青山森人の東チモールだより 第329号(2016年7月5日)

自分の心を表現する

イギリスの東チモール人労働者はポルトガル国籍をもつ

イギリスのEU離脱が決まったことについて東チモールの新聞も報じています。それによるとイギリスで働く東チモール人はポルトガルのパスポートを使用しポルトガル国籍をもつ者として働いています。ということは、イギリスがEUから離れるとなると、イギリスはEUの「移動の自由」原則から離れ、EU加盟国であるポルトガルのパスポートをもつ東チモール人労働者に制約をかけることができることになります。外交・防衛・治安にかんする東チモール国会内の専門作業部会(「B委員会」と呼ばれる)は、イギリスで働く東チモール人の生活環境に影響が及ぶことへの懸念を表明しました。

 このB委員会は東チモール政府にたいし東チモール人労働者が働き続けることができるようにイギリスにロビー活動をすることを求めました。統計によれば、ポルトガルのパスポートを使用してイギリスで働く東チモール人の数は1万5000とのことです(『インデペンデンテ』、2016年6月28日)。

 またエルナニ=コエリョ外務協力大臣は東チモールの外交筋がすでにこの件にかんしてポルトガルそしてイギリスと予備的な接触をしたと述べ、イギリスに滞在する東チモール人の数は1万6000であり、イギリスの東チモール人労働者は平均して収入の30%を祖国に送金し、その総額は毎月100万ドル以上になると述べています(ポルトガルの通信社『ルザ』の記事、2016年6月29日)。

上記の数字と、前号の「東チモールだより」で登場してもらったアゼ君がいう1週間100ポンドの稼ぎという額をもとにして大雑把に推計してみます。東チモール人の1ヶ月の稼ぎを低く見積もって400ドルと仮定してみましょう。その30%は120ドルであるから、一人の東チモール人がイギリスから東チモールへ1ヶ月に送金する額をこれまた低くみて100ドルとしましょう。人数1万5000に100ドルを掛ければ総月額は150万ドルになります。「ルザ」の同記事は、韓国で働く東チモール人からの東チモールへ送られる年額は1000万~1200万ドルだといいます。イギリスで働く東チモール人から東チモールへ仕送られる総額は、東チモール政府との二カ国間合意で労働者を受け入れている韓国からの総額を上回ることになります。人口約116万人の東チモールに月額100万ドル以上が入ってくる“資金源”の環境が不透明になるのですから不安です。また、移民に手厚いといわれるイギリスの社会保障制度の恩恵に東チモール人労働者もあずかっているとしたら、東チモール人の生活環境が悪い方向に傾くことも懸念されます。イギリスのEU離脱は東チモール経済にとってまさしく憂慮すべき問題なのです。

コエリョ外相は、東チモール人はポルトガルのパスポートを使用しポルトガル国籍をもつ者としてイギリスで働いているので、この件にかんしての交渉はイギリスとポルトガルの二カ国間のものとなる、こちらからイギリスに書簡を送る必要はないと若者たちに説明したと述べました(『ディアリオ』、2016年7月1日)。この記事からイギリス行きを考えている若者たちの心配する声が高まっていることがうかがえます。

政権を担うための結党

来年の選挙に備えて各政党は全国各地で集会を開いています。国会に議席を持つ政党だけでなく、聞きなれない政党も多々あります。生まれてまもない政党だけでなく、これから誕生する政党もあり、全部の政党名を覚えるのはたへんそうです。わたしは最近できたPLP(大衆解放党)の支援者と、これから正式発足するであろう政党の責任者に話を聞くことができました。

