青山森人の東チモールだより 第320号(2016年3月12日)

3月3日は戦士の日

大統領の国会発言をめぐって…

 大統領が政府の望む人物を国防軍司令官に再任させないで別の人物に決めた行為にかんして、政府は憲法違反の疑いがあると主張したため、大統領による国会での説明会が設けられると大統領はそこで野党不在の国会はシャナナ=グズマン前首相とマリ=アルカテリ元首相という二人の実力者に特権が分け与えられ、かれらの家族に利益が流れていると強く批判しました(前号の「東チモールだより」を参照)。大統領のこの発言に政府与党は、大統領は野党になるべきではない、大統領の発言は個人攻撃だ、あるいは大統領は国会を侮辱したなどと語気を強めて反発しました。

 政府は大統領の国防軍司令官の任命行為にかんして違憲性を諮る手続きを3月上旬に控訴裁判所におこないました。また最大政党CNRT(東チモール再建国民会議、シャナナ=グズマンが党首)からは、祖国解放の父・シャナナ=グズマンを名指しで批判するとは何たることか、大統領のこの発言にたいして調査委員会を設置すべきだと大統領を追及する声さえも出ています。

 一方、カトリック教会筋からは大統領の意見を支持する発言が出ています。ジュビト神父という聖職者は大統領の国会発言の大部分は事実に基づいており、大統領の発言を疑うべきではない、大統領による批判は、これまでぎくしゃくしながら歩んでいた多くの事柄を改善するための新しいページをめくるものであるとまで述べています(『ディアリオ』電子版2016年3月2日)。「新しいページ」とはどのような意味なのかこの記事をみただけではあまりよくわかりませんが、マリ=アルカテリ元首相やシャナナ=グズマン前首相など1970年代から解放闘争を指導してきた者たちによる独立後の国家運営にたいし、民衆の支援を拠り所に武装闘争を展開したもう一人の英雄で一世代若いタウル=マタン=ルアク大統領が正当に真っ向から批判するようになったという意味で東チモール政治史に新しいページがめくられたとわたしもまた感じています。

 またバウカウ教区のバジリオ=ド=ナシメント司教は、3月4日、他の司教とともにデリ教区の新司教ヴィルジリオ=ド=カルモ=ダ=シルバ(アルベルト=リカルド=ダ=シルバ前デリ教区司教は去年4月に他界、「東チモールだより 第298号」参照)の聖職授任式(3月19日)に大統領を招待するため大統領府を訪れたさいに、大統領の国会での発言は大統領自身が全土422村落のうちこれまで401村落を訪問し、そこで見聞きしたことをもとに発言したのだと思うと記者らに述べ、大統領を擁護しています(『ディアリオ』電子版、2016年3月7日)。

 2月26日キューバから帰国したジョゼ=ラモスオルタ前大統領は、大統領と政府の関係が緊張していることをうけて、かつての解放闘争の指導者たちは仲間割れすべきではない、話し合って問題を解決するように努めるべきだ、自分が仲裁役をつとめてもいいと、大統領・首相・マリ=アルカテリ元首相などなど論争の当事者たちと次々に面会しました。気になるのはその中に肝心のシャナナ=グズマン計画戦略投資相がいないことです。そもそも日程上都合がつかなかったのか、シャナナ=グズマンにそのつもりがなかったのか、ラモス=オルタにそのつもりがなかったのか、そのへんがちょっと気になります。

 また、民主党のアドリアノ=ド=ナシメント党首(二人いる国会副議長の一人でもある)はタウル=マタン=ルアク大統領と会い、政治の現状について話し合ったと報じられています。おそらく、政府の一端に担う民主党ですが、フレテリンが政権に入ったことにより居場所が狭くなり、さらに大黒柱で一大看板であるラサマ党首を病死で失ったことによって存在感がすっかり薄くなったことから、大統領に接近し新党PLP(大衆解放党、タウル=マタン=ルアク大統領が来年の国会選挙に出馬するための党と噂されている)を新たな協力連携相手となれるかを打診しているのかもしれません。民主党はタウル=マタン=ルアク大統領が2016年度予算案にたいし拒否権を行使したことにたいし共鳴を表明し他の与党と違う姿勢を示しました(とはいえ最終的に国会で予算案は全会一致で成立したが)。

 たぶん、水面下では大統領の国会発言をうけて、現状維持でいくのか、大統領の示した方向でいくのか、政界の動きが活発になっていることでしょう。

政府、拳を振り上げたのはよいが

 3月3日の時点で政府は大統領による国防軍司令官任命行為の違憲性を諮る手続きを控訴裁判所にすませ、あとは控訴裁判所の判断を待つだけと報道されました。ただし裁判所が判断を出さなくてはいけない期限はないらしく、気長に待つというニュアンスもあり、その間に大統領と政府はなんらかの歩みよりがされる可能性もありました。しかしなんと控訴裁判所はすぐさま政府の訴えを突っ返したのです。大統領による国防軍司令官の任命はまだ公報紙(官報のようなものか?)に掲載されていないので、現時点では公式とはみなされず裁判所は取り扱えないというのが理由です。意外な展開です。2月9日、大統領がフィロメノ=パイシャン准将を少将に昇進させ司令官に任命すると発表はしたものの、公報紙に載っていない以上この発表はまだ正式ではないとは、これいかに。政府もさぞ驚いたことでしょう、もしかしたら大統領も…? 政府は大統領の発表が公報紙に掲載されてから控訴裁判所に違憲性を諮る手続きをするべきだったのです。政府は振り上げた拳のやり場に困ってしまいました。

