生涯年金の見直し法案、大統領は辞職を覚悟で拒否する構え
厄介な問題
東チモール民主共和国には一筋縄ではいかない厄介な問題があります。解放闘争を戦った人びとの戦後問題です。解放闘争を戦った人びとは、政治家たちが自らに現金と特権を与える生涯年金制度を横目にして、差別と貧富の格差によって自尊心が傷つけられています。解放闘争を戦った人びとの問題とは、国家への疑心暗鬼と不平不満が自由を渇望する純粋な空気を汚染し国づくりの大きな障害になるまでに悪化している深刻な問題なのです。
解放闘争を戦った人びとの戦後問題は、当然ながら、東チモールからインドネシア軍が撤退して国連による暫定統治下に入った1999年11月ごろから噴出し始めました。そして生涯年金の問題とは、これまた当然ながら、独立(「独立回復」)以降、東チモール政府によってつくられた問題です。
気の遠くなるような犠牲と忍耐が結実し、1999年、東チモール人は侵略軍を追い出しました。しかし悲しいかな、東チモール人の歓喜は刹那でした。同年11月から国連統治下に入った東チモールは、国際社会に頼って国づくりを進める指導層と、いったい何がどうなって独立への手続きがされているのかさっぱりわからない民衆に分け隔てられました。民衆は、指導者に見捨てられ戦争で負った心身の傷に塩をこすりつけられるような想いに陥り、茫然自失、さらなるトラウマを負ってしまったのです。このことが「厄介な問題」の始まりであるとわたしは考えています。そしてこのことが国づくりにたいする最初にして最大のつまずきであるともわたしは考えます。国際社会は国連を隠れ蓑にして実に巧妙な仕掛けを独立直前の東チモールにしかけたといえば大袈裟でしょうか。
「ベテラーノ」、それは解放闘争の元戦士たち
解放闘争を闘った人びとは一般的に「ベテラーノ」(ポルトガル語veterano、テトゥン語veteranu)と呼ばれます。「ベテラーノ」とは、英語でいえばveteranで、つまりは日本語でいう「ベテラン」のことですが、東チモールの場合は必ずしも「退役軍人」「在郷軍人」という元軍人に絞られません。地下活動や諜報活動などさまざまな形態でゲリラ戦に参加し貢献した人たちのことを広い意味で「ベテラーノ」と呼びます。ここでは「解放闘争の元戦士」または「元戦士」と訳すことにします。なお、「ベテラーノと元戦闘員」という表現がしばしば使われることもあり、この場合の「ベテラーノ」とは、非戦闘員(地下活動や諜報活動など)として解放闘争に貢献した、狭い意味での「元戦士」を意味します。なお、ゲリラ戦闘員とはFALINTIL(ファリンテル、東チモール民族解放軍)の兵士・司令官を意味し、したがって「戦闘」とはインドネシア軍との戦いを指し、大前提として1975年~1999年の24年間に期間は限られます。
かれら「ベテラ-ノ」つまり元戦士たちの多くは、インドネシア軍撤退後、自分たちを顧みなくなった指導者たちにたいして悲しい想いを抱いただけでなく不平不満も抱くようになりました。2年半の国連統治を経て2002年5月に独立を達成し(「独立回復」)、国家運営をまかせられたフレテリン(東チモール独立革命戦線)政権下において駐留する国連組織の規模が縮小されていくにしたがって国全体に停滞感が漂い、元戦士たちの悲しみと不平不満は増幅されていきました。自分たちの貧しい暮らしぶりに目を向けてくれ、政府は何もしてくれない、自分たちを認めてくれ、と政府に不平不満の声を高めていく元戦士たちを、シャナナ=グズマン大統領は文句ばかり言うなと叱責しても慰めることはできませんでした。こうしてフレテリン政権下の醸し出す停滞ムードのなかで東チモールに亀裂が生じてきました。これが背景となり2006年、「東チモール危機」が勃発したのです(「危機」について詳しくは拙著『東チモール 未完の肖像』[2010年、社会評論社]を参照)。
フレテリン政権末期に生涯年金法が制定
「危機」勃発によって、秩序と治安が瓦解し首都は国内避難民であふれました。せっかく独立したのに難民キャンプ暮らしに逆戻りとなったのです。「危機」を防げなかったフレテリンとその指導者たち、とくに書記長のマリ=アルカテリ首相に非難が集中し、マリ=アルカテリ首相は辞任に追い込まれました。再び国際社会の軍事組織に治安維持の権限が渡されてしまいしたが、フレテリン政権下であることには変わりありません。負けることを覚悟しなければならない2007年の総選挙を目前にしてフレテリンは2007年に入ってまず国会議員の生涯年金法案を可決そして制定、そして次に大統領・国会議長・首相・控訴裁判所所長の地位にある要人への生涯年金法案を可決・制定にもちこんだのでした(まさに選挙直前の離れ業!)。二番目の年金制度はシャナナ大統領に一度は拒否権を行使されましたが、ジョゼ=ラモス=オルタ新大統領によって発布されたのです。
