たしかに理屈ではそうだが……
合同部隊、再見参
前号の「東チモールだより」の補足あるいは続きです。3月3日、国会がCPD-RDTLと「マウベレ革命評議会」という団体の活動を強制停止させるために警察権力の行使を認める決議を採択しました。
すると3月半ば、東部のラルライという所で、警察部隊と両団体が衝突してしまいます。週刊新聞『テンポ セマナル』は、「抵抗にあった警察部隊が我慢しきれず武力を行使した」という表現を使用しています。
この事態をうけ、3月末、閣議で東チモール国防軍(F-FDTL=東チモール民族解放軍-東チモール防衛軍、国家の軍隊として最初は「東チモール防衛軍」と名づけられたが、侵略軍と戦った解放軍の名前を残すべきだという批判に答えて東チモール民族解放軍のFを付け加えた)が警察に協力することを決めました。2008年2月、シャナナ=グズマン首相とジョゼ=ラモス=オルタ大統領(当時)を襲撃したアルフレド少佐率いる武装反乱兵士を討伐するために結成された軍と警察の合同部隊の再来です(拙著『東チモール 未完の肖像』[社会評論社、2010年]を参照)。
今回、合同部隊の現場指揮を執るのはマウプティ陸軍中佐です。マウプティ中佐は解放軍時代のゲリラ戦士で、いまでも住民の信頼と尊敬を得ている人物です。マウプティ中佐は住民と集会を開き、今回の事態を嘆き、平和裏の解決を地域社会に訴えます。残念ながらPNTL(東チモール国家警察)にはまだこうしたことのできる人材が不足し、かつてのゲリラの英雄に頼らざるをえないのが実情です。詳しいことはわからないので推測でしかありませんが、初めから合同部隊が組まれてゲリラ戦の経験豊かな人物が指揮をとっていれば、警察もむやみに発砲はせず、団体の残党が武器を持って山に逃げるという事態は避けられたかもしれません。
バウカウ地方(「地方」は日本の県に相当)のラガ・ケリカイ・バギアという準地方(「準地方」は日本の市に相当)で両団体のメンバー500~600名が合同部隊に投降しましたが、上記の準地方に加えビケケ地方ウアトラリ準地方でも何人かが武器を持って逃亡しているとのことです。ただしどれほどの人数が逃げ隠れしているのか、数字は報道されていません。
団体と家族
投降者500~600名という数字をきいて、「そんなにか」と人数の多さに気がとられるかもしれません。しかし東チモールの家族制度をみれば、その人がはたして自主性をもってCPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」の主義主張に共鳴してその構成員になったのかどうか、疑ってかかるべきだと思います。
長年の海外支配下のなかで福祉制度が発展するわけもない東チモールでは、戦争や貧困で身寄りのなくなった子どもを、血のつながりが薄くても、あるいは血のつながりが無くても、余裕のある家族が何かの縁でひきとることは珍しいことではなかったし、施設が多数存在するようになった現在もそうです。身寄りのない自分を世話してくれた者としてはその家には恩があり、血のつながり以上に強い絆を感じることもあるでしょう。東チモールでは、近い親戚や遠い親戚、あるいはその知り合い、または有力者にひきとられ育てられ暮らしている人は大勢います。ひきとられるのは子どもだけとは限りません。大人も然りです。インドネシア軍にたいする抵抗運動に関わっていた家族にひきとられた子どもたちは自然と抵抗運動に協力していくようになったし、いまのCPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」のような団体に家族が関わっていれば、その家族の広い意味での構成員がとりあえずは家族に従うかたちで団体の構成員になってしまうことが考えられます。「マウベレ革命評議会」のマウク=モルク議長の兄であるL-7が解放闘争時代に創った「聖なる家族」という団体名は、まさに家族と運動の関係をよく表しています。
したがってCPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」の構成員が、団体の主義主張に共鳴して積極的に参加しているとは限りません。家族との関係上、団体構成員になった可能性もあります。そのようなかれらは警察には抵抗しても、解放闘争の要であった解放軍の元司令官から投降を呼びかけられると、投降に応じることを選ぶでしょう。CPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」の指導者たちも昔は自由ために闘った者たちですから。
相手の意見を聞くべき
去年11月11日、シャナナ=グズマンとマウク=モルク両氏のためともいえる討論会、つまり1980年代の抵抗運動の考え方の違いについて公開討論する場が設定されました。テレビ中継されたこの討論会の模様はインターネットで見ることができます。それを見るとシャナナ首相は長時間にわたって大演説をする一方、マウク=モルクは参加せず、かれの兄のL-7は5分程度の発言でした。せっかく用意された討論会なのに、有無を言わせないシャナナ首相は長時間の演説で圧倒し、L-7は肩身の狭い想いをしているように見えます。2000年代前半、「国民対話」という討論集会がよく開かれましたが、シャナナ大統領(当時)がマイクをほぼ独り占めにしていたものです。シャナナは悪い癖が治っていないようです。
いわば“体制側”の発言は論理的に正しい。例えば、タウル=マタン=ルアク大統領の発言には説得力があります。「革命を起こしたかったら、政党を立ち上げ、5年に一度の選挙に出ればよい。選ぶのは国民だ」。これで勝負ありです。討論会の司会を務めたフレテリンのマリ=アルカテリ元首相も政党を立ち上げてから憲法改正に至るまでの手続きを説明します(東チモールの憲法では憲法改正には国会の3分の2の賛成多数が必要)。民主主義の制度が存在する以上、ただたんに「革命」を連呼し、国会解散を要求する「マウベレ革命評議会」のマウク=モルク議長に正当性はありません。マウク=モルク議長には公開の場での発言の機会は十分に与えられるし、政治活動の道も開かれています。理論的にいって「マウベレ革命評議会」の負けです。
しかし“体制側”には、“反体制側”はいったい何が不満なのか、何を胸に引っ掛けているのかを聞き出そうとする配慮に欠けているようにわたしには見えます。理屈では勝っても、あまり感心はできません。冷たすぎます。討論会だからといえばそれまでですが、相手に語ってもらい、相手の胸のつっかえをとってやるぐらいの思いやりがあれば、合同部隊の再登場を必要とする事態は避けられたかもしれないと考えると残念でなりません。
車でいえばハンドルの“遊び”のような余裕を東チモール政府や指導者にほしいところです。制度なのだから、法律なのだから、国会で決まったことだからと物事を四角四面に強引に進めると落とし穴にはまります。例えば東チモールには「タシマネ計画」という南部海岸地方の大規模開発があり、これには土地や環境などのさまざま問題が含まれ住民とともに解決しながら進めなくてはならない事業ですが、閣議で決定されたとか、国会で承認されたとかで、住民の不安や不満を無視して力で押し進めるような体質をいまの東チモール政府に感じるとることができます。実際そうなれば、そのときはCPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」のような団体に正当性を与えることになるでしょう。
都市部と農村部の格差、貧富の格差、情報の格差、機会の格差などなど、格差が拡がっていることが今回のCPD-RDTLや「マウベレ革命評議会」の問題の根本要因になっていると考えられます。一部の集団だけが国づくりの仕事に情熱を燃やせるいまの東チモール社会では、はじかれた者たちを多数生んでしまい、つまはじきになった者たちが社会のなかで自らを表現できないとなると、つい暴力の衝動にかられてしまいます。このような人たちへの思いやりを体制側や社会がもたないと、これから本格的に始動するであろう大規模開発のなかで東チモールは危険な状態に陥ることは十分にありえます。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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