青山森人の東チモールだより 第255号(2014年1月17日)

<シャナナ的気質からタウル的気質へ、>

更なる新局面を迎える東チモール

 去年2013年は東チモールにとって新しい局面の幕開けとなる一年でした。国連組織が去り国際治安部隊が展開されない局面を1月1日から迎えたからです。国際社会の武装組織が治安を守るのではなく自分の警察と軍が守るという状況で、東チモールは国づくりに本腰を入れて取り組む時代がやってきました。市民が逃げ惑うような物理的な衝突が起きそうもない安定的な治安状況は、国際軍の駐留がなくても損なわれることはありませんでした。これが2013年の大きな足跡です。このことを去年の11月にシャナナ=グズマン首相は見極め、そろそろ潮時と想ったのでしょうか、独立闘争の英雄シャナナは2014年に辞任すると発表したのでした。

 シャナナ首相が辞任の意向を表明したことをきっかけに、東チモールは更なる新局面を迎えました。世代交代という局面です。シャナナ首相のあと誰が新首相となるのか、内閣改造がされるであろうが現在の連立与党の枠組を維持したままなのか、最大野党であるフレテリンの政権参加は果たしてあるのか……などなど、なかなか予測しにくい政局が待ち構えています。

ラモス=オルタ前大統領、張り切る

 西アフリカのギニア=ビサウに展開される国連組織「国連ギニア=ビサウ平和構築統合事務所」の国連事務総長特別代行を務めるジョゼ=ラモス=オルタ前大統領はこの年末に一時帰国したさい『テンポ=セマナル』のインタビューを受け、ギニア=ビサウの選挙が予定通り今年3月14日に実施されれば新政府の樹立を見届けたうえで東チモールに帰国するつもりだと語っています。たとえその後もギニアビサウの国連組織が展開されつづけたとしても国連組織の代表を継続して務めるつもりはなく、東チモールの世代交代という局面に対処するため、「旧世代」の一人としてシャナナたちに合流すると語っています。

 決して前面には立たず脇や後ろに立って若い世代を助けるといいながら、自分の出番が再びやってきたとばかり相当に張り切っている様子がこのインタビューから伺えます。「旧世代」のこの代表格はまだまだやる気満々なようです。

 シャナナ=グズマンやラモス=オルタ、フレテリンのマリ=アルカテリ元首相など、ギニア=ビサウ、モザンビークそしてアンゴラなどアフリカのポルトガル植民地における闘争におおいに刺激と影響をうけて1970年代に闘いを開始した東チモール人指導者たちが、世代交代だ、世代交代だ、と世代交代を強力に引率してしまうと、皮肉にも世代交代を妨げることにならないとも限らないので、そのへんはちょっと控え目になってほしい、静かに身を引いてほしいと思わないわけでもありませんが……、しかしかれらとてはまだ70歳前です。日本社会に置き換えると政治指導者として精力的に働ける年齢です。年齢で身を引けというのもまた不合理ともいえましょう。

カリスマ的指導性から原則・規律を重んじる指導性へ

 シャナナやラモス=オルタに代表される解放闘争を開始した世代から、タウル=マタン=ルアク大統領やフレテリンのル=オロ党首に代表される現在50代の指導者を媒介として、現在40代の世代、つまり活動家として実質的にコツコツと解放軍を支えてきた世代に国づくりの中核を担ってもらう―― ごく単純にわかりやすくいうならば、これがいま東チモールでいわれる世代交代の意味です。

 しかし世代交代の本質は年齢の若がえりではありません。ズバリ!解放闘争の最高指導者であったシャナナ=グズマンが国家運営の中枢から身を引くことを意味します。シャナナが身を引くことは、東チモールの国づくりにとって何を意味するのでしょか。

 タウル=マタン=ルアク大統領の自伝『タウル=マタン=ルアク 独立への人生』(東チモールだより第231号[2013年3月30日]で紹介)という本の最終章で、タウル大統領はまさに世代交代について述べていますが、その中でタウル大統領は自分とシャナナを比較するくだりがあります。粗訳になりますが、だいたい次のようなことを述べています。

 「シャナナ=グズマンは制度的気質をもっていない。かれは考え、決断し、すぐに行動し、待たないのだ。かれはとても寛容的である。一方、わたしはそうではない。わたしは制度の原則・規則に従い、規律を守る。シャナナはすぐに実行するのでシャナナに原則・規則・規律を守らせるのは難しい」

 また、解放軍の司令官を務め、現在東チモールの国防軍の重要な地位に就いている或る軍人は、ゲリラ時代のシャナナについてわたしにこう話したことがあります。

 「シャナナは誰とでも握手をする。しかしその場からシャナナが去ると、そこに混乱が生じた」

 1970年代内戦に陥りインドネシア軍による侵略の扉を開いてしまった東チモールの内部状況を鑑みれば、また、インドネシア軍が撤退した瞬間にインドネシアとの友好関係を築かなくてはならなかった外交状況を鑑みれば、躊躇せず、たとえ乱暴かつ強引でも、融和と和解を最重要視するシャナナのカリスマ的な指導力を東チモールだけでなく国際社会も必要としていました。ところがシャナナの手法は国家制度という枠内から見れば超法規的処置といえます。しかたがって国連はシャナナを民主主義の障害と評したこともありました。また、シャナナ首相は汚職の罪で服役中のルシア=ロバト元法務大臣を擁護し、大臣の汚職を追及するジャーナリストに矛先を向けるのです。「誰とでも握手をする」シャナナにとって、汚職を憎むことより閣僚の和を尊ぶことの方が大事なのです。物理的な衝突からなにがなんでも国民・市民を守らなければならない状況ならば、シャナナ的な手法は有効ですが、治安が安定し、より良い市民生活のために高質な行政能力が求められる時代となれば、カリスマ性よりも法のまえに何人も平等であるという制度的な感覚が指導者に求められます。

