青山森人の東チモールだより 第297号(2015年3月23日)

公用語か母語か その2

言語論争のおさらい(訂正を含めて)

 前号「東チモールだより」で近ごろ論争を呼んでいる言語政策について、「ポルトガル語を第一言語として第三学期に限って試験的に基礎教育に導入するという取り決め」とわたしは書きましたが、わたしの友人であるポルトガル語の専門家にポルトガル語の記事をみてもらったところ、正しくは「ポルトガル語を第三サイクル以降になって初めて主要言語と位置付ける二つの法令」となることがわかりました。訂正してお詫びします。「第三学期」は誤り、第三番目の学習課程という意味の「第三サイクル」が正しい。

 したがって前号「東チモールだより」でお伝えした言語問題のあらすじを書き直すとこうなります――2014年6月、国会はポルトガル語を第三サイクル以降になって初めて主要な言語と位置付ける二つの法令(一つは小学校入学前の教育について、もう一つは第一と第二サイクルの基礎教育について定めたもの)を決議し、11月それら法令が公布され、2015年1月、政府はその二つの法令を有効にするという決定をした。これらの法令の有効性を無効にするための審議をする評価議会が2月24日に開かれる予定だったが一週間の延期となり、その間、2月26日、ビセンテ=グテレス国会議長はこの法令には反対で、外国人と国連機関は東チモールの選択した言語の基本戦略に妨害をしないで敬意を払ってほしいと発言。これにたいしカースティ=グズマンさんは、国会議長は遠隔地には公用語をよく話せない子どもたちがいることを忘れている、東チモールはポルトガルの植民地ではない、国会議長には国益を守る義務、とくに子どもたちがよりよく知っている言語で教育を受ける権利を守る義務があると批判する。一方、この法令の有効性を取り消すための評価議会を3月3日開いたところ、最大政党CNRTは法令は決定事項だとして退席した。

母語を導入する新しい取り組み

 3月3日、評価議会でのソアレス教育副大臣は、法令はポルトガル語を差別するものではなく、この国の現実に対応したものであると法令を擁護し、そして「学習を容易にするため必要なときに母語を使用する。これは母語を学科とするという意味ではなく、学習過程で必要なときに使う教えるための言語という意味である」と考えを述べました。ポルトガル語教育をテトゥン語とともに小学校入学前に早期に教え、小学校1~2年でポルトガル語を口頭で教え、3~5年生にポルトガル語を口頭と筆記で教えることを政府は考えていると副大臣は語ります。「その目的は第三サイクルになったときにテトゥン語とポルトガル語の二つの公用語の基礎をしっかりもってもらうことであり、12歳になってポルトガル語の学習を始めるのではない。6歳で(ポルトガル語の学習を)始め12歳になったときにしっかりとした知識を持つのである」(この文脈からして「第三サイクル」とは小学校6年生・12歳以降の学習課程ということになる)。

 したがって政府の立場からすれば、現実にあわせてポルトガル語を含めた公用語教育を改善させるための法令なので、ポルトガル語教育を格下げするのは憲法違反だとして法令の有効性を無効化する議員たちは意味を誤解しているということになるのです。

グズマン夫人に反発する国会議員たち

 ビセンテ=グテレス国会議長の発言にたいするカースティ=グズマンさんの批判―「国会議長は遠隔地に二つの公用語をよく話せない子どもたちがいることを忘れている、東チモールはポルトガルの植民地ではない、国会議長には国益を守る義務、とくに子どもたちがよりよく知っている言語で教育を受ける権利を守る義務がある」―にたいし、今度は国会議員から批判をうけることになりました。カースティ=グズマンさんの発言のどこがいけないのでしょうか。

 CNRTのナタリノ=ドス=サントス議員は、東チモールは自由であり、もうとっくにポルトガル植民地ではない、言語の決定は自由な国会によってとられ、植民地主義はこの問題とは無関係だ、とグズマン夫人の発言を批判します。民主党のルルデス=ベサ議員は、グズマン夫人の発言は意味をなさない、東チモールはもうとっくにポルトガル植民地ではないのは明白でオーストラリアの保護領などでもない、とやはりグズマン夫人の発言「東チモールはポルトガルの植民地ではない」という部分に過敏に反応しています。植民地支配を長年うけ宗主国からの影響を否が応でも複雑にうけてきた土地の人間にとって、ポルトガル語を使うことが即ポルトガル植民地主義的だとする論調はあまりにも軽薄に映るようです。フレテリンのデビッド=シメネス議員はこういいます―ポルトガル語の使用と植民地主義の問題を結び付けようとすることは完全に間違い、東チモールがいまだにポルトガルの植民地だとは誰もいわない、ポルトガル植民地として東チモールでのポルトガル語使用を関連させるは誤りだ、それではオーストラリアはまだイギリスの植民地で、持ち込まれた言語を話すことがすべて植民地的となる―。

