青山森人の東チモールだより 第321号(2016年3月16日)

連立政権は縦にひび割れて

見送りなしの大統領の訪日

 来日しているタウル=マタン=ルアク大統領と安倍首相は3月15日共同会見をし、日本政府が東チモールへ大学の新校舎建設・インフラ整備や人材育成などのために50億円規模のODA(政府開発援助)を供与することになったと発表しました。このODA供給については両政府とのあいだですでに東チモールで発表されていました。ただし日本の新聞には「50億円(規模)」ありますが、東チモールでは2200万ドルと報道されています。『朝日新聞』(2016年3月16日)にはタウル=マタン=ルアク大統領と安倍首相が並んでいる写真が載りました。同紙は「タウル氏はインドネシアとの独立闘争を行なった『民族解放軍』の元最高司令官」と書いていますが、この記述では誤解を招きかねないので少々解説をします。インドネシア軍との戦争時代、解放軍の最高司令官だった人物はシャナナ=グズマン氏で、タウル=マタン=ルアク氏は参謀長官でした。インドネシア軍撤退後の2000年8月20日、国連暫定統治のもとで解放軍創設25周年記念式典がおこなわれたとき、シャナナ最高司令官がその座をタウル氏に引き渡し、解放軍は2001年2月、独立後の国軍として「東チモール防衛軍」と改組されたので、タウル氏が民族解放軍の最高司令官だったのはインドネシア軍との戦争が終わったあと国連統治時代の約半年間のことでした。東チモールではタウル=マタン=ルアクの戦争時代の肩書きとしてはあくまでも「参謀長官」が定着しているのです。

 さて、『ディアリオ』(2016年3月14日、電子版)は、シャナナ=グズマン氏が首相だったときに海外に発つときは、政府と国会の面々が空港に見送りかけつけたものだったが、タウル大統領がイザベル夫人と訪日の旅に発つ3月13日、空港に見送りきた政府関係者はおらず、姿を現した政府関係といえば訪日に随行するエルナイ=コエリョ外務協力大臣とロベルト=ソアレス同副大臣の2名だけだったと報じています。

 政府が日本からの受ける援助を大統領が訪日して確かなものにするのですから、いくばくかの政府関係者が空港に駆けつけ大統領を激励してもよさそうですが、つまり、2月25日にタウル=マタン=ルアク大統領が国会でおこなった政府批判はそれだけ政府を憤激させたということなのです。なお、タウル大統領の訪日について国会で承認の採決をとったとき(3月8日)、反対はゼロでしたが賛成がなんと12票だけ、棄権が36もあったのです。投票された数のなかで多数決を採る決まりなのでわずか12票でも訪日が承認されたのでした。36もの棄権は政府・国会による大統領にたいする抗議の意思表示であることは明々白々です。

CNRT、民主党に三行半をつきつける

 国防軍司令官の任命権限にかんする大統領と政府の憲法解釈の相違、大統領による政府批判、しかも政府を構成する二大政党のシャナナ=グズマンCNRT(東チモール再建国民会議)党首とフレテリン(東チモール独立革命戦線)の実力者であるマリ=アルカテリ書記長への名指し非難などよって、大統領と政府は緊張した対立関係におかれていますが、憲法解釈について控訴裁判所は大統領による任命発表はまだ正式に公式なものではないので判断できないといい、大統領は訪日をして国内不在、カトリック教会の新しいデリ教区司教の就任式を控え、4月に近づくにつれ復活祭の宗教的な雰囲気が国を包むであろうから、大統領と政府の緊張関係はある程度和らいていくとわたしは予想していましたが、まったく違いました。

 タウル=マタン=ルアク大統領が来日をしているあいだ、東チモールの国内政局は流動的かつ緊迫してきたのです。先週末、最大政党CNRTが2007年以来連立を組んできた民主党に連立を解消すると文書で通達したのでした。その理由は、連立政権を組むにあたって合意した連立の精神を民主党はないがしろにしているという結論にCNRTは達したからです。とくに民主党のラサマ党首(当時の教育大臣)が死去して以来(2015年6月)、両党の関係がぎくしゃくしだしたと、CNRTから民主党への書簡を分析する報道がまとめています。

 さらにCNRTの幹部を取材した記事(ポルトガルの通信社ルザ、2016年3月13日)によるとCNRTは、民主党が大統領そして大統領が来年の選挙に出馬するための新政党PLP(大衆解放党)に接近していることに不快感を抱いているとのことです。民主党はPLPとの接近は否定し、大統領と会っているのは現状の政治問題を解決するために話し合うためであり当然の働きかけだ、連立とはみんながみんな同じことをいうことを意味しない、CNRTの批判は受け入れられないと反発しています。「ルザ」の同記事は、「CNRT党首を擁護しないという理由だけでわれわれは遠ざけられた」という民主党議員の意見を紹介しています。

