青山森人の東チモールだより 第313号(2015年11月19日)

<タウル=マタン=ルアク大統領の新党、ありやなしや?>

東チモールの人口は116万7242人

 日本だけでなく東チモールも今年は国勢調査の年です。東チモールでは5年に一度、国勢調査が実施されます。10月21日、東チモールの人口は116万7242人と発表されました。前回5年前は106万6409人で、この数字には外国人(約1万人)が含まれていたので、たぶん今回もまた調査をしていた時点での東チモールに滞在する人の数字かと思われます。

東チモール人口図1 東チモールの人口の推移。 この5年間で約10万人が増加した。

東チモール版リージョナル飛行機

 11月11日、日本の国産リージョナル・ジェット機の初試験飛行が話題になりましたが、東チモールでも10月28日、地方と地方を結ぶリージョナル飛行機が登場しました。報道によれば、この飛行機は乗客19人乗り、東チモール政府がカナダから720万ドルで購入したものだそうです。飛び地・オイクシ地方を含め全土の上空を飛ぶとのことですが、マリ=アルカテリ元首相が指揮をとって進められているオイクシ地方の経済特区計画に主に活用されることでしょう。しかし、金の無駄遣い、エリートが利するだけという批判がでています。オイクシへ航行する客船「ベルリン・ナクロマ号」の管理運営さえもままならないのに、飛行機は大丈夫か、整備の不備から事故が起きなければよいが…と心配になります。

カイケリ大尉の思い出

 ビルマ、いわゆるミャンマーがいま、アウン・サン・スー・チー党首が率いる国民民主連盟(NLD)の圧勝という総選挙の結果をうけてマスコミで注目されています。ビルマ、いわゆるミャンマーが話題になるとき、わたしは2006年5月25日、「東チモール危機」のなか銃撃戦で亡くなった国防軍の大尉で、解放闘争時代はFALINTIL(東チモール民族解放軍)の工作員として活躍したカイケリ氏を思い出してしまいます。

 インドネシア軍が撤退したのちの国連暫定統治時代のことだったと記憶していますが、カイケリ氏がマレーシアでの軍事研修に参加したことをわたしに話してくれました。その軍事研修にはアジア各国の軍人が参加したとのことでした。なかにはバルカン半島からの軍人もいてその人のことを、カイケリ氏は「いや~、あんな怠け者を見たこともないよ」と顔をしかめていました。各国の軍人と友達になったカイケリ氏はミャンマーからの軍人と次のような会話をしたそうです。「君は民主主義が好きか」。「ああ、東チモールは民主主義のために戦ってきたからね」。「そうか、俺たちは民主主義は大嫌いだ」。「なぜだ」。「民主主義は良くない。なぜなら混乱させるからだ」。カイケリ氏は笑いながらこの体験をわたしに話してくれました。

 「民主主義は嫌いだ」とカイケリ氏にいったミャンマーの軍人はいまどうしているのかな、そもそもカイケリ氏が2006年に亡くなったことを知っているのか、そして自国の総選挙の結果をどう受け止めているのか、混乱がやってくると嫌がっているのか、混乱を喰い止めなければならないとおもっているのだろうか……。「危機」で亡くなったカイケリ氏は同僚からは民主主義のために亡くなったといわれています(カイケリ大尉については拙著『東チモール 未完の肖像』に詳しい)。

チモール海、50年問題

 オーストラリアのジュリー=ビショップ外相が東チモールを訪問したさい、10月26日、東チモールとオーストラリアの合意に基づきチモール海の両国間領域は50年後に話し合うことになっていると主張しました。これは2006年に両国で結ばれたCMATS(Treaty on Certain Maritime Arrangements in the Timor Sea、チモール海における海洋諸協定にかんする条約)の条項を確認した発言で、オーストラリアは不公平だとか国際法に反するという批判を牽制したものです。

 たしかにCMATSには両国は今後50年間、領海につい話し合わないという条項が含まれていますが、CMATSが結ばれる過程でオーストラリアが東チモール側を盗聴した証拠があり証人もいるというのでCMATS見直しを国際司法裁判所の仲裁裁判に訴えるという手段に東チモールがでたことたいしてオーストラリア政府が証拠・証人を封じ込めるという強硬手段で応じているのでは、オーストラリアは不公平だという批判は免れないことです。

 また、マリ=アルカテリ元首相はジュリー=ビショップ外相の発言を受けて、石油・ガスが開発されていないのでこの合意は去年2月で切れた、したがって両国は改めて交渉しなければならないと主張しています。CMATSはその効力発効から6年たっても開発計画が是認されなかった場合CMATSの失効を求めることができるので(期限切れは2013年2月23日とわたしは思っていたが)、ジュリー=ビショップ外相の発言が法的に正当なのかは疑問があり、結局、オーストラリアはチモール海の力による支配をしているように見えます。

