子どもたちに安全な給食を
学校給食で食中り
10月14日、首都のコモロ地区にある「8月30日」校という名前がついた「中央基礎教育校」と呼ばれる小中一貫学校の生徒多数が、魚料理の給食が原因とおもわれる食中(あた)りで身体の具合が悪くなり、国立病院に搬送されるという事件が起こりました。
この日、わたしは久しぶりビラベルデの昔の下宿先のロザさんの顔を見るために彼女の経営するヘアサロンにおじゃましたところ、ロザさんがこれを話題にするほど巷に広がったニュースでした。各新聞も第一面で大きく報じました。
『チモールポスト』(2014年10月15日)より。「魚で465名の生徒が食中り、49名が重症」。
なお右下の記事の見出しは「国会、ビセンテ=グテレスの免責特権解除を待つ」。グテレス国会議長の起訴について報じている。『テンポセマナル』がこの汚職事件を報じたあと、各新聞も後を追うようになった。大臣や国会議長が起訴される事態になり、野党フレテリンの国会議員は「いま国家が問われている」と語っている。
各紙の内容をまとめるとこうなります。10月13日午後4時、当校の給食係りがティバール(首都の町から30分ほど車でリキサ方面に向かったところにある村)の漁民から大きな魚(インドネシア語でトンコルと呼ばれる大きな魚、マグロ)二匹を180ドルで購入し、翌14日の朝5時にウロコをとるなどして洗い、そして細かく切り調理にかかり、当校の7年生と9年生の生徒たち477名(『インデペンデンテ』)あるいは465名(『チモールポスト』)が14日10時にこの料理を給食として食べたところ、30分後に生徒が身体の不調を訴えだし、150名(『テンポ セマナル』)あるいは115名(『ディアリオ』)の生徒が国立病院に搬送され、このうち47名(『インデペンデンテ』)あるいは49名(『チモールポスト』、『ディアリオ』)の生徒が重症で救急病棟にて治療を受けたのでした。亡くなった生徒が出なかったのは何よりです
各新聞によって生徒の数がちょっと異なりますが、症状の描写は一致しています ―― 顔が赤くなり、身体が痒くなり、吐き気がした。『ディアリオ』によれば、調理した人も手や身体が痒くなったといいます。『テンポ セマナル』は、「子どもたちは勉強しに学校にきているのであり、教育省からの毒を口にすることを学ぶためではない」と涙ながらに訴える教師の怒りを紹介しています。
原因は何か? 魚それ自体にあったのか、保存の仕方あるいは調理の仕方に問題があったのか…季節が比較的涼しい乾季とはいえ30℃前後の気温が続く土地柄ですので生鮮食品の保存・調理・衛生管理には細心の注意が必要不可欠です。そして今度こそ原因を科学的に突き止めて対策を講じてほしいものです。
「今度こそ」というのは学校給食を口にした生徒が身体の不調を訴えることは過去にも2~3回起こっていて、いずれも原因も明らかにされず対策も講じられないままにされてきたからです。魚料理の給食で生徒が具合を悪くしたのはバウカウ地方のケリカイで過去に起きました。魚料理ではありませんが、給食が生徒の体調を悪くした最初の事例はラウテン地方のロスパロスで発生しました。『テンポセマナル』の主宰・ジョゼ=ベロ君によれば、どの件も関係者の責任のなすりあいに終わっているとのことで、ロスパロスの場合は殴り合いになろうとしたほどだといいます。
シャナナ=グズマン連立政権が成立して以来、給食制度は学校教育において重要な位置づけとされていますが、給食は不調、学校に食べ物なし、給食停止……などなどのタイトルがついた記事があきもせず最近数年間えんえんと新聞に載り続けています。一方で第一期シャナナ連立政権の教育大臣が汚職の罪で起訴され裁判沙汰になっているのですから(『東チモールだより 第279号』参照)、先述の教師の発言のように教育省に怒りをむける気持ちももっともだといえます。
予算が足りないからではなく、予算を執行する行政管理の誤り・未熟さによって東チモールの一般庶民はまともな行政サービスの恩恵にあずかるにはまだまだいたっていません。この国の最重要課題は教育制度の確立であり、貧しい子どもたちにも学習の場で栄養ある食事をとってもらう給食制度はその要であるはずですが、大人たちの怠慢で制度の確立ができないだけでなく、繰り返し食中りを起こすとはなんとも嘆かわしい……必要以上に豪華な省庁の建造物を見るたびに、どうしてもこのような感情が沸いてきてしまいます。
学校給食で食中りが発生した一方で、「国際食糧デー」を祝う展示会がモタエル教会近くに位置する「ボルジャス公園」にて農水省主催で開かれた。皮肉である。政府や市民団体の「食」にたいする取り組みを展示するテントが並んだが、閑散としていた。
2014年10月15日、首都の「ボルジャス公園」にて。ⒸAoyama Morito
給食制度は子どもの心の負担を軽くする
町を歩いて学校の前を通るとき、大勢の元気のよい子どもたちの姿を見ることができます。インドネシア軍による占領時代の悲惨な様相とはまるっきり違う希望に満ちた風景を見ると、なんともいいようのない幸福感にひたることができます。ここに到達するまでためどれほどの尊い命が犠牲になったことでしょうか……東チモールの日常風景のなかに、人は歴史を変えることができるという明確な証が力強く示されています。