 解放闘争の最高指導者で解放軍の総司令官だったシャナナ=グズマンCNRT党首を国会において特権を分け与えられ家族に利益が回っていると、しかもインドネシアの独裁者スハルト大統領のファミリービジネスを引き合いに出して批判したタウル=マタン=ルアク大統領を糾弾する動きに同調しないどころか大統領と接近して、連立政権の立役者であるシャナナ=グズマン党首を守らないとは許せない!というのがCNRTによる民主党批判の言い分であることは間違いないでしょう。

大連立の時点で連立は終わり

 2002年5月、東チモールが独立して政権についたフレテリンの国家運営は亀裂を生み、結果、2006年「東チモール危機」の勃発につながってしまいました。大勢の国内難民を生み出した秩序崩壊ともいえるこの「危機」をうけて、当時のシャナナ=グズマン大統領はフレテリンから政権を奪取するために新党CNRT(東チモール再建国民会議、解放闘争時代のCNRT[チモール民族抵抗評議会]とは別、紛らわしいことだ)を結成し、2007年の総選挙に臨みました。フレテリンは第一党の地位を守ったものの、シャナナのCNRTは反/非フレテリン勢力で多数派工作をおこない権力の座に着きました。こうして誕生したのがシャナナ連立政権で、2007~2012年のシャナナ連立政権のことを東チモールでは「国会多数連盟」と呼ばれました。2012年の総選挙ではCNRTが第一党となり余裕の連立を再び組み、これは「連立ブロック」と呼ばれています。「連立ブロック」の構成政党はCNRTと民主党と「改革戦線」の三党でしたが、2015年2月、シャナナ首相は辞任をしながら内閣改造をし、第二勢力の野党フレテリンに首相を含めた要職を与えて事実上の大連立政権が誕生したのでした。わたしにいわせればこの時点で「連立ブロック」は無意味となったのです。何のために連立を組んだかといえば反/非フレテリン勢力の結集だったはずです。「連立ブロック」時代に入り、タウル=マタン=ルアク大統領が指摘するように東チモール“本土”をシャナナに、飛び地オイクシをフレテリンのマリ=アルカテリにそれぞれの特権を分けるようになって、2006年をピークとしたシャナナ=グズマンとフレテリンの対立が解消された時点でもはや反/非フレテリンの政治は意味を失い、したがって「連立ブロック」の意味もなくなったのです。

 もはや連立政権とは、特権を分け合っているシャナナ=グズマンとマリ=アルカテリのそれぞれが代表するCNRTとフレテリンの二大政党で事足りるのです。民主党と「改革戦線」はどうでもよいのです。その証拠に「改革戦線」はCNRTが民主党と離れることについて事前に知らされていなかったといい、「改革戦線」は「連立ブロック」の有効期限を2012~2017年とする合意をシャナナは破ったと文句をいっているのです。

 日本に滞在中のタウル=マタン=ルアク大統領は連立政権のひび割れが顕著になったことを知って何を思っているのでしょうか……。

嘆かわしい形だけの首相の存在

 それにしても最近の政治状況で明らかになったのは、ルイ=マリア=デ=アラウジョ首相の影響力のなさです。前述した『ディアリオ』は、デ=アラウジョ首相が海外に飛び発つときも政府関係者が見送りに来ないと書いています。政府と対立する大統領がそうなるのはわかるとして、政府の首脳たる首相がそうだということはいかに首相が指導力を有していない人物であることの表れでしょう。お盆に乗せられた権力を受け取って就任した首相には指導力は必要なく、権力を差し出した側にとって有能な政府職員であればそれでよいのです。

 CNRTが民主党に連立を解消するという通達ですが、なんとデ=アラウジョ首相さえもが受け取っていないというのですから(『東チモールの声』2016年3月15日、電子版)、首相の影の薄さたるや嘆かわしいものです。連立政権内が揺れ動く事態を迎えて、首相が指導力を発揮できないとしたらそれは不幸な政治構造といえます。国家運営の形式だけの最高権力者をつくりだしたのはとりもなおさずシャナナ=グズマン前首相なのです。かつて、野党の必要性を強く主張していたシャナナ=グズマンですが、その周囲の者たちは唯々諾々とシャナナのご機嫌とりになっている危険性をCNRTの言動に感じとることができます。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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