 つまり東チモールは、シャナナ的な気質よりタウル的な気質の指導力を必要とされる時代に入った ―― これがいま東チモールでさかんに語られる世代交代の本質なのです。

人づくりと公共事業を堅実に進めてほしい

 シャナナ的な指導性が制度を有する国家に適さなくなった例として、東チモール初の大規模国家プロジェクトである電力供給事業を挙げることができます。

 2006年に勃発した「東チモール危機」により国内難民を生むほど治安が悪化しましたが、2008年2月11日、大統領と首相が同日に襲撃されるという衝撃的な事件をきっかけに、独立以降どちらかというと対立気味であったシャナナとタウル=マタン=ルアク(当時、国防軍司令官)はガッチリと肩を組み、警察と軍の合同部隊を結成し、国際社会に頼らずにアルフレド少佐率いる武装反乱勢力を壊滅させ、治安を劇的に回復させました。その2008年、シャナナ連立政権はすかさず全国津々浦々に電力を供給する大事業に着手したのです。

 この工事を受注したのは中国のCNI22(Chinese Nuclear Industry Company No. 22、中国核工業22)という会社でした。ヘラとベタノという二箇所を発電の拠点にし、中国から中古の発電機を購入し安価な重油を使用して発電するという計画でした。重油の使用について環境への悪影響を心配する声が市民団体などから発せられましたが、シャナナ連立政権は耳をかさなかったし、国家初の大規模プロジェクトにしては、研究・調査・分析に十分な時間をとることはしませんでした。東チモールの行政機関がこの分野の専門知識に長けているとは考えられず、東チモール電力の運命を中国企業に託したのです。

 ところがこのCNI22の仕事ぶりときたら、のちに東チモール政府が高い金で雇ったイタリアのコンサルティング会社によって、工事の質の悪さや責任感の低さを酷評されるありさまでした。東チモール政府は、たまらずベタノの発電所建設にかんしてCNI22との契約を解除し、インドネシアの会社に契約に移し変えました。その分、多額の資金が余計に費やされるという被害をうけたのです。

 結局、中国から中古の発電機を購入して重油を使用する計画は変更され、発電機をフィランドから購入しディーゼル燃料を使用する計画に変更しました。しかし安価な重油を使用するつもりで立案された集中型の発電網は残されたままで、高価であるが分散型の発電網を採用できるディーゼル燃料の長所を活かされないチグハグなシステムができあがってしまい、今後、雑な電力供給態勢に東チモールは悩まされるハメになってしまったのです。CNI22によって建てられた鉄塔や送電線の質や寿命がはやくも心配の種となっています。

 シャナナ首相は、すぐに判断しないで、各分野の専門家の知恵を結集し、批判によく耳を傾け、「待つ」ことをするべきだったのです。「待つ」ことをしなかったために生じた事業費の膨らみは、貧困ラインぎりぎりで暮らしている大勢の東チモール人の生活を考えるとあまりにも痛すぎます。

 ちなみにCNI22ですが、わたしは東チモールが被った損害をこの企業は賠償しなければならないと思うのですが、なんと去年の10月、学校の机・椅子を供給する事業を受注したのです。せっかくタウル大統領が机・椅子のない教室で学ぶ学童のために基金を設立し(東チモールだより第248号[2013年9月18日]参照)、オーストラリアや東チモールの家具業者の心ある支援を取り付けてコツコツとこの問題を解決していこうとしていたのに、政府はバッサリと100万ドル事業として(比較的小規模ではあるが)、いわくつきのCNI22に発注したのでした。東チモールの役人は一体何を考えているのでしょうか。100万ドルもあったら学校設備を整える事業を通して雇用の促進をしたり、家具製作や大工仕事の人材育成や能力開発をしたりして、相当のことができるはずです。しれなのにポ~ンと海外企業に丸投げするシャナナ連立政権の悪い癖がまたしても出てしまいました。東チモール人役人とCNI22との間に何か特別な関係でもあるのかと勘ぐりたくなります。

 このような国家予算の浪費例は残念ながらたくさんあります。シャナナ首相はその責任を痛感して身を引くことを決断したかどうかはわかりませんが、シャナナ首相の辞任が行政能力の向上と、公共事業の、とくに大規模公共工事のあり方の大幅な見直し、そのなかでもとりわけ「タシマネ計画」(南部海岸地方の開発計画)を立ち止まって見直す動きにつながれば、解放闘争の最高指導者の決断がいままた東チモールの人びとに貢献したことになったといえましょう。

~次号へ続く~

記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion4718:140118〕