一瞥して幸福感あふれる風景でも、よく観察すると悲しいかな貧富の格差を見てとれます。どの学校の校門にも、屋台や簡単な店が、揚げ物や果物(細長く切ったマンゴーの袋詰め)、手製のアイスキャンディーなどの食べ物が売られています。一品、5セントか10セント程度の値段がします。帰宅する時間となると、とくに小学生ですが、食べ物を買ってはしゃぎながら満面の笑顔で食べます。しかし買い食いできる子もいれば、そうではない子どももいます。授業が終わって家路に向かうときに買い食いできるかどうかの差はまだましです。授業と授業の間に、つまり本来ならば給食時間であるのに給食が出ないから生徒が自分のお金を使って屋台や店から食べ物を買わなければならないとき、お金のある子とない子に大きな差が出てしまいます。
ベコラの学校のある生徒に話を聞くと、まえは給食があったがいまは止まっている、12月にはまた始まるはず、といっていました。「給食がないなら昼はどうしているの」ときくと、「パンを買って食べている」、「ゆで卵を買って食べた」とかえってきました。「そのお金は家からもらっているのでしょう?」とわたしがきくと、「そう」、「食べ物を買うお金を持っていない子もいるんじゃないの」ときくと、「たくさんいるよ」との回答です。「そういう子はどうしているの」ときくと、「遊んでいる」といいます。食べ物を買えなくて、ただ遊んで気を紛らわす子どもたちはさぞ辛い想いをしていることでしょう。またある子は「わたしが助けてあげる」といいます。食べ物を買える子たちが買えない友達に食べ物を分けているようです。
安全な学校給食を子どもたちに一律提供して、将来を担う子どもたちの負担を軽くしてあげてほしいものです。今回の「8月30日」校の“食中り”事件をきっかけにして、子どもたちの学習環境が大きく改善されることを願います。
恩給について
前号の『東チモールだより』で、解放闘争に参加した人に与えられる恩給について少し触れましたが、もうちょっとこれについて述べたいと思います。
わたしがきいた話によると、元戦士に与えられる恩給は四つの順位に分類されます。最高位は20~24年間戦った人に与えられる恩給で、次に15~19年戦った人への恩給、その次は8~14年戦った人への恩給、そして3~7年戦った人への恩給です。最高位の恩給が月額450ドルで、これを受給しているのは98名だけ。24年間戦った人が百名弱というのは東チモールの現実を反映していないのは明らかです。そして15~19年戦った人への恩給は月額300ドル半ば、8~14年戦った人への恩給は月額200ドル半ば、3~7年戦った人への恩給が約200ドルです。元戦士への恩給についてはそれを担当する政府機関があり、恩給を受けるにはそこへ登録しなければなりません。
ところで抵抗運動時代、わたしのような外国人と接触して解放軍との連絡役を務めるという危険極まりない活動をしたジョゼ=ベロ君の果たした役割と危険度に則すれば、恩給の順位は高位水準に属して然るべきだとわたしには思えますが、かれは三度にわたりインドネシア軍に捕まり拷問を受けました。例えば二度目に逮捕されたのはデモを指導した1995年1月のことです。ジョゼ君が激しく殴られていた様子がオーストラリア人によって目撃され、そのことがオーストラリアの支援団体に伝わり、獄中のジョゼ君らデモ隊16名の声明文とともにかれらを救おうとする運動がオーストラリアから起こりました。いま振り返れば懐かしささえ覚えます。
ジョゼ君に「いまあとの15人はどうしているのかな」とわたしがきくと、「一人が二年前、交通事故で亡くなったが、あとは全員元気だよ」とのことです。詳しくきくと、会社の経営者になって破産した者や、会社員や警備員、政府職員、悠々自適の隠居状態の者、オーストラリアに留学中の者、F-FDTL(東チモール国防軍)の兵士だったが陳情兵士となった者(陳情兵士については、拙著『東チモール未完の肖像』〔2010年、社会評論社〕を参照)、警察の上官になった者、港の職員などなど、それぞれその後の人生を歩んでいます。そしてかれら16人のうちジョゼ君以外はみんな恩給をもらっているとのことです。ジョゼ君は「説明がうまい人が得をする」と、恩給制度に疑問をもち登録を拒んでいます。かれの話をきくとかれは闘争の価値を現金に換金することが気に喰わないようです。ジョゼ君は自分のような立場をとる人間がどれほどいるのか多くいるのかはわからないといいます。活動の年数と内容が必ずしも一致するとは限らないし、政府機関へ太いコネを持っている人が得をするという差別を生んでいる可能性があります。
教育制度を含めて国づくりがうまく進まない要因は、東チモール人が軍事占領時代に被った心の傷の癒しが適切にされていないことではないかという仮説を、わたしはこの『東チモールだより』で繰り返し述べてきました。恩給制度の話を聞くと、癒しを与えるはずの恩給がもしかすると心の傷に塩を擦りつけているのではないかという気さえしてきました。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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