青山森人の東チモールだより 第276号(2014年8月13日)

<資源の呪いを払い清めよ>

訂正:前号の「東チモールだより」で「1979年の大晦日に戦死した英雄ニコラウ=ロバト」と書きましたが、「1979年」を「1978年」と訂正させていただきます。

首相の辞任はまだちょっと先

 大きな国際行事であるCPLP(ポルトガル語諸国共同体)首脳会議(7月23日)も終了し、再びシャナナ=グズマン首相の辞任について話題が集まりだしました。

 去年11月、「マウベレ革命評議会」という集団(今年3月に政府から非合法団体と認定され強制解散)を率いるマウク=モルク氏らと1980年代の闘争にかんする考え方の違いを討論する会場で(しかし結局マウク=モルク氏は登場せず)、シャナナ首相は2015年に辞任すると表明し、その後、辞任の時期を2014年と修正しました。今年の「いつ」辞任するのか、シャナナ首相は明言をしていませんが、おそらくCPLPサミットが終了して落ち着いたらではないか、つまり9月ごろではないかというのが一般的な憶測です。

 『ディアリオ』(2014年8月1日、インターネット版)は、7月末日、シャナナ首相が政府庁舎から書類を自宅へ引き揚げる作業をしたと報じ、さらに野党フレテリンの書記長であるマリ=アルカテリ元首相と1時間ばかりの秘密会談をもったとも報じました。いよいよ辞任の準備を始めたかと思わせる行動です。アルカテリ元首相は記者にたいし、シャナナ首相とは辞任については話題にしなかった、開発について話し合ったとはぐらかしています。そして『ディアリオ』は、8月2~3日に開かれるシャナナ首相が党首を務めるCNRT(東チモール再建国民会議)の全国大会で首相の座の去就について明言するであろうと推測しました。

 ところが党大会では参加者の大半がシャナナ首相の辞任は受け入れられないとして、シャナナ党首は首相を辞任する意向は保ちつつも、課題である内閣改造に着手することになったのです。

 いずれにしても2年前に発足した第二次シャナナ連立政権、つまり東チモールでいう第五次立憲政府は2年の短命で終わりそうです。東チモールでは日本でいう内閣改造がされると名称が第X次立憲政府と「X」の数字が更新されます。現在の第五次立憲政府は、世論や新聞はもちろん大統領府や与野党からも総じてその仕事ぶりの能力の低さが批判の的にされてきました。シャナナ首相は閣僚や長官らが新聞に汚職疑惑を報じられると身内をかばい、逆に新聞や「反汚職委員会」、さらに司法にまでも矛先を向けますが、身内の会合の場では仕事をちゃんとやれ!とはっぱをかけます。去年の時点で、ちゃんと仕事ができなければ来年は容赦しないぞと内閣改造を示唆していたようです。したがって与党CNRT内でも現状では内閣改造はやむなしと考えられていました。

 日本人の一般感覚からすれば、首相には閣僚を任命した責任があるのではないか、同じ首相が新たに組閣してまた同じことの繰り返しになったらどう責任をとるのか、と疑問に思うのではないでしょうか。おそらく、現政権も与党CNRTも解放運動の指導者だったシャナナ=グズマンの威光におんぶにだっこのちょっと情けない状態にあるのかもしれません。政策や行政の手腕を別にすれば、政情の安定に関しては絶対的信頼感があるシャナナ首相がまだ求められるということは、シャナナ首相が権力の座から去れば不安定な政情が頭をもたげる要素があるのだろうかと気になります。シャナナ首相に依存している状態について、シャナナ首相自身は自分を信頼してくれることはありがたいが、国の発展にとってはよくないことだと語っていることを『ディアリオ』は伝えています。

シャナナ首相、石油基金に満足

 政情の安定とはつまり治安の安定です。2006年のような「危機」が起こっては政策も行政もへったくれもありません。苦い経験を経て東チモールは暴力が人びとの生活を脅かすことがない国としてようやく定着してきました。次なる段階は政策や行政の優れた手腕によって人びとにより良い生活をもたらすことです。

 2007年に誕生したシャナナ連立政権のスローガンは「紛争よ、さらば、ようこそ、発展」であり、いまでもそうです。「紛争よ、さらば」は誰しもが実感していますが、「ようこそ、発展」にはほど遠い状態にあることもまた誰しもが感じていることです。わたし自身の目に見える範囲でいえば、十代やニ十代そして三十代の若い人たちが命を落とすといういたたまれない状況があります。貧困や保健・衛生分野の行政の未熟さが原因です。

