青山森人の東チモールだより 第260号(2014年2月27日)

東チモールの報道の自由が危ない

さらに劣悪な道路の質

前号のこの「東チモールだより」で「2月13日の午後4時過ぎ、久しぶりに本格手な雨が降ってきました」と書きましたが、その後、その日の雨は、ちょっとしばらく強く降りましたが、夕方6時ごろまでには小降りとなり、だんだんとやんでいきました。いつもの雨季ならば雨の日が毎日のように続くものですが、14日からの数日間は曇り時々雨の天候にもどりました。

その13日の午後4時ごろから少しの間、本降りとなった雨は、スコールとともに降る強い雨とは違い、傘をさせば歩ける程度の強い雨だったので、わたしは前の下宿先のビラベルデの家から現在の下宿先であるベコラへ向けて歩いたのですが驚きました。そして落胆しました。場所によって程度差はありますが、多くの道路が冠水状態になっていたのです。降水の量も時間もたいしたことのないのに、です。もしかして「冠水」とはいえないかもしれません。「冠水」とは大水が原因で物が水に浸ることであって、東チモールの道路はちょっとした雨でも水溜り状態になってしまうので、原因は大水ではなく劣悪な道路の質にあるのは明らかだからです。車道も歩道も水の逃げ場はなく、いとも簡単に大きな水溜りとなり、車体は大洪水ごときのように水しぶきをあげて走り、歩行者はくるぶしまで水に浸して歩かなくてはならなくなります。去年よりも道路の質の悪くなっていると思われます。今年は去年にもまして「道路に質がない」いう文句が新聞紙上に踊ることでしょう。まったく道路工事を発注する政府と政府から受注する工事業者には、遵守すべき工事規格・検査基準なるものがないのではないか、といいたくなります。

テレビニュースの問題映像

夜8時から国営のTVTL(東チモールテレビ局)はニュース番組を放映します。その内容たるや、首相がどこへ行った、なにを語った、政府がどうした政府役人がこうした、大統領が誰それの訪問をうけたなどなど、公報にほとんど明け暮れています。これに少しだけ、野党の政府批判や市民団体の活動、そして事件・事故のニュースがパラパラとやくみのようにふりかけられます。

公報としてのテレビニュースのつまらなさはここではさておき、わたしにとってニュース番組で問題だと思うことは、事件・事故のニュースを報じるさい、思わず目をそむけたくなる残酷な映像が流れることです。

わたし自身が精神的打撃を被ったと自覚しているのは、ビラベルデのわたしの前の下宿先の家族で、わたしも親しかった20歳の女性が首を吊ったニュース映像です。家族の泣き崩れる姿だけでもたいへんな映像なのに、木にぶらさがっている彼女の姿がニュースに流れたのには衝撃をうけたし、いまでもそうです。こうした映像が茶の間に流れることは日本ではまず考えられないことでしょう。東チモール人にとってもきつい映像だと思います。とりわけ遺族にとっては精神的に引きずる映像となってしまいます。これだけではありませんでした。このときのニュース番組は、なんと追い討ちをかけるように、番組終わりの音楽が流れるとき再びまた木にぶらさがっている彼女の映像をこれでもかこれでもかと流したのです。これには閉口しました。当然、家族はこのニュース映像はいやだったと顔しかめて話しています。家族・関係者でなくとも、一般の大人・子どもにも精神的に悪い影響を与えるのではないかと懸念されます。

この「東チモールだより 第258号」で、7歳の女の子の遺体が海岸で発見された事件について新聞記事の概略を紹介しましたが、一部の新聞とTVTLのニュースでその子の遺体の写真が映し出されました。精神的にも肉体的にもとても痛々しい写真です(なお、発見されたときは生存していたこの子の母親もその後、治療の甲斐なく息を引きとった)。テレビではこの女の子の生存中の愛くるしい写真と波打ち際に横たわる無残な姿の写真を同時に写し、悲惨さを演出していました。茶の間でこのニュースを見ている子どもたちへの悪影響がはやり心配されます。

ごく最近では(2月何日だったかは忘れた)交通事故に遭った現場のニュース映像です。バイクと車が接触あるいは衝突したのでしょう、バイクの運転手と思われる男性がヘルメットをしたまま遺体として横たわり、娘さんでしょうか、この男性に抱きついて泣叫ぶ映像を流していました。事故現場の遺体の顔がはっきりと映し出されました。

遺体の顔や家族の泣き崩れる姿を映し出す必要がどこにあるのか。プライバシー保護のぼかしも一切ありません。冷酷非情で残酷な実写映像がニュース視聴者の目に防御すべくもなく飛び込んでくるテレビニュースの放送の仕方は見直すべきだと思います。

報道・表現の自由は守れ

とはいうものの、報道・表現の自由は守らなければならないのは言うまでもありません。残念ながら、いま東チモールで報道の自由・表現の自由が脅かされようとしています。政府はジャーナリスト・報道機関にたいし許認可制度をしいて強力な制御下に置く法案を国会に諮ろうと準備しているのです。独立して12年目になろうとしているこの国で、報道の自由とは何ぞや、表現の自由とは何ぞや、議論も未熟なまま法律で報道を縛ろうとするとは、解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマン首相はいったいどういうつもりなのでしょうか……?

