青山森人の東チモールだより 第327号(2016年6月10日)

心の解放はまだか

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写真1 米軍の“病院船”「マーシー号」

米軍の“病院船”「マーシー号」が今年もやって来た。米軍の医療班は東チモールに上陸して医療活動を展開する。しかしこれはヘラ(首都郊外)でのF-FDTL(東チモール国防軍)と米軍海兵隊との合同訓練のコインの裏側であり、軍事活動の一環である。中谷防衛大臣がシンガポール→ミャンマー→タイを訪問したあと、6月9~10日、東チモールを訪問。その目的ははたして東チモールの視察か、それともいま東チモールに駐留する米軍の視察か? 東チモールが独立する前後にわたり自衛隊の施設部隊は東チモールで活動した。日本の憲法を歪曲解釈する恥知らずな自公政権が今度の選挙で勝てば、近い将来、米軍の補完部隊として自衛隊が東チモールにやってきてF-FDTLと合同訓練をする可能性がないともいえない。そうなったらF-FDTLが気の毒でならない。文句の出そうもない国・地域からまず軍事活動を始めるのが常套手段だ。沖縄の人びとが米軍基地問題で生活が脅かされているとき、日本の防衛大臣が最優先に取り組むべきは沖縄の人びとの安全であるはずだ。米軍との地位協定も変えようとしないでなぜ憲法を変えようとする。“防衛”とは日本の防衛でなくアメリカの防衛か。
2016年6月8日、デリ沖合いに浮かぶ米軍の「マーシー号」。ⒸAoyama Morito

327 2写真2 『チモールポスト』(2016年6月10日より)

「中谷、軍事の発展を評価。日本の中谷衛大臣、東チモールの発展、とくに軍事面での発展を評価する。『わたしは東チモールの発展をとても評価する。前回PKFのときに来たときと比べて、とくに軍事面で目覚しい変化を遂げている』とヘラのF-FDTL海軍部門を訪れた中谷防衛大臣は記者たち語った」。

同じネタでも違う内容

ちょっと時間を遡りますが、先月末にタウル=マタン=ルアク大統領がバウカウ地方ケリカイを訪問したさい、住民との対話集会でまだまだ苦しい生活状況や生涯年金問題などのことが話し合われたことが新聞やテレビなどで報じられました。大統領が地方の村落を訪問するたびにだいたい同じような報道がされます。

しかし今回のケリカイ訪問について興味深い記事が新聞に載りました。まず『チモールポスト』(2016年5月30日)。「グルサ村―100歳のアルダ=コレイアさんは長年一人暮らし。インドネシアによる侵略時代、夫と5人の子どもたちは亡くなったので誰も面倒を見てくれない」。100歳のアルダさんをタウル=マタン=ルアク大統領が訪れました。竹製の高床に座っているアルダさんに話しかける大統領とのツーショットの写真はとてもいい写真です。この記事の内容は以下のとおり。

アルダさんは目が悪く足も不自由なので一人で歩くことができない。村長は社会連帯省にアルダさんにたいする生活支援を頼んだところ、本人を書類と一緒に連れ来なさいといわれ、そうしようかと思ったが、道中、身体の弱いアルダさんにもしものことがあったらたいへんなのでそれができない。このことを村長は大統領に話したところ、大統領がアルダさんを訪れた。大統領は「たった30ドルのために社会連帯省に連れて行くことには反対だ」と語り、大統領府の顧問にアルダさんへの支援を指示したという。

 さて面白いことに翌日の『インデペンデンテ』(2016年5月31日)に同じアルダさんの記事が載りました。タイトルは「わたしの人生暗かった」(直訳すれば「暗さについてのわたしの物語り」)。それはまるで『チモールポスト』紙の前記事を訂正するかのような内容です(どちらが正しいかは判断できませんが)。『インデペンデンテ』紙の記事の内容はこうです。

アルダさんは103歳、80歳のいとこ(従姉妹)のマルティーニャさんと1991年以来二人暮らしで、アルダさんは目と足が悪く、夫と5人の子どもたち(2人の娘と3人の息子)はインドネシア侵略時代に亡くなった。何人かは飢餓で亡くなり何人かは殺された。マルティーニャさんが畑仕事をしているあいだアルダさんは一人で辛抱強くマルティーニャさんの帰りを待つ。用便をしたいときはマルティーニャさんを呼び、用を足さなければならない。近所に住むマリアさんは二人のお年寄りを心配する。アルダさんがいま住んでいる家は、マリアさんの家族や近所の人たちそして村長が、アルダさんたちが暮らしていけるようにと建てたもの。村でアルダさんを社会連帯省に(支援を得るために)連れて行こうとしたが、アルダさんの身体にとって大きな負担になると思ってそっとしているとマリアさんが話す。アルダさんとマルティーニャさんの話が大統領の耳に入り、大統領はアルダさんたちの暮らしぶりを直接うかがった。大統領府はアルダさんとマルティーニャさんに1000ドルを支給した。大統領は、社会連帯省は目の悪いアルダさんに生活支援をすべきだと語る。

