青山森人の東チモールだより 第289号(2015年1月22日)

者らの暴力、警官が拘束され、そして アメリカ大使館職員宅への爆発物

抗争を続ける格闘技集団
 東チモールはこの年末年始をまたいで不穏な暴力事件が連続的に発生し、明るい話題で新年が包まれているというわけにはいかないようです。

 まず2014年12月22日、バウカウ地方でいわゆる格闘技集団あるいは武闘集団と呼ばれる若者らの集団同士が衝突し、1人死亡し、1人がケガを負いました。この日から年末年始をとおして、喧嘩の度合いを超えた若者たちの衝突によって、3名が死亡し、5人が重傷、7軒の家が放火されるという被害が出ました。

 この格闘技とは、その呼び名から連想されるように格闘技の世界で生きる者たちの集まりではなく、暴力団、ヤクザ、“ワル”の仲間たち、という要素を少しずつ含んだ若者たちの縄張り集団です。もともとはインドネシア軍事支配下でインドネシア軍がつくった集団ですが、実際には解放運動に貢献したといわれています。

 政府は格闘技集団同士の抗争で死傷者が出たことを重くみて、1月13日、政府庁舎に格闘技集団出身の国防軍(F-FDTL)兵士と警察(PNTL)官を集め、国家に忠誠を誓わせる式を行ないました。格闘技集団に属していた若者らが兵士や警察官として抗争に巻き込まれることのないようにするための予防策でしょうが、これがかれらの抗争を鎮める策として効果があるかどうかは疑問です。

 若者たちが暴れるのは――わたしのような外国人から見える程度の根本原因としていえることですが――解放闘争の指導者たちによる国づくりに自分たちが置き去りにされているという疎外感・不満・不安・憤りなど、やるせない感情のある種の表現です。1999年9月に侵略軍から解放され喜びに満ちた若者たちは、その年末から2000年にかけて、いままで命をあずけてきた指導者たちが背中をくるりとそむけて国際社会だけを向きはじめたことに呆然となり精神的ショックをうけたのです。酒を飲んでは暴れて(たいした飲酒量でない)、「俺たちはこれからどうすればいいのかわからない」と泣きながらわたしに訴えていた若者たちの顔がいまでも忘れられません。シャナナ=グズマンをはじめとする解放運動の指導者たちは若者たちに随分と罪なことをしたものです。指導者たちはその“ツケ”をしっかりと正しく支払うべきなのです。自ら死を選ぶ若者の問題にかんしてもそうですが、子どもたち・若者たちへ社会参加をさせる適切な制度を創ることがまずは必要です。

 なお、若者たちの抗争の真の根本原因として、土地に根ざした人びと同士のあいだで昔から存在する対立要素が絡んでいるかもしれないことを付け加えておきます。

解放闘争路線の引きずる違い
 1月15日、またバウカウ地方ですが、ラガのサエラリという村で、去年11月に保釈されたマウク=モルク氏が(マウク=モルク氏については「東チモールだより」 第264号・第265号・第287号を参照)、なんと警察官2名(男女1名ずつ)を拘束し、ピストルを奪うという事件が発生しました。格闘技集団同士の抗争が荒れる若者たちの問題とすれば、これはさしずめ1980年代の解放闘争の覇権争いを引きずるいい年をした大人たちの問題といえましょう。

 1月15日、警察官2名を拘束したマウク=モルク氏に『テンポ セマナル』は電話インタビューをしています。マウク=モルク氏によるとこうなります――旗(国旗、フレテリンの党旗、解放軍の旗)の掲揚にかんして話し合うために16日にバウカウ地方のジョゼ=ネタ=モク警視がやってくるはずだったのに、午後4時、突然、警察部隊の車両2台が突っ込んできて、自分たちを殺そうとして発砲して逃げ去った。こちらは武器はないので石や木を投げて応戦した。2名の警官はケガをして逃げられなかったので、かれらを捕まえて手当てをし、ピストルを押収した。突っ込んできた警察の車について住民は怒って燃やしてしまった――。

 去年3月、マウク=モルク氏の団体「マウベレ革命評議会」は国会決議によって非合法と認定されたので、たぶんマウク=モルク氏らが自分の滞在場所で国旗を掲揚する行為は禁止されているのでしょう、それでもなお旗の掲揚をするので、あるいは掲揚しようとするので、バウカウ地方の警察が動いたということだと思います。

 警察部隊の行動が適切だったかどうかはともかく、保釈中のマウク=モルク氏とその仲間が警察官2名を捕まえて、武器を押収し、警察の車も燃やしたとなると重大な犯罪行為と国家はみなします。ジョゼ=ラモス=オルタ前大統領や国会議員たちはマウク=モルク氏を強く非難します。

 1月16日、早朝5時、警察部隊は警官2名を救出するためにマウク=モルク氏の隠れ家を取り囲んだところ、マウク=モルク氏はすでに姿を消し、警官2名は無事救出されました。シャナナ首相(防衛治安大臣を兼任)と国軍のレレ=アナン=チムール司令官も現場に駆けつけました。この騒ぎで地元住民は避難し、学校は休校になりました。この日から、軍と警察が構成する合同部隊がまたしても結成され、マルク=モルク氏とその一味の捜査・逮捕の作戦が展開されています。

誰がなぜ?
 マウク=モルク氏らが合同部隊に追跡されているなか、1月18日、こんどは首都の海岸沿いに位置する高級住宅地の一角でのこと、アメリカ大使館職員の住む家のベランダ近くに手榴弾のような爆発物が何者かによって投げ込まれ、爆発、窓ガラスや外交官専用車が破損しました。負傷者はでませんでした。おりしもアメリカのカレン=スタントン新大使が着任したばかりでした。

 報道では「手榴弾のような爆発物」と断定的な表現は使われていませんが、わたしが得た情報ではその爆発物とは手榴弾とみてよいだろうということです。

 1月20日、シャナナ首相は大統領府を訪れタウル=マタン=ルアク大統領にマウク=モルク氏の件とアメリカ大使館職員宅襲撃事件について報告しました。シャナナ首相は大統領との会談のあと記者たちに、アメリカ大使館の事件は個別の事件でなくマウク=モルク氏の件と関連があると考えられるといいましたが、その関連とは何らかの共通点があるという意味での関連であると注釈をつけました。二つの事件に具体的な繋がりがあるのか、個別の事件なのか、まだ公式には発表されていません。

 それにしても誰が何の目的でアメリカ人外交官の家に爆発物を投げ込んだのでしょうか。一連の流れからすれば、治安を乱し、東チモールの外交的地位に泥を塗り、東チモール社会の不安定化を煽るためのマウク=モルク氏一派の仕業と考えることができます。1月15日、『テンポ セマナル』にマウク=モルク氏は「東チモール全体にわたしは知らせる、革命はいま始まったと」と語っていますから。

 しかしまだなんともいえません。もしかして世界的なテロ動向に同調した、アメリカを狙ったテロ行為でしょうか……?

 いずれにしても東チモール人が血の河を流して獲得した平和の土地で、いかなる暴力も断じて許されるものではありません。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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