大統領 vs. 政府
国防軍司令官任命をめぐる憲法解釈の違い
前号の「東チモールだより」で、2月9日、大統領が東チモール防衛軍(以下、国防軍)の司令官にこれまでのレレ=アナン=チムール少将に代えて、フィロメノ=パイシャン准将を少将に昇進させ任命したことをお伝えしましたが、このことをめぐって大統領と政府との間に憲法解釈の違いが生じ、2016年度国家予算案に大統領が拒否権を行使したことでギクシャクした両者の関係が再び緊張しはじめました。
まず国防軍司令官の任命ですが、大統領による新司令官の任命は政府の推薦あるいは指名に基づかなければならないと政府が解釈するのにたいし、大統領は政府が推薦あるいは指名してから任命するのは大統領であると解釈します。
問題とされるのは憲法第86条m項です。テトゥン語では”Tuir proposta Governu nian”と表記される部分のTuirを「~に従って」と解釈するか「~の後に」と解釈するかで、「政府の推薦/指名に従って」という政府解釈も「政府の推薦/指名のあとで」という大統領解釈も可能となります。ポルトガル語では”sob proposta do Governo”とsobという前置詞が用いられ、これだと「~のもとに」「~に従って」という解釈に分がありそうな気がします。ともかく任命する権限を有するのは大統領であることに間違いはないのですが、そこにいたるまでの手続きにおいて政府の推薦/指名が大統領の任命にいかに影響するかは憲法条文だけでは不明確であり、しかも二つの公用語であるテトゥン語とポルトガル語のあいだに解釈の違いが生じるという言語問題も絡みそうなので、もめるのは必然といえます。
そもそも去年、レレ=アナン=チムール司令官の任期が終わっているのにそのまま任期延長させている政府が人のことを違憲だといえた義理ではないという見方もあります。政府はレレ司令官の継続を望み、大統領は世代交代を望みます。
しかしこの場合、問題なのは憲法解釈でも誰が司令官に就任するかでもありません。大統領と政府、双方の歩み寄らない対立関係が問題なのです。政府は大統領に任命の撤回を求め、大統領は撤回を拒否し、政府は控訴裁判所に大統領による任命にたいし違憲性を諮る構えをみせ、これにたいし大統領は自分の行為が違憲ならば責任をとる、辞職すると受けて立つ構えをみせ、両者は譲りません。両者の関係がさほど悪くないならば、憲法解釈が違うので控訴裁判所に判断してもらいましょう、そうしましょうで済む問題です。そこで大統領は国会で説明させてほしいと政府に求めたところ政府は了承したのでした。
名指しで批判されたシャナナ=グズマンとマリ=アルカテリ
タウル=マタン=ルアク大統領の国会での説明は2月25日に行なわれました。ところが、国防軍司令官の任命にかんする説明をすると思いきや、この件にかんしては国も軍組織も流動的な交代・遷移が必要であると強調し、レレ司令官の続投には反対であると主張するにとどまり、大統領はほとんどの時間(約25分間)をかつてないほどの厳しい政府批判に費やしたのでした。たぶん大統領は初めから国防軍司令官の任命にかんして憲法解釈の持論を展開するつもりはなく、そして政府や国会議員に理解を求めるつもりもなく、国会で国会議員を前にして政府批判をすることで自分の立場を国民に鮮明に示す狙いがあったのだと思います。
大統領の政府批判には要点が二つあります。ひとつは現連立政権の事実上の権力者であるシャナナ=グズマン計画投資相と第二党のフレテリン(東チモール独立革命戦線)書記長でオイクシ特別経済特区開発事業の責任者であるマリ=アルカテリ元首相を名指しで批判したこと、もうひとつは野党不在の非民主的な政治状況への批判です。
そして大統領による政府批判はこの発言に集約されるでしょう――「2013年、わたしはシャナナ氏とマリ氏とル=オロ氏と会合をもったとき、(国会の)満場一致の総意を何に使うのですかときいた。ひとつの政党では解決できない退役軍人の問題、憲法見直しの問題、開発事業の戦略・戦術などの諸問題の解決のために使うのですかと。残念ながら満場一致の総意は、シャナナ氏にチモールの、マリ氏にオイクシの特権をそれぞれ分け与えるのに使われている」。
批判勢力が不在のなか、国会のなかで前首相のシャナナ=グズマン計画投資相にチモール(東チモール“本土”)での特権が、フレテリンの実力者マリ=アルカテリ書記長(ル=オロ氏が党首だが事実上マリ=アルカテリが党の最高実力者といわれている)には飛び地オイクシでの特権がそれぞれ分け与えてられていると、誰しもが感じているであろうことを大統領は公式の場で明言したのです。
