第六次立憲政府は新首相のもとで
シャナナ首相の辞表をタウル大統領が受理
前号の「東チモールだより」でお伝えしたとおり、2月に入ってから内閣改造と首相の辞任にかんして、政府・大統領府・政党各党のあいだで慌ただしい動きがありながらも、2月5日までは公式発表はありませんでした。しかしついに6日、政府から正式な発表がでました。東チモール政府のホームページからその発表(2月6日)を読むことができます。簡約すると以下のようになります。
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政府はカイ=ララ=シャナナ=グズマン首相が大統領に辞表を送ったことを確かとする。
現在、大統領は辞表について対応を検討しているところである。
法律の定めによると、首相は新しい首相の就任をもって任期終了となる。
首相は現政府構成員たちに新政府が発足するまでの移行時でも平常どおり業務にあたるように激励している。大統領はすべての政党と国家評議会の意見をききながら憲法にのっとって手続きをおこなうであろう。
第五次立憲政府国務省のアジオ=ペレイラ大臣は、指導者シャナナが民族解放闘争を最後まで指導し5年間の大統領職と7年半の首相職を完了しようとしているにあたり、政府構成員は、去る者も留まる者も新参入する者も、全員一丸となって国益を優先し、偉大な指導者シャナナの尊厳と遺産に敬意を表わすようにと指示をした。
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この政府発表では首相が大統領に辞表を提出した日付が明記されていません。報道を総合すると、シャナナ首相の一連の行動の流れは次のようになっていたことがわかります。
2月3日、シャナナ首相、次期首相にルイ=デ=アラウジョ氏を指名したことについて、与党各党と最後の話し合いをおこなう。
2月4日、シャナナ首相、与党各党へ手紙を送る。
2月5日、シャナナ首相の辞表が大統領へ送付される。
2月6日、政府、シャナナ首相の辞表が大統領へ送付されたと発表。
そして、2月9日、大統領府はシャナナ首相の辞表を受理したと発表し、これにより今回の政府改革は内閣改造に新首相の選出という作業が正式に加わったことになりました。なお、新政府・第六次立憲政府は今週末に組閣されると報道されています。新政府発足と同時かその後に、国会が新首相を指名し大統領が任命すれば新首相も誕生することになります。
シャナナ首相が送った与党各党への手紙
シャナナ首相が大統領に辞表を送る前日、つまり2月4日、与党三党の代表・幹部に送った手紙を『テンポ セマナル』(2015年2月9日、インターネット版)が公表しています。4枚のこの手紙から、シャナナ連立政権の内側を垣間見ることができます。
まず辞任についてシャナナ首相は指導者の世代交代のためであると述べています。これは2013年末からいわれているとおりです。さて、野党フレテリンのルイ=デ=アラウジョ氏を新首相として指名する理由についてこう述べています。
「かれ(ルイ=デ=アラウジョ氏)には財政制度の深い知識と、あなどることのできない幅広い経験があり、それは専門職員の能力を引き出すことをやり遂げたかれの大臣期間中に示され、そしてかれは人として正直である。これら三つの要素がかれを指名した根本的な理由である」。
「政府首脳として理論的・技術的そして専門的な準備があり、移行に必要な『安定した政治』を保障できる人物を連立政権内から見つけることができなかったことを正直にお詫びする」。
つまり「財政制度の深い知識」「幅広い経験」「正直」という根本的な三要素を持ち合わせ、「安定した政治」を保障できる人材が、CNRT(東チモール再建国民会議)・民主党・改革戦線の連立与党にはいなく、野党フレテリンにはいたと連立与党率いる首相が述べているのです。
このようなシャナナ首相の決断について与党内で議論が起こっていたことがこの手紙からうかがい知ることができます。
「昨日(2月3日)わたしは“合法性”という議題がのぼる理由を受け入れたが、本日(2月4日)、 “内閣改造全体”を考え語ることが不快に感じることのないように、わたしはその論議を回避する。わたしとしては“人選”にかんするわたしの意見の背景にある考えは幾度となく十分に明確に示したと考える」。
「わたしは、なぜ政府にフレテリンの助けが必要なのかという受け入れがたい懸念を、完全な感情移入でもって理解する」。
「わたしは、『政府は選挙の結果である』ことが、連立政権外であるフレテリン中央委員会の人物が政治指導することによって尊重されないという議論を完全な連帯をもって理解する」。
連立政権内での意見の違いがあることを「わたしは、1年以上も考えられてきたこれらの懸念と議論を拒否するものでない」と認めたうえで、次のようにシャナナ首相は自分の選択を貫く意志を示します。
