<チモール海の新たな展開>
タウル大統領の外交活動が始動
タウル=マタン=ルアク大統領は、去年7月にモザンビークで開かれたCPLP(ポルトガル語諸国共同体)会議出席と今年3月の新ローマ法王就任式出席は例外として、今年6月から本格的な外交活動を開始しました。インドネシアを皮切りにニュージーランド・オーストラリアへ訪問し、さらにキューバ・ブラジル、アメリカ・ニューヨークで国連総会に出席、そして日本を訪れる日程が組まれているようです。
7月初めの週末、タウル大統領はオーストラリアへ訪問し、返り咲きのケビン=ラッド首相と会談しました。6月26日、海外から見れば突然といっていいかと思いますが、オーストラリアの政権政党である労働党の党首選が実施され、ジュリア=ギラード首相とケビンラッド前首相が再対決し、ケビン=ラッドが党首となり首相の座に返り咲きました。もう二度とジュリア=ギラード首相に挑戦することはないと、首相降板後に就いた外務大臣を辞任してギラード首相に挑戦し敗れたときに明言したケビン=ラッドでしたが、労働党の内部対立は野党に“内戦”と揶揄されるほど泥沼化し、9月に行われる選挙はもはや選挙とはいえず政権交代の手続きだと報じられるほど支持率が低迷するなかで、労働党は沈みいくギラード政権の船にそのまま乗るのを潔しよしとはせず、よりましだと世論にいわれるケビン=ラッドに再登場してもらって選挙に備える態勢をとったのでした。
東チモールにしてみればジュリア=ギラード前首相とは、東チモールをボート難民の中継地点にしようという寝耳に水の構想を口にし、東チモールだけでなくオーストラリア国内からも大ひんしゅくをかった人物です。
両国の関係は、ギラード政権の閣僚が東チモールを訪問してもシャナナ=グズマン首相に会談を(たぶん意図的に)すっぽかされることが二度ほどあったことからもわかるように、ギラード政権下で悪化しました。東チモールとしては、ケビン=ラッド首相の再登場はギラード政権よりはマシかもしれませんが、なにせ9月の選挙で政権が交代する可能性があるので、しばらく対オーストラリア政策としては「待ち」の構えではないでしょうか。
東チモールにとってオーストラリアが重要な隣国であるのは、なんといっても両国に挟まれるチモール海に天然資源があるからです。しかし今回のタウル大統領のオーストラリア訪問ではこの話題については報道されず、東チモールのコモンウェルス加入について議論されたことが大きく取上げられただけでした。
東チモールとオーストラリアの長年の懸案事項となっているチモール海の「グレートサンライズ」ガス田の開発交渉は、結局、東チモール政府とオーストラリア側であるウッドサイド社との間で物別れになったまま、今年2月に交渉期限切れとなりました。
シャナナ連立政権が命運を委ねる「戦略的開発計画」は「グレートサンライズ」ガス田から東チモールへパイプラインをひくことが大前提となっています。しかし「戦略的開発計画」は東チモールの知識人からも、さまざまな観点からその実現性が疑問視されている計画でもあります。ウッドサイド社との交渉が期限切れとなったからといって、「はいそうですか、それでは」と、新たな開発パートナーを探して我が道を突き進むのは東チモールにとって危険性が高く得策とはいえません。時間がほしいところです。さて東チモールはどうでるか。2006年に結ばれた条約の見直しを迫る“寝技”に持ち込もうとしてきました。
東チモール政府は、今年2013年4月23日、オーストラリアと交わされた2002年のチモール海条約のもと、交渉中であった2004年にオーストラリアによる盗聴スパイ活動の不正行為があったとして2006年に決められた条約にたいし調停裁判の手続きを開始したとオーストラリアへ通達したのです。このことにより「グレーターサンライズ」ガス田の開発をめぐる攻防は単純なパイプラインの綱引き合戦ではなくなりました。
2006年に決められたこの条約はTreaty on Certain Maritime Arrangements in the Timor Sea(直訳すれば「チモール海における海洋諸協定にかんする条約」とでも訳せるでしょうか)といい、頭文字をとって一般にCMATSと呼ばれています。CMATSには二つの重要な取り決めが含まれています――「グレーターサンライズ」からの利益を両国で半分ずつ分配すること、この条約が効力をもつ2007年から50年間、つまり2057年まで、両国は領海について議論しないこと。東チモール政府は、調停裁判に持ち込みこのCMATSついて見直しをする意思を示したということは、つまり領海の見直しが狙いにあると思われます。