 政府は大統領発表が公報紙に載ってから再び控訴裁判所に違憲性を問う手続きをするのかルイ=アラウジョ首相は検討中だといい、タウル=マタン=ルアク大統領は司令官の人選を変えるつもりはないといいつつも政府と協力して問題解決する用意があると述べています。控訴裁判所が妙なかたちで時間を論争当事者に与えたことにより、両者が歩み寄れる雰囲気がでてきたかもしれません。今後、大統領が3月13~16日の来日(タウル大統領は天皇陛下と安倍首相と会い、日本の支援にたいし感謝の意を表する予定、外務省のホームページ参照)から帰国し、新しいデリ教区司教の聖職者授任式という教会の大きな行事が催される環境のなかで(4月になれば復活祭)、東チモール人指導者たちは緊張気味の大統領と政府の関係の“修復”を図っていくことでしょう。

 高い地位にある指導者同士の意見の食い違いが露呈することは、時が2000年代半ばごろならば、それは政情不安の前触れであり治安が崩れる前兆とみて一般庶民は不安を抱いたものですが、いまはもう東チモール人の精神状態はそのような政治的心境にはありません。どちらが正しいか、東チモール人は暴力抜きで徹底的に討論し、一般庶民の政治参加を促すきっかけにしてほしいと思います。

民族解放闘争の戦士たちの日

 3月1日から3日までの3日間、東チモールの元ゲリラ兵士や抵抗運動の元活動家たちが一堂に会する第一回「退役軍人・元戦士の国民会議」が開かれました。独立して今年の5月で14年目になろうとするときにようやくこのような歴史的に意義深い会議が開かれたのです。

 国内のみならず、オーストラリアやポルトガルそしてマカオやイギリス・モザンビークなどに滞在している元戦士たちも参加し、さらにオーストラリアからは1999年9月の住民投票で独立が決まった東チモールに展開されたオーストラリア軍を中心とする多国籍軍・INTERFET(東チモール国際軍)の司令官だった現オーストラリア総督のピーター=コスグローブ氏([サー]の称号を持つ)など、東チモールにかかわったオーストラリアの要人もこの会議に参加しました。

 大統領による政府批判が熱く語られるこのタイミングですが、元戦士たちは年金問題やオーストラリアとの領海問題などの諸問題や自分たちの役割を提起・議論しました。祖国解放に尽くした自由の戦士たちが終結する会議が政府主催の行事として開かれた意義は決して小さくはありません。元戦士や元活動家たちは今後も国の発展のために貢献していくという総意を示すことができたからです。東チモールにかれらの高い能力が不可欠なのにもかかわらず、独立して今日まで、かれらの能力が活かされてきたとはとてもいえなく、どちらかといえば干されてきたといえます。この会議をきっかけにかれらの能力が発揮されるようになれば、東チモールの将来は明るくなることでしょう。

 会議の最終日である3月3日を「元戦士の日」とすることに定まりました。これは、1975年以降インドネシアの大軍に蹂躙された東チモール人が、フレテリン中心の政党による解放闘争では戦争に勝てないことを認識し、民衆参加型の民族解放闘争の道を歩み始めるために「国民会議」が1981年3月1~8日に開かれるなか、3月3日に闘争の再組織化が始まったことに由来します。1981年の「国民会議」でCRRN(民族抵抗評議会)が設置され、シャナナ=グズマンが議長となり、またシャナナ=グズマンはFALINTIL(東チモール民族解放軍)の最高司令官に就任、CRRNは1988年に政党を超えた闘争の最高機関CNRM(マウベレ民族抵抗評議会)と再編され、フレテリンもそのなかではひとつの構成要素にすぎなくなり、FALINTILはフレテリンから切り離され東チモール人全体の民族解放軍になるという高みに達し、1998年CNRT(チモール民族抵抗評議会)と改組され、1999年の住民投票を実現することができたことは歴史年表の示すとおりです。

 報道を読むかぎりですが、シャナナ=グズマン計画戦略投資相は「退役軍人・元戦士の国民会議」で演説しなかったようです。ピーター=コスグローブ総督はシャナナ=グズマン投資相に会えなかったのは残念だと語っています。国会でタウル=マタン=ルアク大統領から名指しで批判され、勲章を返してしまったシャナナ=グズマン投資相のへそまだ曲がっているのでしょうか。この会議にシャナナ=グズマン元最高司令官が主人公として登場しないのは解せません。間違いなくシャナナ=グズマンは最高司令官だった人物として「退役軍人・元戦士」の最高峰に位置するのですから、(もしへそを曲げているのなら)はやく機嫌を直してほしいものです……。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5962:160313〕