ますます騒がしくなってきた政治情勢
不可思議なレレ少将の抗議行動
4月14日にタウル=マタン=ルアク大統領とルイ=マリア=デ=アラウジョ首相は会談し、国防軍司令官の任命にかんして首相は二つの提案を大統領に提出、大統領はそのうちの一つに合意、翌日その旨を発表しました。今度はこの件で大統領と政府は対立する余地がないと思いきや、その判断は受け入れられないと現役の司令官であるレレ少将が他の幹部とともに記者会見を開き公の場で涙の抗議をしました(前号の「東チモールだより」を参照)。しかしよくよくレレ司令官の言動を見てみるとどうも妙なのです。
レレ司令官は、自分たちは国防軍幹部としてではなく解放闘争の元戦士として大統領の判断は受け入れられないといっていることがまずもって妙です。政府と対立するタウル=マタン=ルアク大統領が日本訪問に発つ3月13日、空港に政府関係者の見送りがなかったことを知って不憫におもった元戦士たちが3月19日、日本から帰国する大統領を励ますために空港に出迎えました(「東チモールだより 第322号」参照)。このことについてレレ司令官は、大統領と政府の問題は両者にまかせておけばいい、空港に大統領を出迎えに来た元戦士たちは何かを企んでいるのか、かかわるべきではないという主旨のことを述べました(『インデペンデンテ』紙、2016年4月7日)。それなのに今度は自らが「元戦士として」ということを強調しながら大統領と政府の問題である国防軍司令官任命の問題に口を挟んでいるのです。レレ司令官の言動に明らかな矛盾がみられます。
フィロメノ=パイシャン准将が少将に昇進して国防軍司令官に任命することを大統領が発表し、政府の提案にそっていないと政府が大統領と反目したとき、レレ司令官は意見を記者に求められると、わたしにきくな、法にきいてくれ、自分は法に従うだけ、この件は政府と大統領が話し合って解決する問題だという趣旨の発言に終始一貫していました。少し前のレレ司令官と現在のレレ司令官ではまるで真逆の言動をしているのが妙なのです。
また、4月16日レレ司令官が大統領の判断は受け入れられないと記者会見をしたとき、この問題をシャナナ=グズマンが海外から帰ってきたときに提示して解決してもらう、なぜならシャナナこそが元戦士全員の父だからだと語っています(『ディアリオ』2016年4月19日)。シャナナ=グズマンは解放闘争の最高指導者だった人物であることは歴史的事実であるし、身もふたもない言い方をすれば、現政権も首相を含めてシャナナ元首相がつくった政府でありシャナナが事実上の最高実力者といえるわけですが、あくまでもシャナナ元首相の役職は一閣僚・計画戦略投資相です。シャナナ=グズマンとはいえ国防軍司令官に個人的にかかわることは憲法に則していません。これまで法の遵守を強調してきたレレ司令官が法のリングから出て場外乱闘をしようとするのは何故でしょうか。
4月25日、レレ司令官はこの件にかんしてタウル=マタン=ルアク大統領に元戦士かつ現役軍幹部である49名の署名入りの陳情書を手渡しました。レレ司令官は記者らに陳情書の内容はいまは明かせない、大統領から何らかの反応があったら教えるといいます。それにしては『ディアリオ』(2016年4月26日)ではわりと詳しくその内容を伝えています。その内容の信憑性はしたがってあやふやですが、例えば――(われわれ)FALINTIL(ファリンテル、東チモール民族解放軍)の元戦士たちは、国会の演説で大統領が、大統領がまだ闘争に参加していない1974年から民族解放闘争を指導してきたシャナナとマリ=アルカテルを侮辱したことについて非常に遺憾におもう――というような内容が含まれていると報じています。もし本当にこうした内容が含まれているとすれば、レレ司令官ら軍幹部たちの大統領にたいする抗議行動は、大統領によって批判されている政府側(つまりシャナナ=グズマン計画戦略投資相)と結びついているのかと下衆の勘ぐりをしたくなります。
大統領が選んだのは予備案?