「わたしは繰り返す、わたしの選択は第六次立憲政府の首相としてルイ=アラウジョ氏に下されたのである」。
「正直にいうと現実的にわれわれはこの件を議論する会合をこれ以上開く必要はない。時間はわれわれの心配をよそに、そしてわたしが思うに、われわれ諸政党の要求を熟考しないままに、無慈悲に流れていく」。
かくしてシャナナ首相は「したがって明日、2月5日、わたしは大統領に辞表を送る」と決断します。
自分の意見を押し通すシャナナ流の強引な指導力あるいは表現力には、善し悪しは別として、非常に興味深いものがあります。
融和と混乱
前号の「東チモールだより」でも紹介しましたが、東チモール国軍(F-FDTL)のレレ=アナン=チムール司令官がシャナナ=グズマンが改造をおこなうのはこれが二度目で、一度目は抵抗運動時代の1984年のことであるという発言をしました。二回の改造には移行期・過渡期が鍵となっている共通点があります。
今回の改造は世代交代という過渡期に対応するものであり、前回の1980年前半の改造とは、1970年代フレテリン主導で始動された民族解放運動が大インドネシア軍の軍事力を前にして態勢を立て直さなければならないという事態に対応したものでした。1980年前半、フレテリン中央委員会のシャナナ=グズマンは、フレテリンのやり方では人びとを解放に導けないとして、フレテリンから離脱、民衆参加の運動を目指して新たな組織づくりをしていきます。その結果、1980年後半にはフレテリンの軍事組織FALINTIL(ファリンテル、東チモール民族解放軍)を全東チモール人に奉仕するゲリラ部隊としてフレテリンから切り離し、フレテリンも諸政党の一つとして参加する闘争の最高機関CNRM(マウベレ民族抵抗評議会)を創設し、全東チモール人を代表する組織として国際社会へ紛争の解決を訴えていくことに成功しました。CNRMはのちにCNRT(チモール民族抵抗評議会)と改組され独立へ導いたことは周知のとおりです(現在の政党CNRTは頭文字を同じくしただけで連続性はない)。
したがって同じ改造とはいっても、侵略軍によって大勢の人びとが虐殺されている戦況下のものと、現在の世代交代という平和的な状況下でのものを比較するのはやや乱暴かもしれませんが、シャナナ=グズマンという人物によって断行される大胆な改造という点と、やはりフレテリンが絡んでいるという点で共通点を察知しないわけにはいきません。
1980年代の運動体の構造改造でシャナナ=グズマンはフレテリンから離れ、かといって切捨てることはせずフレテリンを包括する組織づくりをめざします。フレテリンに強い愛着を抱く者にとって、フレテリンから離れてこのような行動をとるシャナナは裏切り者で謀略家と映ります。そしてまた、マウク=モルク氏のようにシャナナによって運動からはじかれた者の恨みはくすぶり続け、過去は現在に蘇りいま騒動を起こしている最中です。2006年の「東チモール危機」ではフレテリン政権とシャナナ=グズマン大統領との対立が鮮明に露呈しましたが、その根っこには、1980年代のシャナナによる組織改造にたいするフレテリンの恨みがあります。シャナナ=グズマンの行動は誰をも包み込む融和の行動に見えますが、のちのち面倒が起きる種を蒔いているとも歴史をみればいえなくもありません。
2000年のこと、現F-FDTL幹部でレレ司令官と地位が接近している元ゲリラ司令官がわたしにこういいました。「シャナナは誰とでも握手をするが、シャナナがその場から去ったあとに混乱が生じる」。
今回の政府改造は、2006年の「危機」をきっかけとして、当時のシャナナ大統領がフレテリンから政権を奪うために立ち上げた政党CNRT(東チモール再建国民会議)と、それと連立を組む政党で構成される非フレテリン(あるいは反フレテリンというべきか)勢力には人材がいないとシャナナ首相自身が結論し、フレテリンから首相を含め数名の大臣を招き入れるという、いわば非フレテリン態勢の解体という意味があります。フレテリンから距離を置き始めた1980年代の改造とは逆向きなのが興味深いところです。
さて、アジオ=ペレイラ国務大臣(日本でいう官房長官)も首相候補であると示唆する新聞記事もありますが、ルイ=アラウジョ氏の首相指名について与党各党は協力姿勢を示しているようです。しかし2007年から非フレテリンの連立政権として協働してきた人たちのなかには、シャナナ首相によって一方的に切り捨てられたと感じる人もいるのではないでしょうか。シャナナ流の指導力が現在の東チモールの民主主義にとってどのように作用するのか、将来の反作用を予測しながら慎重に見ていく必要があります。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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