さてPLPですが、わたしがわざわざ支援者を探さなくてもわたしの付き合っている人のなかにPLPの関係者または支持者が多くいます。わたしが東チモールに足を踏み入れたのはシャナナ=グズマン解放軍最高司令官がジャカルタの刑務所に囚われの身となってからのことなので、わたしの付き合いのある人たちというのはシャナナ司令官を引き継いだ司令官たちの支援者であり、PLP創設に関わっている中心的な人たちとはその人たちであるということで、自然とわたしの周囲にはPLP関係者が多くいるということになるのです。とくに以前わたしが下宿していたビラベルデの家ではPLPの会合が開かれたり、その周辺にはPLPの文字が踊る落書きが描かれたりしています。「PLPに投票しよう」と、ちょっと気の早い落書きもあります。ビラベルデのある住民は、「来年、タウル大統領は首相になるよ」ともう決まったかのように楽観的です。タウル=マタン=ルアク大統領自身はPLPとの関係について「ノーコメント」の姿勢を保っていますが、PLPはタウル大統領が国会に乗り込むために創られた党であることは公然の秘密です。民衆を置き去りにして大規模開発に耽る現政権にタウル大統領はもはや黙っておられず、大統領職では政治的権限がほとんどないので、実権を握らなければならないという欲求のもとにPLPは結党されたといってよいでしょう。

したがって去年から表面化してきた大統領と政府の対立とは、来年の選挙戦の前哨戦といってよく、権力闘争といえます。そしてその対立構図とは、解放闘争を指導してきたシャナナ=グズマン前首相やフレテリン(東チモール独立革命戦線)のマリ=アルカテリ元首相らが反目しあっていた関係を修復し東チモールの支配階層としての地位を固めようと結束するプチブルジョワにたいし、いまもって貧しい生活に苦しむ民衆を拠り所にするタウル=マタン=ルアク大統領がプチブルジョワに待ったをかけようとする階級闘争といえます。

汚職まみれの現政権にうんざりする大衆の支持があるから「来年、タウル大統領は首相になるよ」と楽観視するPLP支持者がいる一方、『テンポセマナル』紙を主宰するジョゼ=ベロ君は、選挙は相当に厳しい接戦になるだろうとやや悲観的な見方をします。やはりそうか。なにせタウル=マタン=ルアク大統領が挑戦しようとするのは1970年代から解放闘争を率いてきた大御所・シャナナ前首相とマリ=アルカテリ元首相の合同勢力です。シャナナ計画戦略投資相がマリ=アルカテリ元首相をオイクシ経済特区(ZEESM)の責任者にして仲間にしたことはつまりフレテリンを仲間にしたことを意味するので、シャナナ前首相が党首を務める政党CNRT(東チモール再建国民会議)とフレテリンの合計支持率を切り崩さないと選挙に勝てません。そもそも反フレテリンのために結党されたCNRTですから、フレテリンと仲良くなったCNRTの存在意義が問われことでしょうから、切り崩せるのならCNRTです。フレテリンの支持率は前々回と前回の選挙で確固としていることが証明されました。約30%です。いま現在のフレテリン支持率はどうでしょうか。ジョゼ=ベロ君の見方によれば、変わらない、あるいはオイクシの開発事業で得をする住民の分が上乗せされて支持率は上がったかもしれないといいます。オイクシ経済特区への疑問や批判にたいしてマリ=アルカテリZEESM最高責任者は丁寧に説明して対応することをせず、蹴散らすような言い方で逆批判するという高飛車の姿勢の背景がここにあります。

6月12~14日にフレテリン青年部大会が開かれ、シャナナ計画戦略投資相も短時間ながら参加しました。『チモールオアン』紙(2016年6月15日)に載ったそのときの様子の写真は、シャナナを中心にフレテリンのル=オロ党首とマリ=アルカテリ書記長が囲む構図となっていて、現状をよく表現している写真だなと思います。かれら3人にPLPが選挙戦で挑むのですから容易であるはずがありません。さらにこの4月に国防軍司令官を任命する大統領にたいしてレレ司令官が反対行動をとったことから憶測しますと、この「3人」に国防軍のレレ司令官が加勢した可能性があります。もしそうならPLPにとって選挙戦はますます厳しくなったといえます。