大統領はこう続けます―「大統領が抗ウィルスのようにふるまっているのが悲しい。内閣や政府に物言う者は標的にされる。これがわたしたちの国の民主主義なのか? ちがう。民主主義は信頼のもとで機能し、信頼は他者の意見に耳を傾けることで成り立ち、それがなければ民主主義は機能しない」と、大連立政権の談合状態を批判します。
国会の総意によって解決しなければならない諸問題を解決しないで、国会はシャナナとマリ=アルカテリに特権を分け与えている、かれらの家族に公共事業の利益がまわる、政府に物言うことができない……1970年代からの解放闘争の先輩指導者を一世代若いタウル=マタン=ルアク大統領は名指しで批判し、しかもかれらの家族が公共事業を通して利益がまわることについて東チモールを侵略したインドネシアのかつての独裁者スハルト大統領とそのファミリービジネスを引き合いに出したのでした。タウル大統領は覚悟をもってこの国会での発言に臨んだのではないかとわたしは察します。
とくに解放闘争の最高指導者だったシャナナ=グズマンにこれほどのことをいうのは、2006年の「東チモール危機」当時のマリ=アルカテリを含めても、公式の場ということを考慮すればタウル=マタン=ルアク大統領が初めてではないでしょうか。2000年前半ごろまでは、シャナナ批判は自滅行為だといわれていました。シャナナとタウルは二人とも山で侵略軍と戦った国民的英雄であることから、かつてのマリ=アルカテリによるシャナナ非難とは意味合いがまったく違います。ついにゲリラの両雄が政治的に対決するときがやってきたかという印象をわたしはやや感傷的についつい抱いてしまいます。
大統領が野党
シャナナ連立政権は、その第二期(2012年~)にマリ=アルカテリ元首相をオイクシ経済特区の責任者に任命することで野党フレテリンを組み込むことに成功し、事実上の大連立政権が形成され、国会は野党不在となってしまいました。
国会に野党が存在しないことについて、大統領はこんなエピソードを国会の演説に交えました―-去年アメリカの国会議員に「野党不在で東チモールの民主主義はどのように機能するのか」ときかれたので、こう答えた、二つの道がある、ひとつは多数派と少数派の古典的な民主主義、もう一つは、政治と社会に強く結びついて発展を築いていくこと、東チモールはこちらを選択した。なぜか、民主主義とは目的ではなく、手段だからだ――。そしてタウル大統領は、「野党がいない。大統領が野党だ」と政府と対峙するのです。
大統領から酷評された政府は、大統領は国防軍司令官任命にかんして説明していない、受け入れられない、最大政党CNRT(東チモール再建国民会議、シャナナが党首)は大統領の演説は個人攻撃だ、フレテリンのル=オロ党首は、大統領は野党になるべきではない等々と、一斉に反発しました。そして政府としてはともかく大統領による新司令官の任命は違憲だとして控訴裁判所に訴える構えを依然として見せています。
シャナナ、怒ったか、勲章をかえす
タウル=マタン=ルアク大統領が国会で演説した翌日、シャナナ=グズマン計画投資相はなんと、去年の8月20日FALINTIL(東チモール民族解放軍)創設40周年記念日にタウル大統領から授けられた勲章を大統領府にかえしてしまいました。報道によればそれには手紙が添えられていて、自分は周囲に薦められて勲章をもらったがもともとほしくはなかったし、規定にそって退役軍人の登録をしていないので勲章をもらう資格はない、勲章をかえすのでほしい人にやってほしい、そちらの仕事のじゃまをして申し訳ない、という内容とのことです。
もし一言も大統領による演説について言及がなかったとしたら、これぞまさにシャナナ流独特の皮肉りです。しかしふてくされた子どものような振る舞いでちょっと大人気ない印象もうけます。あきらかに大統領による名指し批判にたいする“お返し”でしょうが、名指し批判された政治家として堂々と反論してほしいものです。
わたしはタウル=マタン=ルアク大統領に近い人物に大統領の様子をうかがったところ、大統領は政府から圧力をかけられているとのことです。もし政府が本気で大統領と対決しようとするならば、控訴裁判所で大統領による司令官任命行為にかんして違憲性を諮る手続きを今後進めることでしょう。そしてもし違憲と判断されれば大統領は任期終了前に辞任する事態になるかもしれません。総選挙を来年にひかえてタウル=マタン=ルアク大統領と政府の戦いは早くも熱を帯びてきました。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5939:160303〕