 シャナナ政権は開発資金として石油基金からお金をふんだんに引き出して予算に組み込んできました。石油基金とはフレテリン政権下で始まった政策で、チモール海の共同開発区域で採掘される石油・ガスから得られる収入をアメリカで投資運営をしつつ将来のために蓄財をし、引き出し上限額を設定して予算に必要な額だけを引き出すという仕組みをもつという国家財産です。

 先月7月25~26日に開かれた「東チモール開発パートナー会合」の場でシャナナ首相は、「2005年9月に2億5000万ドルから始まった石油基金は現在160億ドルに達している。これは大きな成功だ」と演説しました(『ディアリオ』インターネット版、2014年7月29日)。

 2005年に始めた石油基金から国家予算のためにお金を引き出し始めたのは2006年ですが、2006年は「危機」が勃発してそれどころの話ではありませんでした。本格的に石油基金の“オイルマネー”を使用できるようになったのはシャナナ連立政権になってからです。フレテリンにしてみれば自分たちが苦労して設立させた石油基金を実際に利用しているのが自分たちを野党に下野させた勢力なのですから、さぞくやしかったことでしょう。しかしフレテリンのマリ=アルカテリ元首相は飛び地オイクシの「特別経済区」の開発担当にしてもらったので、少しは気持ちも和らいだかもしれません。石油基金の“オイルマネー”を使って「ようこそ、発展」を実現させようとしてきたのがシャナナ連立政権です。電力供給の拠点として建設した二つの発電所、2011年~2030年の「戦略開発計画」、その要として石油・ガス関連の工業地帯を南部沿岸地方に建設するという「タシマネ計画」、飛び地オイクシには「特別経済区」開発計画など、大規模事業を立案し一部着工・一部完成したのをはじめ、基盤整備に大金をはたいてきました。シャナナ政権のお金の使い方の“華やかさ”はフレテリン政権と比較すると町の風景を思い出すだけでも差は一目瞭然です。しかしそれはシャナナ連立政権の手腕が優れているからではなく、石油基金のお金が使えるときに政権に就いたからできたことなのです。石油基金への蓄財が100億ドルを越えたのもシャナナ連立政権が偉いからでもなく、ましてや東チモールの産業が発展したからでもないのです。石油基金のお金とは、チモール海の共同開発区域で石油・ガス田を掘る外国企業が場所代と税金として支払うお金であり、それは独立したときに既に予定されていたことなのです。石油基金を上手に使うことではじめて「ようこそ、発展」といえるようになるのでしょうが、シャナナ連立政権による石油基金の使い方ときたら、事業周辺にいる政治家や業者を喜ばせるだけで一般庶民にほとんど利益をもたらさない浪費ともいえる使い方です。これでは「ようこそ、発展」とはいきません。

 シャナナ連立政権は石油基金の100億ドルを超える額面に錯覚しているフシがあります。大規模事業計画にたいし慎重姿勢を求めたり批判をしたりする者たちに耳を貸さない頑なな態度をシャナナ首相は改めるべきです。そうしないといくら内閣改造をしても、上っ面を直しただけにすぎないことになるでしょう。