 「一人暮らし」、「誰も面倒を見てくれない」という『チモールポスト』紙の記事を読んで読者としては100歳のお年寄りがたいへんな状況におかれていると心配してしまいましたが、『インデペンデンテ』紙では、二人暮らし、近所の人たちが心配し家を建ててくれたとあるので少しは心休まりました。ともかく103歳と80歳という日本人からみても高齢の二人が国から生活支援をうけていないという東チモール福祉の厳しい実態をうかがい知ることができます。それにしても同じネタなのに二紙でこれほど内容が異なるのですから、読者としては報道に注意を要することを改めて思い知らされました。

清算されない過去

 さて5月末のタウル=マタン=ルアク大統領によるバウカウ地方ケリカイ訪問について、わたしはおおいに気になったことがあります。ケリカイを訪問した大統領は、故・デビッド=アレックスの兄の家に宿泊したのにそのことが報道されないし、ましてや大統領がその宿泊先で家族とどのような会話をしたのか伝わらないことが不自然に思えてならないのです。

デビッド=アレックスとは、東チモール民族解放軍(FALINTIL)の司令官として民衆の圧倒的な支持を集め、解放軍と民衆の架け橋となったゲリラの英雄です。おなじ時代に活躍した故・コニス=サンタナ司令官と同様に今も民衆に愛されている人物です。コニス=サンタナ司令官の場合、「コニス=サンタナ校」と名前がついた学校がラウテン地方とエルメラ地方にそれぞれ建てられ、また東チモール初の国立公園には「コニス=サンンタナ国立公園」(ラウテン地方東部を広い範囲で含む)と命名されるなど、英雄にふさわしい名前の伝承がされています。ところがデビッド=アレックス司令官の名前は伝承されていないのです。わたしにとってこれは「東チモールの謎」というべきものです。

 なぜデビッド=アレックス司令官のことが政府はおろか一般庶民の口からも語られないのか。抵抗運動の当事者に訊ねてみても、「話すことができない」と返事がかえってきます。わからないから「話すことができない」のか、わかっていても「話すことができない」のか?……たぶん両方の意味あいがあるものとわたしは推測しますが、とにもかくにも不自然で仕方ありません。かつてバウカウ地方でデビッド=アレックスの記念碑が建てられようとしたところ、デビッド=アレックスの家族はそれを妨害したことがありました。遺族(兄の家族)はデビッド=アレックス司令官のことが話されるのをものすごく嫌うといわれています。家族はデビッド=アレックスはまだ生きていると信じているからという説がありますがが……よくわかりません。国家も英雄を讃えたくても遺族の意志を尊重し、そうできないといわれますが、これまた話はそう単純ではなく、公にできない何かがあるとも思われています。まるで緘口令が空気のように漂っているようです。そのような空気を吸っても息苦しいだけです。

一年以上前にデビッド=アレックスの一人息子・アラリコ君(父の偉業が伝承されるのを望んでいる)が父親のもの思われる細胞組織をもってDNA鑑定のためにインドへ渡航しましたが、その結果がいまだ公表されません。何がどうなっているのか、わからないままなのです。一年前、アラリコ君にきいたところ、いずれ公表するからそれまで待ってくれ、と曖昧な返事がかえってくるだけでした。

 以上のことからタウル=マタン=ルアク大統領がデビッド=アレックスの兄の家に泊まったというのは、東チモール人にとって大きな関心事であるはずです。なぜ新聞は報道しないのか、できないのか。タブーともいえるこの問題は東チモール人の心の解放の度合いを計る指標となるとわたしは考えています。人びとの口からデビッドアレックスの名前が出ないのは、東チモールが過去の清算ができないことを示しています。過去の清算がされないと人はなかなか前に進めないものです。東チモール人が国づくりに思いっきり能力を発揮できる環境とは、まずもって心が解放されることです。東チモールが発展するための環境が整うことを切に願います。

~次号へ続く~

 

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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