文句をいわれる。文句は世論や新聞から噴出します。雨が降ったら降ったでいわれるし、降らないと降らないでいわれる……どうしたって文句をいわれる運命にあるのが現在の道路です。いまの東チモールでは道路は、日本ならば“ネット炎上”となるような、批判の火だるま状態にあります。
わたしの漠然とした感じですが、たしかに道路の状態は昔との比較においてく悪化しているような気がします。インドネシアの軍事占領時代、道路を請け負ったインドネシア人業者は工事に使うべきお金の一部をズルして自分の懐に入れるという話は当たり前のように聞いたものです。それに似たようなズルが負の遺産として現行の習慣になっているのではないかという不審感が、工事を重ねても質が向上するどころか低下しているような状況をみれば、沸いてしまいます。「反汚職委員会」は首都デリ(Dili、ディリ)道路工事関係の調査をしています。
また道路を襲う雨に視点を移せば、森林伐採による山の保水機能の衰えという環境の変化が考えられます。東チモールでは一般家庭の主たる燃料が、都市部・農村部問わず、薪であり、その薪を売るために山の住民は木を切って販売し生活の糧としています。森林伐採は違法行為であり環境に悪影響を及ぼすことを政府は広報していますが、薪を売る住民にしてみれば、食べていく為に仕方なく薪を売っている、やめろというならば職をくれ、と反論しています。薪を売っている人びとを非難できません。その薪が国全体の家庭の主たる燃料になっているのですから、これは需要と供給の問題でもあります。いまのところ森林がやせ細る傾向に歯止めがかかりそうもありません。
山岳部で雨が降れば本来ならば山に保たれる水は濁流となって海を茶色に染めます。山が豊かになれば海も豊かになる、山と海は恋人同士、といわれますが、いまの東チモールの山と森の仲は険悪です。国土の大半が山岳部で占められる東チモールでは山の保水機能が低下すれば雨は容赦なく水害を引き起こし道路を容易にダメにしてしまいます。
デリ~バウカウ間の道路を見て
なにかと批判の対象となる道路ですが、そのなかでもよく話題にされるのが円借款で整備されようとする首都デリ~第二の都市バウカウ間の幹線道路です。わたしが日本人であるからでしょう、デリ~バウカウ間の道路についてよくいわれます、デリ~バウカウ間の道路は日本人が工事するというのは本当か、だとしたら安心だ、と。一般に東チモール人はデリ~バウカウ間の道路整備工事は日本人がするものと思っているようです。去年の3月、両政府のあいだで交わされた円借款の約束事について詳しくわかりませんが、日本はただたんに東チモールにデリ~バウカウ間の道路整備のためにお金(52億7,800万円を限度とする)を貸しただけ、そのお金でどのように道路整備するかは東チモール政府しだい、東チモール政府がもし日本の業者に整備を依頼すれば日本人が係るでしょうが……とわたしは東チモール人に応じるだけです。
実際デリ~バウカウ間のその道路を走る車に乗り、車窓としてその道路を見るだけで、道路の整備にかんして次のような疑問が浮かびます。
1.整備というと道路の狭い部分を拡張するような印象をうけるが、はたしてそれは簡単にいくだろうか。国の管理下にある土地を走る狭い道路なら単純に技術的な問題として道路を拡張することが可能だろうが、民家の敷地に挟まれた幅の狭い道路を広げるとなれば補償問題で難航することが予想される。
このように曲がりくねった細い山道が東チモールの大半を占める。経済活動の基盤整備とは、幹線道路のこうした細い山道を拡張整備することであると考えるのはごく自然のことであろう。しかし民家の敷地が巻き込まれる場合、土地法が整っていない東チモールでは道路整備は簡単にはいかない。へたすると紛争を起こすかもしれない。
2013年5月19日。デリ~バウカウ間の山道。ここはデリに近い所。ⒸAoyama Morito
2.デリ~バウカウ間に限らない一般論。道路工事あるいは道路整備というとき、道路の管理態勢や交通規則の整備を含んでいるのだろうか。交通には事故がつきものです。事故対策を考慮しての道路の工事あるいは整備を計画しているのだろうかということが、まったく人の気配のない道路を走っているときに強く感じる。もし、人里離れた所で事故を起こした場合、救命のため一刻を争うとき、救急車がすぐ来てくれるだろうか。現状ではまるでダメだが、将来は大丈夫なのか。運転免許制度が整っていないこの国では道路の整備が逆に交通事故を誘発しかねない。小・中学生の子どもでさえもバイクを乗り回す(もちろん少数派であるが)この国では、親子のバイクの三人乗り・四人乗り(これは多数派)が都市部の街中だけでなくデリ~バウカウ間の道路にも見られる。両親とおぼしき大人がヘルメットを着用しても小さな子どもはしていない。このバイクが転倒したら……と思うとゾッとする。実際、わたしは自分の乗る車の前で親子三人乗りのバイクが前を走る車と接触して転倒したことがあった。救急車を呼んでもすぐ来るはずもないので、わたしの乗る車で国立病院にこの親子三人を連れて行ったという経験がある。その事故現場はリキサから首都にすぐ近いところで起こった。もしこのような事故が人里はなれた幹線道路で起こったら悲劇であるし、現実に起こっているであろう。制度や態勢の伴わない道路整備は危険ではないか。
ここまで来れば、バウカウはすぐそこだ。デリ~バウカウ間にはこのように一直線の道もある。そしてこのように道幅は総じて狭い。交通量は多いとはいえないが、整備されれば増えるであろう。バイクも走る。親子三人・四人乗りのバイクはやめてほしい。
2013年5月19日。ⒸAoyama Morito
3.デリ~バウカウ間の道路を走ると、多くの地点で補修工事にでくわす。この補修工事は円借款でする道路整備の工事に含まれているのだろうか。ジャーナリスのジョゼ=ベロ君によれば含まれていないといい、したがっていまの補修工事はお金の無駄遣いの何物でもないという。この道路のある部分ではすでに900万ドルが費やされたとはよく聞く話である。大規模な公共事業をめぐるお金の無駄遣いの懸念がある。道路整備計画が業者を太らせるだけの公共事業でないといいが……。
以上のことから、日本政府が東チモールとの友好のため良かれとおもってやったことでも、この円借款が東チモールの足を引っ張りかねない可能性があることを指摘しておきたいと思います。日本政府はお金を貸しただけというのではなく、真の友好のため、経済成長の過程で自ら経験した失敗もしっかり東チモールに伝えてほしい。東チモール政府には大型事業にこだわらず、まずは絶対的な貧困状態にある人びと・弱者に救いの手を差し伸べてほしい。なにも経済先進諸国が犯した過ちの道をたどる義理はないのです。道路整備・工事においても東チモールには道を誤らないでほしいと願います。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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