心の表現のための結党

PLPのように政治権力を握り国会の場で政策にかかわりたいという動機で創られた政党は他にも多々あることでしょう。しかし政党を立ち上げる理由はそれだけではありません。すでに控訴裁判所に政党創設の申請書を提出し、いま返事を待っている状態であるPEP(祖国希望党)という政党の関係者であるアントニオさんは、結党の理由を「自分の心を表現したい」からだといいます。アントニオさんもかつては銃を手にして山で侵略軍と闘った戦士です。かれは前回の大統領選挙でタウル=マタン=ルアク陣営を手伝いましたが、今回は新党を創りました。「自分の心を表現したい」とはどういう意味か、政党をつくって何をしたいのかとわたしがきくと、村落住民が参加できる事業を興したいのだとアントニオさんは答えます。来年の選挙にうってでるが、選挙結果はどうでもいいとまではいわないが二の次、選挙活動を通じて村落の住民と交流をもち住民が参加できる事業を興したいのだといいます。その事業内容も青写真があるようです。本来ならば民間団体をつくってそのような活動をすればよさそうですが、アントニオさんの話をきくと、「村落」が鍵となる用語です。農村部にほとんど光があてられず都市部との格差が拡大する状況にたいし、選挙活動を通じて村落の生活に灯をともしたいというのが目的のようです。

前回(2012年)の選挙のときは、21の政党と政党連合勢力が選挙戦に登場しました。そのうち国会議員を獲得したのはわずか4政党だけでした。では17の政党と政党連合勢力はただ負けただけかといえばそうではありません。各政党の主張が新聞やテレビなどのメディアに載ることができたのです。政府広報のような内容や決まった重要人物の言動で占められるニュースも、選挙となれば普段は顧みられない人たちの意見・主張がとりあげられるのですから、選挙戦を自己表現の舞台としてとらえることは悪い案ではありません。この前、テレビニュースで女性が党首である新党の集会がとりあげられていました。女性の社会参加を主眼においた政党のようです。女性の地位向上のために政党を立ち上げ選挙で自己主張するというのは、選挙結果を度外視して東チモールでは相当に意義のある活動です。政権にかかわりそうな大きな政党だけでなく、東チモールの少数政党にも注目しなければなりません。

ところでわたしはアントニオさんの「自分の心を表現したい」という言葉がとても印象に残ったのです。なぜかというと、わたしが考えるに東チモールの最も痛々しいところとは、「自分の心を表現し」ないことだと常々感じているからです。アントニオさんは「タウル大統領も自分の心を表現していない」とさえいいます。

1999年、住民投票によって侵略軍がついに撤退し悲願の独立を目の前にしたとき、東チモール人は世界中で一番喜びを全身に表現してもゆるされる人びとだったはずです。しかし国連による暫定統治のもとその高揚感はことごとく奪われてしまいました。ともに闘ってきた指導者たちが自分たちにくるりと背をむけ国際社会ばかりを向くようになったからです。残酷でした。何がどうなっているのか?東チモール人はさっぱり理解できず、茫然自失・疑心暗鬼となり、癒されるはずの心は放置され、今日にいたるまで東チモール人は自分の想いを心のなかに閉じ込めるという状態が続いています。このことによって東チモール人は能力を存分に発揮できないし、このことが東チモール社会の発展を阻む一番の障害であるとわたしは見ています。

アントニオさんは指導的な立場にある人物なので一般庶民とはいえないもしれませんが、東チモール人の口から「自分の心を表現したい」という言葉をきけるということは、なんだかんだと問題が山積みの状態でも自由で平和な時間がそれなりに経過していけば、心はしだいにほぐれていくことの証かなと思います。「自分の心を表現」することが東チモール人にとってごく普通のことになったとき、東チモール人は領土だけでなく心の解放も手にしたといえるでしょう。そのときが早く来ますように。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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