 以上はポルトガルの通信社「ルサ」の記事をまとめたものです。実はわたしはカースティ=グズマンさんの「東チモールはポルトガルの植民地ではない、だから…」という部分の原文を読んでいません。どのような表現が使用され、東チモール人の反発を招いたのかはよくわかりません。しかしデビッド=シメネス議員の「ポルトガル語の使用と植民地主義の問題を結び付けようとすることは完全に間違い」というのが議員たちの要点であることは間違いないと思います。

シャナナ=グズマンとカースティさん、離婚を発表

 驚きました! 3月21日、独立の英雄・元大統領で前首相のシャナナ=グズマン計画戦略投資相とカースティ=グズマンさんは離婚を発表しました。したがってこれからはグズマン夫人ではなく元グズマン夫人といわなくてなりません(上記の[グズマン夫人][カースティ=グズマン]の記述は当時の“肩書き”ということでご勘弁)。

 1990年代、ジャカルタの獄中につながれていた最高指導者シャナナ=グズマンと接触しながら支援活動をしていたカースティさんは2000年にシャナナ=グズマンと結婚、三人の子どもを授かりました。カースティさんは東チモール独立以降10年間ファーストレディを務め、東チモールの民間団体で主に女性の自立支援事業に取り組む「アローラ財団」の代表でもあります。東チモール教育親善大使でもありユネスコが薦める母語導入にも参加してきました。

正面きっての言語論争を望む

 さて言語問題に話を戻します。カースティさんの発言も議員たちの発言もそれぞれの主張は間違っていません。公用語であるポルトガル語とテトゥン語をよく話せない子どもたちがいて、公用語とくにポルトガル語が使われた授業についていけない大勢の子どもたちがいるのは事実であり、ポルトガル語の使用を植民地主義と結びつける考え方は誤りという主張も、ポルトガル植民地主義にたいし闘った者たちはポルトガル語を武器にした歴史を考えれば、当然正しい。そしてカースティさんも誰もポルトガル語を公用語とする憲法条文を考え直すべきだとも主張していません。それぞれの言語にかんする意見に対立する要素はないのですが、言い方・口調に反発したようにみえます。

 母語を試験的に授業に導入する計画が発表された数年前も、外国の介入だと批判が出ると、それにたいし東チモール政府に依頼されて進めた計画であると反論が出たり、この計画には個人的思惑が絡んでいるという陰謀説が出たりするなど、“場外乱闘”の方が熱を帯びたのをわたしは記憶しています。“リング上”ではなかなか議論の応酬に発展しないのが少なくともこれまでの東チモールの言語論争でした。しかし、これまでは限られた地方の限られた学校での母語導入だったのが、今度は全国的に母語を授業に活用される試みがされようとするいま、これからは是非とも政治家だけでなく専門家や知識人・文化人・ジャーナリストそして地方の一般庶民からのさまざまな意見、そして教育の現場の意見、生徒たちや教師たちの意見を集めて言語論争を盛り上げてほしいと思います。

 言語問題は東チモールの庶民にとって関心の高い話題です。子どもたちの教育に反映させるためだとしっかり説明しながらコツコツと政府が地域住民の言語観や意見を聴いてまわることをお薦めしたい。今年は国勢調査の年です。専門家を含めた言語調査員も組織して国勢調査員とともに国じゅうをまわるのがいいのではないでしょうか。そうすることで地方の孤立した農村部の住民も国づくりに参加しているという責任感や充実感を覚えるという好ましい“副産物”が出るかもしれません。

憲法第13条第二項を守って

 東チモール憲法第13条の第一項に「テトゥン語とポルトガル語を東チモール民主共和国の公用語とする」―とあります。政府は公用語とくにポルトガル語に多大な努力を投入してきました。しかし効果はさほど出ませんでした。それどころかポルトガル語は教育の障害だという声も現場から出ました。こうした現状に沿ってタウル=マタン=ルアク大統領は就任当時(2012年)、憲法上のポルトガル語の地位の重要性を強調しつつもポルトガル語を外国語として教える現実策を提案しました。大統領のこの提案が今回の言語政策のきっかけを与えたのかもしれません。ともかく憲法第13条第一項にかんして政府は結果はどうあれ少なくとも守ってきたし、これからもそうすることでしょう。しかし第二項「テトゥン語と他の諸国民言語は国家によって尊重され発展されるものである」―これについてはどうでしょうか。これまで政府は随分とサボってきたといわざるを得ません。これからはこの憲法第13条第二項も第一項と同様に守ってほしいと思います。

 独立して今年で13年目を迎えようとしていますが、いまだに言語問題はポルトガル語を中心として語られている状態です。多数存在する地方語つまり母語の顔がみえる豊かで実りある言語論争が展開され、より良い言語政策に近づけることを切に願います。

                      

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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