祝! 東チモール民主共和国、独立14周年
軍司令官の任命問題、現状維持でとりあえず沈静化
5月17日、防衛と治安にかんして国家が話し合いをする最高機関である「防衛治安最高評議会」が開かれ、大統領と政府のあいだで論争を生んできたF-FDTL(以下、国防軍)の司令官の任命について話し合いがおこなわれました。結局、レレ=アナン=チムール少将とフィロメノ=パイシャン准将が司令官と副司令官を来年10月までそれぞれ続けることで大統領と政府は合意しました。現状維持を拒み世代交代を訴えてきたタウル=マタン=ルアク大統領ですが、現状維持の任期を短縮させることで妥協したかたちとなりました。これで去年10月に司令官が任期切れとなってからなにかと大統領と政府のあいだで意見がぶつかり合ってきた問題はとりあえず沈静化することでしょう。
このことをもって大統領と政府との対立構造が解消されたわけではありませんが、少なくとも双方が表向き仲の良さを装って、14年目の「独立記念日」を祝う環境が整ったことは評価できます。とはいえ、わたしの耳に入ってきた非公開の「防衛治安最高評議会」の場で話された内容の断片から判断するに、大統領と政府の対立はドロドロしたものがあり、安心はできません。
なお、大統領が対峙する「政府」とは、大統領が2月25日に名指しで非難したシャナナ=グズマン計画戦略投資相とフレテリンのマリ=アルカテリ前首相による既成勢力のことです。つまりシャナナ=グズマンとフレテリンの合同勢力、もっとはっきりいえば、「タシマネ計画」(南部海岸開発計画)とZEESM(オクシ経済特区)という大規模開発事業を手中にする勢力のことを意味します。
今年の式典はエルメラ地方の主要都市グレノで
今年の「独立回復記念日」の式典は、エルメラ地方の主要都市グレノで開催されました(去年はボボナロ地方のマリアナ)。式典が開催される場所に飾り付けが集中されるので、首都とはいえデリ(ディリ)の町並みの飾りつけは正直いって質素です。個人宅の庭や店のまえに国旗をたてる様子は去年と同じですが、今年とくに首都の町並みを歩いて感じたのは、国旗の小旗をつけて走る車やバイクが極端に少ないことです。加えて、記念日を祝う大きな看板も少なく、去年との比較においても首都の飾りつけは盛り上がりに欠けます。
「独立」とは、1975年11月28日にフレテリン(東チモール独立革命戦線)が独立宣言をしたその「独立」を取り戻したという解釈のもと、「独立回復」という表現がされることは毎年この時期になるとわたしがこの「東チモールだより」で書くことです(わたしとしては「独立実現」という表現がぴったりだと思うのですが)。
わたしはテレビ中継で式典を見ました。朝9時から始まるおよそ2時間の式典はほぼ形式化されていて、去年と今年の式典の内容はほぼ同じといっていいでしょう。タウル=マタン=ルアク大統領がジープに立って乗り、兵士たちを閲兵します。次に厳粛な儀式である国旗掲揚です。選抜された若い男女の学生数名が白い制服をまとい、憲兵とともに行進をし、白い制服のなかの一人の女性が国旗を大統領に厳かに手渡します。大統領は受け取った国旗に両手で頭上に掲げ、また女性に手渡します。かれらはその国旗を掲揚すべくポールへとゆっくりと行進し、掲揚できるように装着します。この一連の動作は静寂のなかでおこなわれます。国旗がポールで装着されると合唱隊が歌う国歌のもと国旗が掲揚されました。次に合唱隊による鎮魂歌が斉唱され、もの悲しい空気に包まれます。この時点で9時半をまわり、30分以上が費やされました。
その次に解放闘争に貢献した外国人たちへの叙勲式です。今年は、FRELIMO (Frente de Libertação de Moçambique、モザンビーク解放戦線)の二代目の議長でモザンビークの初代大統領であるサモラ=マシェル(1932~1986年)など、モンビーク・インドネシア・オーストラリア・ポルトガル・アメリカ・イギリスからの外国人25名に勲章が授けられました。サモラ=マシェルは故人なのでの遺族(TVの解説によると息子)が勲章を受けました。アフリカの旧ポルトガル植民地の解放闘争が東チモールの解放闘争を先導したことをおもえば、この勲章の授与は植民地闘争の歴史的意義があります。次はぜひアミルカル=カブラル(1924~1973年、ギニア=ビサウとカボ=ベルデの解放闘争の指導者)といきたいものです。またおよそ一年前にシャナナ=グズマン計画戦略投資相と離婚したカースティ=ソードさんも勲章をうけました。シャナナの妻として独立以来この国の事実上のファーストレディを長いことを務めてきたこの人になにを今さらという気もしないでもありませんが、いまやシャナナと別れた一人の女性としては、シャナナの面倒を長いことみてくれてご苦労さんと、労をねぎらう意味での勲章もいいのかもしれません。またバウカウ地方のファトゥマカでポルトガル植民地時代から50年以上も教育事業に貢献しているイタリア人のロカティリ神父(東チモールだより 第238号参照)も勲章をうけました。