この由々しき状況に東チモール国内のジャーナリスト団体は無論のこと反発しており、海外からも東チモール政府にたいしてこの法案を見直すよう訴える声が発せられています。

この法案が本格的に表面化したのは去年2013年8月6日、社会通信庁から提出された報道法の草案が閣議で受理され、これをうけて同庁が国会に法案を提出するために関係機関と協議し、報道機関・市民団体・宗教団体などと会合をもちながら準備をすすめているところです。

社会通信庁の長官は以前TVTLの顔として活躍していたネリオ=イザック氏です。報道に携わった者が一転、政府の要人として報道を取り締まる側にまわったのは残念なことです。もっともイザック長官は、この法案は東チモールの報道活動とジャーナリストを守り、報道の自由を促進するためのものだと主張していますが。

取材活動に許認可が必要となる

ではなぜ東チモールのジャーナリスト団体はこの法案に反対しているのでしょう。法案はまだ草案の段階ですが、条文の番号を具体的にあげて批判する文章があるのでそれを参考にしたいと思います。その文章とは、「東チモールプレスユニオン」(Timor-Leste Press Union=TLPU)という団体が、国際ジャーナリスト連盟(International Federation of Journalists=IFJ、世界100カ国以上にわたり60万人の会員がいるジャーナリスト組合)に宛てた手紙です。

ところでTLPUですが、この団体は以前「東チモールプレスクラブ」(TLPC)と名乗っていて、2月4日にTLPUと改名しました。会長は週刊新聞『テンポセマナル』を主宰するジョゼ=ベロ君です。ジョゼ=ベロ君は2月、会議・会合・団体交渉で大忙しで、新聞やテレビニュースでかれの顔が頻繁に登場しました。TLPUは2月11日、東チモール国立大学と覚え書に調印し、60名のジャーナリストが国立大学で5年間勉強できることになりました。多くの新聞記者は2000年前後の混乱時代に読み書きができる才能を新聞記者として発揮している若者たちで、学位を有している者は多くはありません。実戦経験を積んでいるかれらに国立大学で改めて勉強できる門戸を開いたのはTLPUの大きな手柄といえましょう。調印式のTLPU会長のジョゼ ベロ君と大学の代表者が『インデペンデンテ』紙(2014年2月12日)の第一面に大きく掲載されました。そして、同紙(2014年2月13日)には、2月12日に行われたTLPUと社会通信庁との会合で政府側を睨むジョゼ=ベロTLPU会長と「まあまあ」と両手を挙げるイザック長官の写真を対峙させて載りました。この記事のタイトルは「報道法の草案:ジャーナリトを“締め上げる”ための道」。TLPUは会員107名が署名して報道法に反対する意思表示をしています。

ちょっと脇道にそれましたが、TLPUからIFJへの手紙を読んでみましょう。

* * *

「東チモールプレスユニオンは報道法が非常に危険であることをお知らせしたいと思います。この法律は、ジャーナリストとメディアにたいする過度の権限をメディア評議会に与えるものです。
東チモールの閣議で了承された法案では、メディア評議会はジャーナリストの資格を証明し、認可し、証明書を発行し剥奪もする権限を有することでしょう。TLPUはまた、メディア評議会がメディア表現の免許を発行し剥奪できる権限を有するであろうことを憂慮します。
メディア評議会は、国家予算により問題ある独立した機関をつくります。TLPUは草案の第4、6、7、8、9、10、11、18、20、そして22条について国会議員に勧告しました。TLPUは第18条について非常に憂慮しています。なぜならジャーナリズムにかんする論争が民法そして刑法によって決着をつけられるからです。TLPUは国会にこの刑法にかんする部分を取り除くことを勧告しています。この草案は東チモール憲法と、東チモール政府が批准したいくつかの国際協約に違反します。
TLPUは近代的で科学技術的な時代を反映した法律を望みます。しかしこの法案はポルトガルのサラザール政権やインドネシアのスハルト時代のものです。
第6、7そして一部の8条によれば、政府は、誰がジャーナリストになれるか、誰がジャーナリズム活動をできるか、たとえそれがフェイスブック・ツイッター・ブログなどであっても、このいわゆる市民ジャーナリズムと呼ばれる時代にあって、限定しようとしているのです。
政府はこの草案のなかでジャーナリスト・その協会・メディア機関から一集団を引き抜いていますが、その会員たちも草案の一部に異議を唱えています。
第20条に設定された高額すぎて払うことのできない罰金もまた東チモールのメディアを殺す手段となります。
わたしたちは国会がこの草案を表現の自由と国民の知る権利を保証する報道法に、レトリックなしで法律そのものに表れるとおりに、変更することを希望します。