フレテリン政権が、「危機」後の、そして選挙前のどさくさにまぎれて制定させた生涯年金制度とは、詳細は省いて大雑把にいうならば、国会議員や大統領・国会議長など要職を5年間務めればその地位から退いた後も、ある年齢に達するのを待つことなく、これまでの月給と同額の金額を月々、生涯にわたってもらえるというものです。それだけでなく、輸入車1台には税金免除、自宅建築のための材料を輸入しても無税、公用車に乗れ、公邸に住め、病気になっても医者の許可があれば海外で治療でき、公用パスポートの使用……などなど、5年間務めたあと何もしなくても夢のような大特権が与えられるというものなのです。
この生涯年金制度は、24年間侵略軍と戦った元戦士・元戦闘員の自尊心を傷つけて余りあることは想像に難くありません。元戦士たちの年金は平均すれば数百ドル/月、国会議員はそれよりゼロが一つ多いのですから(フレテリン政権下では国会議員の月給は450ドで大統領などの要職者の月給も1000ドル以下だったが、シャナナ連立政権になると国会議員や政府高官が2500~3000ドル、要職者は4000~5000ドルに跳ね上がった)。元戦士は闘争の貢献度によってランクづけされ、ランクに沿った年金が支給されます。多くの人がもらっています。元戦士にたいする年金制度自体、そのランクづけによる金額の違いは差別感を生み、コネと人脈さえあれば偽の申請をしてまんまと年金をせしめる者もいるので、人間不信と不平等感を生みだす災いとなっている面もあります。しかし、元戦士として年金を受け取る人にとってもそうでない人にとっても、生涯年金制度は理不尽で利己主義の極みとして“君臨”します。貧困に苦しむ一般庶民にとって身勝手な政治家たちは国庫からの金泥棒に見えるはずです。
不公平な年金制度に開発事業が絡んで…
生涯年金が制定された2007年当時、大混乱を招いた「危機」の余波はアルフレド少佐率いる武装反乱グループの存在によって収まっていない状態であったし、同年8月にシャナナ連立政権が誕生し、野党に下ったフレテリンが新政権を認めないという政治状況もあって、生涯年金への注目度は大きいとはいえませんでした。2008年2月11日、アルフレド少佐の武装グループがラモス=オルタ大統領とシャナナ首相を襲撃し、アルフレド少佐は死亡。反乱兵士たちの残党討伐のために軍と警察の合同部隊が結成され、その高度なゲリラ戦術によって反乱兵士たちが追い詰められ、めでたくすべて投降し、治安は回復されました。回復された治安のなかで「石油基金」を使えるようになったシャナナ連立政権は、スローガン「さらば紛争、ようこそ発展」のもと、大・中規模事業を軸に経済成長路線を邁進していきます。
しかし「石油基金」が使えるようになったことがさらに新たな社会問題を生みだすことになったのです。元戦士たちのグループ同士の公共事業の奪い合い、受注した事業を他の会社へ丸投げして仲介者として利益を得る不正行為、質の悪い工事の実態、公共事業をめぐる閣僚・政府高官が絡む汚職事件の多発……などなど、開発は住民の利益にならないで事業に関与する一部の者たちだけの利益なる状況をつくりだし、貧富の格差が加速拡大していったのです。この状況は現在も悪化しながら続いています。
流れを変えたい大統領
2012年に就任したタウル=マタン=ルアク大統領は全国津々浦々を遊説し、住民や元戦士たちとの対話集会を重ねていきます。この地道な活動は、元戦士たちの問題、生涯年金の問題、汚職の問題、大規模開発の問題などの諸問題が広く社会に共有される環境をつくりだしていきます。
大統領は解放闘争の元戦士たちに、お金をうけとらないでほしい、お金のために戦ったのではないから、と正直に語りかけます。解放闘争の価値をお金に換算してほしくないという道義的な感情もあるでしょうし、生活費として受け取らざるをえない経済的現実もあります。元戦士の問題は、戦後補償金を払えばそれですむわけではない、一筋縄ではいかない厄介な問題なのです。タウル=マタン=ルアク大統領は、元戦士の問題は東チモールにとって重大な問題だと発言しつづけています。
生涯年金の問題は、2014年ごろから若者・学生たちの抗議活動の標的となり、東チモール社会の不正義と差別を象徴する問題になっていきました。この問題を国会で議論しない政党は次の選挙で負けるだろうと大統領は国会議員に検討するよう圧力をかけつづけました。高まる世論の波に押されてついに生涯年金の見直しが国会の議題になったのです。
生涯年金の廃止を求める
しかし既得権益を守りたい国会議員たちは小手先の見直ししかしないことはほぼ目に見えています。引退した国会議員に月額100%同額の年金が支払われるという仕組みは、せいぜい90%あるいは80%それとも70%?…と現行よりも少し減額される程度の案が可決されるようです。抜本的な見直しを求める世論に呼応する改正案は望み薄です。
