青山森人の東チモールだより 第287号(2014年12月26日)

2015年は変革の年

辞任意向表明から1年1ヶ月、内閣改造を約束してから4ヶ月

 『ディアリオ』(2014年12月19日、インターネット版)によると、シャナナ=グズマン首相は12月18日の記者会見で「変革する時がきた」と表明しました。「いま一度わたしは約束する、変革する時がきた、再構築する時もきた、そして信頼への道を拓く時もきた、われわれは人びとの信頼が必要だからだ」とシャナナ首相は語ったのです。

 しかしどのような決定がされるかは(発表を)待ってほしいといい、「変革」の具体的な内容は明かさなかったようです。「変革」や「再構築」とは何を意味するのか、「決定」とは何を決めるのか。少なくとも、8月のCNRT党大会で公約した内閣改造のことは忘れてはいないこと、2014年に首相の座を辞するとおよそ1年前に自ら発言した事実も放ったらかしにしているのではないことをシャナナ首相は示したと考えてよいでしょう。

 首相は去年11月に2014年に辞任すると自ら語り、8月のCNRT(東チモール再建国民会議)党大会では内閣改造が辞任よりも優先すべきであると決まったときは、当然、両方とも2014年の内のうちに実行されるのかとわたしは思いましたが、今年もあとわずか、年もおし迫り、年内で両方とも無理です。「変革」も「再構築」も来年2015年に行なわれるものと信じるとシャナナ首相はこの記者会見で語っています。結局、今年に実行されるかとおもわれたことは来年に持ち越されました。「時が来た」というよりは「時は延ばされた」という方が正確な表現です。

 さて、またシャナナ首相は、「2015年はまさに変革の年になるだろうと思う。しかしそれはすでに言及したことだけではない。世論を巻き起こすことになるだろう」となにやらもっと大きな変革・改造がされるかもしれないという含みのある言い方をしています。

 シャナナ首相は自分たちの世代から次の世代への国の舵取りを引き渡すことについて、マリ=アルカテリ元首相やジョゼ=ラモス=オルタ前大統領とル=オロ元国会議長と会談したとして、こういいます―――「わたしは君たちや同僚や仲間たちに、(決定がされたときに―青山)驚かないでほしいと頼みたい、奉仕者として時があなたがたを呼んであなたがたの時が来たのだといっているのだから」。これだと、自らが退くことによって世代交代を断行する決意であるかのようにきこえます。

 しかし実はそうでもないとわたしは察します。上述のマリ=アルカテリ元首相らとの会談では、いかにして旧世代が新世代を支援して国家運営に参加していくかが話し合われたとシャナナ首相がいうのです。この「参加」という言葉はごく一般的な意味での政治参加ということではなく、制度上の権力を有した立場での「参加」かもしれないからです。このことはすでにと見出しを付けた「チモールだより第259号(2014年2月13日)総与党状態の怪しげな政局」でわたしは述べましたが、政治の仕組みを変えるための「憲法改正」がシャナナ首相・マリ=アルカテリ元首相そしてラモス=オルタ前大統領たちの念頭にある可能性があります。

不安定化の予防か「表現の自由」の弾圧か

 シャナナ首相が辞任の意向を表明したのは、オランダから帰国したかつての解放闘争の戦士だったマウク=モルク氏らと1980年代の運動の考え方の違いについて公開討論する場においてでした。そのマウク=モクル氏の団体「マウベレ革命評議会」が軍服を着てシャナナ連立政権の腐敗を批判する政治活動を、社会不安を煽る行為として政府の気に障り、今年3月3日、国会は「マウベレ革命評議会」(ともう一つの団体CDP-RTDL=東チモール民主共和国-大衆防衛評議会)を非合法と認定し活動停止をさせる決議を満場一致で採択しました。その後、これらの団体の支持者と警察が撃ち合う事態に発展し、国軍F-FDTLが警察と合同して事態の沈静化を図らなくてはなりませんでした。こうしたなかでマウク=モルク氏は逮捕されベコラ刑務所に拘留されたのです(「第264号(2014年4月12日)はじかれた人たちの憂鬱」と「第265号(2014年4月19日)たしかに理屈ではそうだが……」を参照)。そのマウク=モルクとかれの同僚がこの12月13日に釈放されました。

 マウク=モルク氏の弁護士は『テンポ セマナル』によるインタビューのなかで、マウク=モルク氏の約9ヶ月の拘留は憲法違反であり人権侵害であると政府と司法を批判しています。「マウベレ革命評議会」の人員18名が起訴され、そのうちマウク=モルク氏ら2名だけが刑務所に長期間拘留され、残り16名は拘束されません。これは影響力のある2名の口を封じるためと思われるが、法的根拠のない措置であると弁護士は語ります。被告18名の裁判はいまだ行われていません。弁護士によればば、「マウベレ革命評議会」が家宅捜査をうけたときは、銃や山刀などの武器は発見されませんでした。かれらの口から出る政治的な発言だけが “武器”だったことになります。

 政府によるマウク=モルク氏らにたいする措置とは、政府にとっては社会不安定化の予防策と考えられる反面、「表現の自由」「言論の自由」の弾圧と考えることもできるのです。

明日は我が身

 この弁護士の発言でわたしが興味深いと感じたのは、団体の解散を決めた国会決議を適用することは憲法違反・人権弾圧であると反対した検察官・裁判は外国人を含め誰もいなかったということです。その外国人検察官・裁判官は、10月24日の国会決議により国外へ追放されたのです。そして検察側が汚職にたいする闘いとして準備してきたエミリア=ピレス財務大臣やビセンテ=グテレス国会議長の裁判手続きに大きくつまずくことになったのです。

 もし司法が団体の解散を決めた今年3月の国会決議の適用にたいし憲法上問題があると何らかの行動をしていれば、10月の立法府による司法への干渉もやりにくかったかもしれません。「マウベレ革命評議会」にたいしてならば憲法上問題ある決議でもやむを得ないと司法が大目に見ていたとしたら、自ら墓穴を掘ったというしかありません。たとえ主義主張が異なる個人・団体であっても不当な弾圧をうけているときに然るべき行動をとらなければ、いずれ自分の身に火の粉がふりかかることになり、そのときはもう手遅れになってしまう……マウク=モルク騒動から外国人裁判官・検察官追放騒動を観るとこのような世界共通の歴史的教訓を思い起こしてしまいます(集団的自衛権容認が閣議決定され、特定秘密保護法が公布された日本においては、誰にでも “火の粉”がふりかかりやすい状態になってしまった)。

 そしてマウク=モルク氏らへの法的根拠のない9ケ月もの長期間の拘束の先にあるのは、「メディア法」による「言論の自由」「表現の自由」そして「報道の自由」の抑圧です。1980年代にオランダに渡ったマウク=モルク氏に反対の立場に立つ者でも、確固たる法的な根拠もなしに同氏にたいする自由の束縛を傍観すれば、明日は我が身、次は別の東チモール人に弾圧がかぶさることでしょう。政府批判をする個人・団体を社会不安定化分子とみなす傾向が漂っているのがとても気になります。

 2015年が、東チモールにとって、自由が抑圧される「変革の年」ではなく、良い意味での「変革の年」になることを切に祈ります。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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