攻めの東チモール
東チモールがCMATSの見直しをする調停裁判の手続きを始めたという事実はオーストラリア当局がメディアに流した情報でした。このニュースは5月初旬にオーストラリアで報道されましたが、このオーストラリア当局の行為について東チモール政府は二つの点で怒っています。一つは、当時オーストラリアの交渉相手だったマリ=アルカテリ首相率いるフレテリン政権にたいし行った盗聴行為そのものについて、そして二つ目に、調停裁判について公にしたことです。両国の合意によれば交渉ごとを公にしないことになっているのにオーストラリアの態度はけしからんといっているわけです。
オーストラリアは、盗聴したという非難は今に始まったことでないし不正行為もなかったしCMATSも有効だと主張していますが、果たしてオーストラリアはこの調停裁判を受けて立つのか、どのような外交手段で対抗するのか。攻める東チモール、守りのオーストラリア、という観がしないでもありません。
オーストラリアには過去を省みてほしい
ところでこのCMATSは、2006年1月12日、シドニーで結ばれました。そのときの東チモール国内情勢といえば、404名の国防軍兵士が兵舎を飛び出し差別問題をシャナナ大統領(当時)に直訴した2月8日のおよそ一ヶ月前、やがて勃発する「東チモール危機」の陰謀がドロドロと渦巻いていたときでした。
東チモール人指導者にしてみれば、独立後間もないし、内部矛盾が噴出し混乱するなかで、経済の自立の鍵を握る極めて重要な天然資源にかんする交渉をして条約が決まってしまったことについては、治安が安定し政情が落ち着いたいま、時計の針を戻したくなるのももっともです。
去年2012年の総選挙以前、第一党ながら野党の座に追いやられたフレテリンは連立与党の正当性を認めず最後まで「事実上の首相であるシャナナ」と、シャナナを「首相」とは呼ばず、「事実上の首相」と呼びつづけ、進展のない「グレーターサンライズ」交渉にかんしてシャナナ連立政権に交渉の能力はないと批判してきました。ところが去年の総選挙以降は、第一党となった政党の党首としてシャナナが連立政権を率いると、フレテリンは政府の正当性を潔く認め、「グレーターサンライズ」交渉にかんしてできることがあれば協力すると政府への協調姿勢を示しだしました。フレテリン政権下で結ばれた条約にかんしてオーストラリアにたいし不正行為を理由に見直しを迫る行動がとれたのは、シャナナ連立政権がフレテリンから協力を得たからだろうと推測されます。そしてシャナナ連立政権とフレテリンの協調関係はタウル=マタン=ルアク大統領が潤滑油としての役割を果たしている成果であると考えられます。
シャナナ首相は調停裁判にかんしてジュリア=ギラード首相(当時)宛に、いまの東チモールは昔とは違う、話し合いたい、という旨の書簡を送ったと『インデペンデンテ』(2013年5月16日)は報じています。オーストラリアの首相はケビン=ラッドに代わり、9月の選挙でまた交代するかもしれませんが、CMATSの件について近い将来、両首相が話し合う場面があるか、おおいに注目すべき点です。
「グレーターサンライズ」は、東チモールから150km、オーストラリアのダーウィンから450kmに位置します。半々の分け前であっても、そもそもポルトガル植民地時時代の1972年にインドネシアとオーストラリアが施政国ポルトガルを無視してひかれた境界線が基本になっている以上、東チモールにとって“いわくつき”となってしまいます。「チモールギャップ」の境界線を受け継いだ共同開発地域(JPDA=Joint Petroleum Development Area、共同石油開発地域)の線引きに不公平感は否めません。この辺一帯そっくりそのまま東チモールのものではないか、オーストラリア大陸棚が存在するかもしれませんが、地図を眺めれば素朴にそう思ってしまいます。ここはひとつ、オーストラリアと東チモールは、チモール海の領海について白黒をつけたほうが、回りくどいかもしれないが急がば回れ、得策なのではないでしょうか。歴史を顧みれば、オーストラリアは過去を省みて大幅な譲歩もやむなし、どうしてもわたしは感傷的に考えてしまいます。
図
東チモール・オーストラリアそして共同開発地域の位置関係と主なガス田(もちろんこれ以外にもガス田と油田はチモール海に多数存在する)。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion1405:130810〕