このままだと10年で石油基金は底をつく

 実は東チモール経済は深刻な事態に直面しています。石油基金に過剰に依存する体質を一刻も早く是正しないと東チモールは近い将来、窮困状態になってしまうのです。

 市民団体「ラオ ハムトゥック」(La’o Hamutuk、「共に歩む」の意)が最近(2013年11月、2014年6月に改訂版)発行した「石油基金は資源の呪いを東チモールから振り払えるか?」(Can the Petroleum Fund Exorcise the Resource Curse from Timor-Leste?)という論文は危機的状況にある東チモールを的確に描写し、東チモールの現状を知るうえでもたいへん参考になります。大要をまとめると以下のようになります。
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 東チモールは世界でも有数の石油依存国である。石油部門は国家歳入の約95%(96%以上、2013年)、GDP国内総生産では4分の3(77%、2011年)を占める。東チモール政府は短期間でGDP成長率25%を遂げたと自慢するが、貧困と格差は拡大している。最近の政府開発計画は東チモールを「資源の呪い」から救い出せるものとは思えない。「資源の呪い」は、立案・行政・判断・政治をゆがめさせ、非石油部門とりわけ農業と人材育成への投資を鈍らせる。2011年のGDPでは、非石油部門として農業と工場での製造を含めた生産額はわずか4%を占めるのみであり、独立以降で最低の数字を示した。人材育成への投資は他の途上国と比べ40%にも満たない。1999年以降、占領軍から解放されてから生まれた世代は相応の十分な栄養と教育を与えられていない。将来かれらは失われた世代となるかもしれない。いやもっと悪い、時限爆弾になるかもしれないのだ。
 石油からの収入は、150億ドル(先述『ディアリオ』では160億ドル)に達している石油基金を通す仕組みになっている。現在、稼働している石油・ガス田は2020年までに枯渇し、それから5年のうちにつまり2025年までに石油基金も底をついてしまうかもしれない。このままだとあと10年で石油基金が底をつくかもしれないという見通しに鑑みて、緊急に非石油部門の経済を発展させなくてはならない。国産品で得られる収入を増やし、公的基金を賢く使わなくてはならない。「戦略開発計画」は誘惑的だが実現性のない夢物語であり、「タシマネ計画」そしてオイクシの「特別経済区」は雇用と付属的な利益を始まりにおいてもたらすかもしれないが、経済成長・競争力・潜在力のある市場を考慮に入れていない計画だ。
 目に見えかつ素早い結果を求めるあまり、政府は地味だが必要不可欠な土木・保健・衛生・教育などの分野に目を向けることを怠っている。石油基金は、経済的な安心をもたらす幻想をつくりだし、困難な選択と挑戦することを先延ばしにさせているのかもしれない。
 東チモールは国を長期的に維持するだけの石油・ガスの埋蔵量を有していないのだ。非石油部門の経済を発展させなければ石油・ガスが枯渇したとき、貧困ライン以下の生活をする人びとで膨れ上がるだろう。収入が支出に届なかくなるとき、東チモールは困窮状態に陥るだろう。大勢の人びとに利益をもらすような本物の計画のもとで世代から世代へ引き継ぐかたちで石油基金を使えばあるいは持続性が出てくるかもしれない。しかし東チモール政府は強力に成長する包括的な経済を相変わらず自慢している。もっとも何人の政策決定者が自らの言いふらしを信じているのか疑わしいが。
 一方、非石油部門の経済を発展させなければならない緊急性に気づく人も出てきた。2014年2月初旬、2014年度予算を承認するさいにタウル=マタン=ルアク大統領は国会に書簡を出した。それにはこう書かれている。「いま一度わたしは、石油基金に過剰依存する政府歳入にたいし懸念を表明する。この状況を改めることは緊急課題であるとわたしは確信している……多様性のある経済発展のための政策を講じることが必要であると考える……」。
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失われた世代にするな

 共同開発区域で掘削されている石油・ガス田はあと数年で枯渇する、このままのお金の使い方を続ければすぐに石油基金がなくなる、このような指摘はよくききます。「石油基金は資源の呪いを東チモールから振り払えるか?」(以下、「石油基金は…」)では石油・ガスはあと6年しかもたず、その後5年以内つまり2025年までには石油基金も底をつくだろうと指摘しています。ということは限りある資源を使えるのはあと約10年しかないということになり、石油部門に依存する状態から抜け出さなければならないのはまさしく急務ということです。なるほどたしかに新たなガス田として「グレーターサンライズ」田が期待されていますが、現在、オーストラリアと国際司法裁判所で争っている複雑な事情を考えれば、しばらくは計算できる財源にはならないと見るべきでしょう。「石油基金は…」では「グレーターサンライズ」田からの利益をもし仮にオーストラリアと半半で分け合ったとして、得られる総額は長期的に国家を支えることのできる額でもないし、そもそも東チモ-ルはブルネイやサウジアラビアのように諸問題を払拭できるほど石油・ガスの埋蔵量を有していないと注意を喚起しています。そして新たな油田・ガス田の発見を夢見る東チモールの石油関係者を突き放しています。

 東チモールの2011年GDPは、石油部門が77%、非石油部門が23%それぞれ占め、非石油部門のうち農業生産と工場生産の合計が占めるのはわずか4%であり、これは独立以降最低の数字だというのですから驚きです。むしろフレテリン政権時代の方が石油基金を使ったシャナナ連立政権下よりも生産のGDPが高かったということは、つまり東チモールは生産性において発展していないといえるのです。これぞまさに「資源の呪い」といえましょう。

 東チモール政府が石油基金の高額な数字に惑わされ、侵略軍が撤退してから生まれた子どもたちに十分な投資をすることを忘れ、この子たちを「失われた世代」にしてしまうことは断じて許されません。ましてや「時限爆弾」にするのは言語道断です。

 シャナナ首相が辞任する/しないに気をとられている暇はありません。東チモール政府が大規模計画を見直し、地味だが必要不可欠な分野への投資に重点を移すという勇断ができるかどうか……注目点はそこにあります。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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