各市民団体は、100%同額ではなく60%あるいは40%、そして厳しい条件を加えた見直し案を政府に提出しました。しかし、タウル=マタン=ルアク大統領は生涯年金の完全撤廃を訴えます。8月8日、補正追加予算案をしぶしぶながらも発布した大統領ですが(前号の「東チモールだより」参照)、生涯年金にかんしては妥協するつもりはないようです。
「国会で生涯年金法が見直されることになったが、わたしにその案が送られてきても拒否権を行使する。なぜならわたしは完全撤廃を望むからだ。食べるために働かなくてはならない。国の金を待っているだけというのはだめだ」(『ディアリオ』2016年8月19日)と大統領は8月17日、コバリマ地方の住民対話集会で述べました。
さらに大統領は8月18日ボボナロ地方の住民集会で、貧しい人びとは食べるために働かなければならないのに、元国会議員はなにもせず国からの金を待っているだけならば、国会議員は国民にしめしがつかない、生涯年金制度は「大きな恥だ」、といいます。そして、「わたしは拒否権を使う。法案が送られてきてもわたしは発布しない。かれらがわたしを裁判にかけるならばそれもよし、わたしの任期切れも間近だ、大統領室から離れるのもよいだろう、恐れはしない」と辞職の覚悟をほのめかして拒否権を行使する構えであることを述べたのです(『チモールポスト』2016年8月24日)。
拒否権の一回目の行使のあと、法案は国会へ送り返されますが、これまでの経緯からすれば、そのまま再び国会を通過して大統領にまた送られてくることが予想されます。そうなれば憲法上の規定から大統領は8日以内に発布しなければなりません。しかし元戦士の一人として、道義上、自分がその法案を発布したくないタウル=マタン=ルアク大統領は辞職の道を選ぶかもしれません。辞職を言及しながら完全撤廃を強く主張するのは、制度に大幅な規制強化をねじ込む戦術であるとも推察できなくもありませんが、タウル=マタン=ルアク大統領の人柄を考慮するに、辞職の可能性を口にした以上、それは戦術としてではなく、本当にその覚悟をしたのだとわたしは思います。次なる段階としてタウル=マタン=ルアク大統領は、噂されているとおり新政党「大衆解放党」の党首としてシャナナ=グズマン計画戦略投資相が実権を握る連立政権から政権を奪取すべく、来年の選挙戦にむけた政治活動を始動させるのかもしれません。
大統領に近い人物にわたしは「大統領は生涯年金法を撤廃するために本当に辞職つもりか」と問い合わせたところ、「辞職しても生涯年金法は廃止できない。わたしは辞職しないようにと勧めた」という返答でした。実際に辞職するしないは別として、大統領は辞職の覚悟をもっているといってよいでしょう。
どう出る、シャナナ陣営
生涯年金制度の廃止を訴えるタウル=マタン=ルアク大統領に国会はどのような見直し案を採決して送るのか、政府の対応とともに大いに注目されます。フレテリンのル=オロ党首もマリ=アルカテリ書記長も、そもそもこの生涯年金制度をつくった張本人ですから、かれらには生涯年金の廃止を期待できません。国会議員のなかに、拒否権発動は大統領の権限なのだからそれは大統領しだい、国会と大統領府とはそれぞれ独立した機関だ、と粛々と手続きをすすめる姿勢を示す者もいれば、見直し案を拒否するということは現行のままがよいからだと大統領を皮肉る者もいます。大統領が現行制度の年金をもらいたいから見直し案を拒否するのだという言い方は世論から忌み嫌われるだけです。
国防軍司令官の任命問題でシャナナ陣営についたと思われたレレ将軍ですが、生涯年金は解放闘争を戦った者たちにたいして差別的であり、貧しい人びとの希望を失わせるものだとしてこの件に関しては大統領に賛同しています。それどころか、生涯年金は指導者たちにたいする軍事クーデターを引き起こしかねない、自分にその気はないが、熟慮しなければならない(『ディアリオ』2016年8月26日)、と危なっかしい発言をするほどです。
さて、解放闘争の最高指導者であった元戦士の最高峰であるシャナナ=グズマン氏は何を思っているのでしょうか。シャナナ計画戦略投資相は8月29日、オーストラリアにチモール海の領域画定交渉を求める件について国際裁判所の仲裁裁判所(オランダ、ハーグ)で意見陳述しました(非公開)。現在の領海線は不平等で東チモールは搾取されてきたという趣旨のことを話したであろうとオーストラリアABC局は報じています。しかし国内に目を向けたとき、シャナナ計画戦略投資相は自国民にたいして「不平等」「搾取」について誠実に語ることができるでしょうか。
~次号へ続く~
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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