 10月10日のCNRT(東チモール国民再建会議)の党大会でシャナナ=グズマン計画戦略投資相は、東チモールはなおも多くの内的・外的障害に直面しており、外的障害のひとつはオーストラリアがチモール海における東チモールの富を盗み続けようとする強欲な行動であるといい、過去においてオーストラリアはインドネシアとともに東チモールを侵略し、これら両国はチモール海の石油・ガスを半々に分け合うことで合意し、1999年、東チモールが独立しようとするとき、オーストラリアは東チモールの富を盗み続ける意図をもって東チモール人を助けるためにやって来た、と強い口調でオーストラリアを非難しています(『チモールポスト』2015年10月12日)。

タウル大統領、新党結成の含みをもたせる

 10月末、タウル=マタン=ルアク大統領は、2017年の総選挙に向けて政党を設立するかどうか、いまは全国の村落をめぐり住民の生活状況をみているので時間がない、時がきたら話すであろうという意味の発言をしました。タウル=マタン=ルアク大統領に政党を立ち上げて次の選挙に臨んでほしいという人びとの声をうけての発言です。新党立ち上げを否定せずに含みをもたせた大統領のこの言い方は、大統領の人気の高さからすればあるいは首相の座を狙えるかもしれないだけにとても気になるところです。

新党創設の新条件

 偶然にもタウル大統領が上記のような発言をしたころ、国会は政党設立にかんする新しい規則を採択しました。これまで新政党の正規な登録に必要とされた署名の人数が1500人だったのがいっきに約13倍の2万人に跳ね上がりました。

 急に高くなったハードルによって弱小少数政党が乱立する選挙風景はもう見られなくなると思うとわたしとしては寂しいし、言論の自由がじわりとしぼめられた感じがします。なお、タウル=マタン=ルアク大統領がもし政党を創るとなると2万人の署名は決して高いハードルとはいえないでしょう。

 新しい規則ではまた、政党には元戦士や抵抗運動の名前や言葉を付けてはいけないという制限もできました。解放闘争時代に名を馳せた人物名や組織名をかたって票を得ようとする企みが禁じられたことになります。この規則によると、例えば、「フレテリン ムダンサ」(改革フレテリン、現在の「改革戦線」とう政党の前身)という党名は「フレテリン」(東チモール独立革命戦線)を使用しているので違法ということになり、また、シャナナ=グズマン党首率いるCNRT(東チモール国民再建会議)も解放闘争の最高機関CNRT(チモール民族抵抗評議会)と頭文字が同じなので違法ということになりそうです。政党CNRTは既存政党なのでこの新規則には引っかかりませんが、これからはこんなことをしてはいけませんというわけです。

汚職まみれのシャナナ連立政権

 エミリ=アピレス前財務大臣とマダレナ=ハンジャン元保健副大臣の公判は10月26日から一息ついており11月半ばから再開されます。報道によれば10月26日の裁判では三人が証言し、ベッドや機器購入はマダレナ=ハンジャン元保健副大臣が保健省内と国立病院内において音頭をとっていたと述べています。そしてハンジャン元保健副大臣がお金を引き出すためにピレス財務大臣とシャナナ首相に書類を提出したとのことです。

 一方、10月26日スアイ地方裁判所は、第一期シャナナ連立政権の公共事業省のドミンゴス=カエロ元長官に権力濫用や公文書偽造などボボナロ地方の道路工事絡みの汚職の罪で12年の禁錮刑を、そして同省の地方調整役には10年の禁錮刑をそれぞれ言い渡しました。かねてから常々批判が集中してきた道路工事にかんして司法のメスが、現役ではないといえ高官・上層部に入ったのです。

 国のお金を私物化するシャナナ連立政権の構成員たちにたいする責任は誰にあるのかといえば、他でもないシャナナ=グズマン前首相にあるはずです。その意味からしても前閣僚が被告となっている裁判でのシャナナ前首相の証言が、スアイ地方裁判所による厳しい判決が出されただけに、ますます注目されます。

 シャナナ計画戦略投資相はいまも事実上の最高権力者です。「汚職まみれ」という汚名を着せられても仕方のない政権の責任者が、汚名返上の努力を全面的に示さないその姿勢が非常に不可解です。汚職にたいする民衆の不満が、タウル=マタン=ルアク大統領に今度は国会で活躍してほしいという待望につながっているのだとわたしはみています。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5780:151119〕