政府から提出された二つの提案から一つを選んだ大統領ばかりがその判断を受け入れられないと責められるのも妙です。もし純真に大統領判断に抗議するならば提案の源は政府なのだから、なぜそのような選択の余地を大統領に与えたのかと政府にも抗議の矛先を向けてもよさそうです。しかしレレ司令官たちは大統領にだけ矛先を向けています。
すると政府から怪しげな意見がでてきました。政府はレレ少将が司令官を続投する現状維持案が好ましいと考えており、大統領がこれに同意しない場合のためにペドロ=クラマー=フイック大佐が司令官になる予備案を用意したと首相がいうのです(『東チモールの声』紙 2016年4月28日)。レレ少将たちが公に抗議の声をあげたあとで、後出しジャンケンのようにあれは「予備案」だというのは故意に政情不安を煽るような言動です。これすべて、政府を批判し来年の選挙に出馬して政権を奪いそうなタウル=マタン=ルアク大統領への攻め込みなのかもしれません。デ=アラウジョ首相は相変わらず影が薄く、事態収拾に向けた言動も、かといって政府の正当性を強調する言動もしていないところをみると、一連の大統領包囲網という政治ゲームに首相は指導という意味で蚊帳の外に置かれているのでしょう。したがって首相の辞任の噂が流れ、首相はそれを否定するありさまです(『ディアリオ』、2016年4月29日)。
いよいよ報道の締め付けが現実に
そのルイ=マリア=デ=アラウジョ首相といえば、財務省の顧問を務めていたときに財務省ビル(東チモール初の高層ビル)建設工事に絡んでインドネシアのあるIT企業に口利きをした疑いがあると『チモールポスト』(2015年11月10日)に書かれ、事実無根だ、企業の名前すら間違っていると激怒、その後、新聞社は訂正したものの首相は事務的な訂正記事に満足せず、新聞社のロウレンソ=マルチンス前社長と記事を書いたライムンド=オキ記者を名誉毀損で告訴し刑務所送りにするつもりです。被告は4月半ば裁判手続きのもと移動の自由が制限される状態となってしまいました。
さらに、一度は憲法違反の疑いありと控訴裁判所によって国会に戻されたことのある悪名高い「メディア法」に則して「プレス(報道/メディア)評議会」と称する報道・メディアを監視する機関の構成員が3月末日に選出され、5月3日正式に就任しました。政府はこの評議会は政治にかかわることはできないといいますが、政権に都合の良い報道の空気を醸成していくことでしょう。ジャーナリストを畏縮させ、報道・言論の自由を縛ろうとする現政権にたいし、海外の報道団体から批判の声があげられています。日本と東チモールは、権力によるメディアへの締め付けがあからさまなってきた点で似たもの同士です。
国会議長の罷免、民主党が野党に
タウル=マタン=ルアク大統領は、若い世代を司令官に任命したことについてこれまでと同様、法律に基づいている、憲法違反ならば職を辞するとビケケ地方の遊説のなか4月20日に述べています。大統領とレレ司令官らは5月6日に話し合いをする予定が組まれています。この日の話し合いでどのような結果で出てくるか大いに注目されます。大統領の脳裏には兵士の規律違反から端を発した2006年の「東チモール危機」が、当時と今とでは社会環境がまったく異なるとはいえ、よぎっているかもしれません。
4月29日、国会は大統領寄りのビセンテ=グテレス国会議長を罷免しました。罷免に賛成が49票、反対が9票です。反対票は民主党から投じられました。最大政権与党CNRT(東チモール再建国民会議)は大統領に接近する民主党を連立からはずし、民主党は野党に転じました。なおCNRTは民主党にたいし政府内の現職に留まって無所属になるか、民主党員のままならば政権を去るかの選択を民主党に迫ったところ、4人の民主党員が現職にとどまり無所属になったと報じられています。第二政党であるフレテリン(東チモール独立革命戦線)は、党員が閣僚になるのは個人しだいであり、党としてはCNRTと連立は組まない、しかし政府を支える、というわけのわからない立場です。
一方、タウル=マタン=ルアク大統領はビケケ地方の遊説で、生涯年金制度の見直しをしない政権政党とくにCNRTとフレテリンに2017年(次期選挙で)「みなさんは罰を与えることができる」と選挙戦ににらんで挑発的に語っています。特定のエリートだけが大きな得をする差別的な生涯年金制度は、その見直しを求める学生たちが大きな抗議行動をとるほど関心の高い争点となる問題です。政治情勢がますます騒がしくなってきました。選挙は来年ですが早くも白熱している模様です
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion6072:160505〕