喪に服する東チモール
アルベルト=リカルド=ダ=シルバ師、永眠す
東チモールからの報道などによると、この2月までカトリック教会のデリ(ディリ, Dili)教区の司教だったアルベルト=リカルド=ダ=シルバ師が4月2日に永眠し、6日、大規模な葬儀がおこなわれ東チモールは涙にくれたもようです。
写真1 リカルド司教(当時)。
首都のレシデレ区にあるマリア像広場にて、2014年10月13日。
東チモールにいる三名の司教の一人だったリカルド元司教は病気のため昨年オーストラリアに渡り手術をうけ、帰国して今年2月に司教の職を自ら辞し治療に専念していましたが、入院先の国立病院で亡くなりました。1943年4月26日生まれ、享年71歳でした。
リカルド師は、シャナナ=グズマン・ジョゼ=ラモス=オルタ・マリ=アルカテリという現在東チモールをひっぱる60歳代の指導者たちよりひとまわり上の世代にあたります。東チモール解放運動の重要な支柱の一本であったカトリック教会の聖職者としてリカルド師も闘士として有名です。1970年代のフレテリンの英雄・ニコラウ=ロバトと近しい関係にあり、1978年12月ニコラウ=ロバトが戦死したときに追悼ミサをおこなった人物として知られていますが、とくに1991年当時、インドネシア軍と東チモール人の若者たちとの攻防の場となったモタエル教会の司祭であったことがリカルド師を顕著な聖職者に位置づけています.
1991年、インドネシア軍が築いた沈黙の壁に阻まれて過酷な弾圧の実態が世界に漏れ伝わらない東チモールに、ポルトガル議員団が訪問するかもしれないという千載一遇の機会が東チモールに訪れました。東チモールの若者たちは自分たちの置かれている現状を世界に知らしめようと訪問団を迎える準備をし、インドネシア軍の治安部隊はそうはさせじとこの動きを封じ込めようと弾圧を加えました。リカルド師は治安部隊に狙われる若者たちをモタエル教会にかくまいかれらを守ったのです。ポルトガル議員団の訪問は、しかしながら、ポルトガル側が要求していた随行記者をめぐってインドネシア側と対立し交渉は決裂、10月、中止になってしまいました。当時モタエル教会に身を隠していた若者たち(いまはもう40歳代だ)の一人からわたしは話をきいたことがありますが、ポルトガル訪問団中止は当時ものすごい失望を若者たちに与えたのでした。
ポルトガル議員団訪問の中止につづきモタエル教会は治安部隊に襲撃され、10月28日、そこに隠れていたセバスチャン=ゴメスさん(18歳)が殺されてしまいました。11月12日、かれの死を悼み、モタエル教会からサンタクルス墓地まで数千人の市民が平和的なデモ行進をしました。このときモタエル教会でミサをおこなったのがリカルド師でした。そしてサンタクルス墓地に集まる群衆にインドネシア軍が無差別発砲をし、死者・行方不明者あわせて500名以上の犠牲者をだしたのは周知のとおり、世に知られる「サンタクルスの虐殺」です。
リカルド師が亡くなったことで、モタエル教会の役割と「サンタクルスの虐殺」の悲劇を人びとは改めて脳裏に呼び起こしていることでしょう。
写真2 東チモールの悠久とした景色の一部となっているモタエル教会。
2014年5月23日。ⒸAoyama Morito
禁錮刑10年におびえる前財務大臣
予定ならば3月23日にデリ地方裁判所で公判が始まる予定であったエミリア=ピレス前財務大臣の汚職疑惑にかんする裁判でしたが、裁判は延期になってしまいました。いつまで延期されるのか、未定です。新政権発足後も民間人ながら2月21日からアフリカへ20日間の公務の旅へ出かけ、帰国した彼女には裁判が待っていると思われましたが、デリ地方裁判所が正規の手続きを踏んでいない性急な裁判にたいする前財務大臣による異議申し立てが通ったようです。起訴されても被告の裁判が始まらないという宙ぶらりんの状態はいったいいつまで続くのでしょうか。
ポルトガルの通信社「ルサ」は、エミリア=ピレス前財務大臣は汚職行為を一切していないことは保証するといい、不正もなく自分の権利への攻撃もなければ取り調べにも応じる、と同社に語ったと報じています。ピレス前財務大臣は自分が汚職疑惑のシンボルとされてしまい名前も評判も、これまで築き上げたものをすべて破壊されたと心情を吐露します。そして前大臣は、去年10月国会がポルトガル人裁判官を含む外国人司法関係者を免職にしたこと(東チモールだより第283号参照)にたいする司法の報復として自分に10年の禁錮刑が科せられるだろうという内部情報をメールで受け取ったとも語ります。裁判で身の潔白を証明しようとこのまま素直に裁判をうけてしまうと、司法による政府への仕返しとして重い禁錮刑が科せられてしまうと前大臣は恐れているようです。
シャナナ=グズマン計画戦略投資相が首相時代にした司法にたいする一連の発言をきいても、司法への不信頼感がありありと見受けられます。まるで抗争を繰り返す若者たちの集団のように、行政が司法にたいして陰謀だの不正だのといっているのが悲しいかな東チモールの現状です。東チモールの権力分立の基礎が確立されていません。
大物政治家の裁判といえば、ビセンテ=グテレス国会議長ですが、新政権発足後は免責特権の解除の手続きが進行中であるような報道がされていましたが、いまだそれに向けた進展はみられず、したがって裁判の日程が定まるには程遠い状態にあります。国会が裁判所による免責解除の要請を真摯に応じていないのです。ここにも国会と司法の対立と分権の不確立が読み取れます。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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