敬具
ジョゼ=アントニオ=ベロ TLPU会長」

* * *

最初の二段落で、政府の目論見と憂慮すべき点が要約されています。許認可制度のもと報道を規制するのが報道法の狙いです。去年8月6日に報道法の提出を了承した閣議の発表には、「報道法は報道の自由を確固たるものにする狙いがあると同時に、その自由の実践と、憲法にある他の基本的な諸権利と緒価値の必要な均衡を図るためのものである。その目的は主として、適切に準備され倫理的に責任のある専門職の活動を規則づけることにあり、そうすることでかれらは客観的・公平に世間に情報を提供でき、活動的で啓蒙的な市民を力づけることができる」とあります。

そしてその規制の仕方とは、「報道評議会」(TLPUの手紙には「メディア評議会」とある)を設置し、この評議会がジャーナリストや報道機関に免許や許可を発行・剥奪する権限を有するという許認可制度をしくというものです。

いま現在の草案は第1条から第26条までの条文があり、第22条に「報道評議会」は、ジャーナリスト機関から選ばれた3名、この3名から選ばれた報道機関の経営者2名、ジャーナリストと報道機関の経営者から選ばれた、報道の自由の精神でメディアの発展にかかわる社会的な人物2名、合計7名で構成されると書かれています。免許・許可を発行し剥奪することもできる「報道評議会」の7名の構成員の顔色をうかがう萎縮した報道姿勢が東チモールの民主主義に寄与するとシャナナ連立政権は本気で考えているのでしょうか。

ジャーナリストへの罰金・刑法による制裁

報道法の草案(Timor-Leste, draft media lawで検索すればアクセスできる)によれば、報道活動が第4条で法律のもと、第6条で報道評議会の承認のもとにそれぞれ置かれる可能があることを曖昧な表現ながら示しています。

そして問題の第7条、海外から強く批判される部分です。なんとジャーナリストになる者は6ヶ月の見習い(インターシップ)期間を経て、報道評議会が発行するジャーナリスト証明書が必要となるのです。

第8条ではジャーナリズムの職業に携わる者の条件を規定していますが、曖昧で拡大解釈が可能な内容となっています。

第9条で、ジャーナリストはジャーナリスト団体と提携できる権利があるとしており、第10条で、ジャーナリストとして活動の権利をうたいますが、「正規に認証の受けたジャーナリスト」と規制しています。第11条で、自由で民主主義社会への貢献、多元論の意見の擁護、倫理の原則を尊重した活動の実践……などなど、ジャーナリストの義務が述べられています。

そして待ち構えている第18条が怖い。これらの権利に伴う条件や義務に反すると民放と刑法の罪に問われることを示しています。「報道をとおして、法律によって守られた利益と価値に損害を与える行為によって、その行為者は民放と刑法に問われる」。

そして第20条では規定に違反し刑法を要する場合でないときの、罰金の金額が示されています。
a) 第8条第1項に反した場合、250~1000ドル。
b) 第9条の規定に反した場合、250~500ドル。
以下略しますが、最高では2万5000ドルの罰金が設定されています。

ジャーナリストを生かすも殺すも、政府機関「報道評議会」しだいということになります。

東チモールを取材する外国人も対象

第13条の第8項に、外国のメディア機関は東チモールで取材活動するには政府から許可が必要となるという規制があります。

2006年の「東チモール危機」のような一刻を争う取材をしなければならない事態に陥ったとき、いちいち許可をとるのは不可能です。外国のメディアが東チモールで何が起こっているのか正確に把握できない状況が生じかねません。

社会通信庁のイッザク長官は、この規制は外国の報道機関が東チモールに支部を置きたいときに東チモール政府に許可を求める程度の内容で問題ないといいますが、外国人ジャーナリストも許可制の管理に置かれる内容となっています。「メディア機関」という用語の定義が曖昧かつ広範囲にわたり、フェイスブック・ツイッター・ブログなどの手段を使用する個人もその対象となる可能性が含まれます。つまり、外国人観光客(もちろん東チモール人も)が住民と会話を楽しみ写真を撮りブログに文書・写真を載せると、その許可をとっていない場合、そしてそれが取材行動とみなされた場合、東チモールの法律違反とみなされる可能性があるのです。このような国から観光客は遠のき、東チモール政府は発展させようとする観光産業の足を自ら引っ張ることになるでしょう。それだけではなく、わたしのような外国人は、かつてインドネシア軍事支配下の東チモールを取材したように、再び地下に潜んで東チモールを取材しなければならなくなる可能性もなきしもあらずです。

まだまだ、“突っ込みどころ満載”の報道法です。わたしたちは東チモール人ジャーナリストと共闘して、東チモールの「報道の自由」「表現の自由」を守る行動をとる必要があるとわたしは今これを読んでいる人に訴えたいと思います。

~次号へ続く~

記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
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