青山森人の東チモールだより 第268号(2014年5月20日)

独立12周年記念、「報道の自由」は短命で終わるのか

タウル=マタン=ルアク大統領、「社会通信法」を検討中

 「社会通信法」――つまりメディア法または報道法、あるいは東チモールではLei Komunikasaun Sosialを短くしてLei KomSosという表し方がされている( Komunikasaun Sosialは「メディア」の意、「メディア」とはこの場合、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどの媒体)――について、前号の「東チモールだより」で誤って、国会で賛成多数で可決された5月6日に大統領が即日、公布し、施行されたとお伝えしましたが(その後、訂正させてもらいました、失礼しました)、正しくは、その時点では大統領には送られておらず、現時点で大統領はこの法律を公布・施行してよいのかを検討中です。

 このメディア法に反対するジャーナリスト団体や市民団体はタウル大統領にこの法律を受け入れないように陳述しています。「どの法律にも二つの機能がある、政治的な機能と法的な機能だ。大統領は法的な機能に注目し、憲法に違反しているのなら、われわれは君たち(ジャーナリストたち)の懸念に注意を払うことになる」と大統領は5月16日の記者会見で語りました(『チモールポスト』、2014年5月17日より)。東チモールの「報道の自由」「国民の知る権利」の運命を決する大統領の判断がおおいに注目されます。

 わたしの知るタウル=マタン=ルアクという人間は、法律できっちりと白黒をつけたい性分の持ち主で、力のある側が弱者の正義を理不尽にもないがしろにするのが大嫌いな人物です。憲法を遵守するのが大統領の使命ならば、政治的な“配慮”はせず、憲法違反の疑いがあるならば注文をつけることになるだろうとわたしは期待します。

徹底抗戦のジャーナリスト

 このメディア法にたいして、『テンポ セマナル』紙を主宰し、「東チモール プレスユニオン」の会長であるジョゼ=ベロ君は徹底抗戦の構えです。この法律に従うつもりはないと公言してはばかりません。違反した場合、罰金が科せられますが、高くて払えないし、払うつまりもないとかれはわたしにいい、これまでとおり汚職を暴いてやると意欲満々です。かれは報道を規制する野心をもつ政府関係者にたいし、「オレは刑務所に行く野心があるからな」と言ってやったといます。「社会通信法を破る用意あり」「刑務所にいく用意あり」と語るジョゼ=ベロ君の記事が新聞やインターネットなどに載っています。また、ジョゼ=ベロ君は政府主催のセミナーに「TIMOR-LESTE, FREE PRESS(東チモール、報道の自由)」の文字の上に禁止マークをしたマスクをして抗議を表明しました(このマスク、本来は目隠しで、飛行機内で配られるアイマスクです。わたしは日本から偶然持ってきた口にする本物のマスクをかれにあげました)。

 以上なわけで、東チモールの独立記念日を迎えても、「報道の自由」は短命に終わってしまうのか……と気が気でなく晴れ晴れとした気分を味わえません。メディア法が大統領によって「待った」をかけられたとしても(そうなるように祈ります)、言論の自由を脅かす法律が日本だけでなく東チモールでも国会を通過してしまった事実に気が滅入ってしいます。

独立12周年は、フレテリンの40周年記念

 さて、ともかく、今年の東チモール民主共和国の独立記念日、つまり「独立回復の日」である12回目の「5月20日」を迎えました。

 今年の「5月20日」の式典ですが、タウル=マタン=ルアク大統領は飛び地・オイクシに行きました。フレテリンの書記長であるマリ=アルカテリ元首相が責任者となって進められる「特別経済区」として開発されようとするオイクシ地方はいまや話題にのぼることが多くなりました。