権威による勲章とは“突っ込みどころ”が常にあるものです。与えたい側がいて受けたい側がいる、双方が納得するなら勲章の授与が成立する、それでいいのだ、とここでは深く追及しないことにしますが、人間が人間に等級を与えることには頭痛を覚えます。
ところでこの式典にシャナナ前首相とマリ=アルカテリ元首相そしてフレテリンのル=オロ党首の姿が見えません。来年の総選挙は、かれら3人の既成勢力にタウル=マタン=ルアク大統領が挑戦するかたちになるものと思われますが、そのことを意識して出席しないのかなと詮索したくなります……。
写真1 首都で見かけた独立記念日を祝う政府による大型看板。政府は政府でも行政省製作による看板でルイ=マリア=デ=アラウジョ首相の顔がない。影のうすい首相である。 2016年5月21日、首都の街角にて。ⒸAoyama Morito
大統領、法の遵守を訴える
外国人への叙勲式が終わると、10時からタウル=マタン=ルアク大統領の演説が始まりました。約20分間の演説で大統領は法の遵守を訴えました。
憲法は東チモール民主共和国の要であり、法の遵守は主権にかかわること……一言でいえばこれが大統領の主張の要点です。「市民も政府も指導者たちも、法律に従わなければならず、法律を遵守しないと規律が乱れ、規律が乱れると平和・安定を築くことができなくなる」。もちろんこれは、国防軍司令官の任命手続きをめぐって憲法解釈で政府ともめたことを示唆しながら自分の解釈は間違っていないと改めてここで主張したかったのでしょうし、間接的に政府をチクリと批判しかったのでしょう。
大統領はまた貧困撲滅のために東チモールのもつ資源を再評価することも訴えました。つまりこれは農業への投資を意味し、間接的には現政権が強引に進める大規模事業への批判ということになります。政府は住民の声を聞かず、開発において住民参加を促進させず、村落の開発に生産性と効率性を得ていないと述べて大統領らしさがちょっと出た場面もありましたが、概ね大統領の演説は全般的におとなしい内容にとどまり、よくいえば抑制のきいた演説、わるくいえばありきたりな演説といえます。
大統領の演説のあと、健康促進に貢献した東チモール人女性団体がオーストラリア大使館によって表彰され表彰状とお金を受け取りました。これが終わると、地元の若者たちが障害物競走を披露しながら式典が終了です。このとき10時50分ごろ。今年の「独立回復記念日」の式典も無事終わりました。
さて、以前わたしの滞在先であったビラベルデを訪れてみると、PLP(大衆解放党)の文字が壁に多数躍っていました。解放闘争時代、地下活動でタウル=マタン=ルアク司令官を支援してきたこの町内には、タウル大統領が創設の背後にいるといわれるPLPの支持者が多数いるようです。政治参加は大いに結構、ただしタウル大統領がいうように法を遵守してやってほしいものです。平和と安定のもと暴力なしの政治活動が活発になりますように……。
写真2 以前わたしが下宿していた家に続く小路にPLPの文字が多数見られ、党旗の絵も飾られている。この区域にPLPのシンパが多数いることがわかる。2016年5月21日、ビラベルデにて。ⒸAoyama Morito
写真3 5月20日は、わたしにとって夜が大切だった。1998年わたしをインドネシア軍からかくまってくれて以来付き合いのある家で結婚式が催された。家の庭が結婚式場となり、手作りのご馳走が招待客や近所にふるまわれる。夜8時ごろから始まり、新郎新婦のお披露目と食事がすむと、みなさんお目当てのダンスパーティだ。若者たちは出会いを求めて明け方までダンスを楽しむ。2016年5月20日、ベコラにて。ⒸAoyama Morito
~次号へ続く~
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