 首都デリ(ディリ、Dili)の政府庁舎前の式典では、ビセンテ=グテレス国会議長がタウル大統領の代理として壇上中央に陣取っていました。

 10時15分ごろ、この記念式典が終わりTV中継も終わると、画面が東チモールとは何の関係もないポルトガルのテレビ番組に切り替わったのには、正直いって驚きました。公式行事が終わったあとも、政府庁舎前では鼓笛隊の華やかなショーが行われているのだから、ポルトガルのテレビ番組を流すくらいなら、そのまま中継を続けてほしかった。一国の独立記念日なのだからあるいは、祝日を家ですごす人たちのために国営放送は曲りなりにも昔の抵抗運動の映像を流したり、東チモールの現状を討論する番組を組むなどしたりして盛り上げてほしいものです。あっさりとポルトガルに引き渡すとは、まったく……。

 そして今年2014年5月20日は、フレテリン(東チモール独立革命戦線)がその前身としてのASDT(チモール社会民主協会、ただしインドネシア軍撤退後に結党された同名のASDTは、フレテリン第一代目党首のシャビエル=ド=アマラルによって創られた政党で、1974年に創られたASDTとは中身が違うので要注意)を創設してからちょうど40年目にあたります。今年の「5月20日」は独立記念日というより、フレテリン40周年記念日の色彩が濃いように思えます。

 政府庁舎前の記念式典は午前8時ごろ~10時15分までの約2時間であっさりしたものでしたが、フレテリン40周年記念式典は夕暮れからタシトルの会場で大々的に行われえんえんとTV中継されています(これを書いている夜10時過ぎも現在進行中)。

 また、おとといの5月18日、コモロ地区にある「ニコラウ=ロバト大統領国際空港」の近くにある環状交差点の噴水に新たに建てられたニコラウ=ロバト(1978年12月31日に戦死。インドネシア軍特殊部隊を指揮していたのは、もうすぐ実施されるインドネシア大統領選挙の候補となるプラボウォ=スビヤントである)の巨大な像の除幕式が夕暮れから行われました。そして1970年代の白黒のニコラウ=ロバトの写真が大型看板となって首都の複数の地点に立てられています。白黒写真に人工的に色をつけた巨大写真もあります。フレテリンを代表とする人物は、第二代党首ニコラウ=ロバト以外にいないというわけでしょう。シャナナ=グズマンやジョゼ=ラモス=オルタさえも、ニコラウ=ロバトに続いた人であり、フレテリンを離れた人なので、フレテリン記念日には前面には出てきません。またニコラウ=ロバトを前にして、現フレテリンの指導者であるル=オロ党首とマリ=アルカテリ書記長も控え目な存在に抑えているので、フレテリンだけが40周年記念を祝うのではなく、国民的な祝賀行事にしようとする努力が見てとれます。おそらくシャナナ連立政権と協議を重ねて反フレテリン感情が出ないように工夫したのでしょう。これはおおいに評価できます。

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コモロの噴水に建造されたニコラウ=ロバトの像。顔はあまり似ていない。
2014年5月19日、ⒸAoyama Morito

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首都のあちらこちらに立てられたニコラウ=ロバトの大型写真。
2014年5月17日、大統領府近くにて。ⒸAoyama Morito

もう一人の英雄はさびしく…

 わたしはジョゼ=ベロ君と、5月18日、メティナロにある英雄墓地に眠るゲリラの英雄・ニノ=コニス=サンタナ司令官のお墓参りをしました。閑散とする墓地の風景に寂しさを覚えました。メディア法を破り刑務所ゆきを覚悟しているジョゼ=ベロ君が、民衆とともに闘ったコニス=サンタナ司令官の墓にロウソクをたてるその周囲の閑散とした風景が、いまの東チモールの内情を表しているように思えてなりません。

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コニス=サンタナ司令官の墓参りをするジョゼ=ベロ君。もし本当に、ジョゼ=ベロ君が「報道の自由」を貫いたがために刑務所送りになったとしたら、コニス=サンタナ司令官はどう思うであろうか。そう考えると、この閑散とした風景がよけいに寂しく見えてきた。なお、ゲリラと民衆の架け橋となったもう一人の英雄・デビッド=アレックス司令官だが、遺体が発掘され、本人の遺体かどうか、現在シンガポールでDNAの検査中だという。
2014年5月18日、英雄墓地にて。ⒸAoyama Morito

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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