青山森人の東チモールだより 第335号(2016年11月9日)

母語を大切に

ジャーナリスト裁判の日程が変更

財務省顧問だったときのルイ=マリア=デ=アラウジョ首相による汚職疑惑として『チモールポスト』紙が1年前の2015年11月10日に報じた記事内容は事実無根だとして、首相が同紙のジャーナリスト2人を名誉毀損で訴えた裁判は(「東チモールだより第333号」参照)、10月7日に審議開始の予定でしたが、被告の一人・ロレンソ=マルチンスが欠席したために審議開始が12月2日に延期されました。

ところで今年もまた東チモールに「11月12日」がやって来ます。1991年11月12日、サンタクルス墓地でインドネシア軍が平和デモを決行する若者たちに向かって無差別虐殺をした日です。この無差別発砲の様子がマックス=スタール氏のビデオに収められ世界的に発信されたことがきっかけに、国際社会が「東チモール問題」の存在を認めないわけにはいかなくなりました。「11月12日」は「青年の日」として東チモールの祝日となっています。「サンタクルスの虐殺」の現場にいたアラン=ネアン氏が今年の「青年の日」に招かれました。ネアン氏は「サンタクルスの虐殺」をアメリカ議会で証言したアメリカ人ジャーナリストです。アメリカ製の銃で叩かれたという頭に包帯がかぶせられたネアン氏の証言姿は、墓地での無差別発砲ビデオとともに、「サンタクルスの虐殺」を世界に知らしめる歴史的な資料になりました。東チモール政府はそのネアン氏を表彰する予定ですが、ネアン氏はデ=アラウジョ首相がジャーナリスト2名を起訴したことを理由に、東チモール政府からの表彰を拒否する姿勢を示しています。

母語導入に効果が現れる

ポルトガル語とテトゥン語の二つの公用語をもち、かつ多数の地方言語が存在し、ポルトガル語はもちろんのことテトゥン語もよく話せない子どもたちが決して少なくないという多言語国家・東チモールでは、公用語を話せない多くの生徒が授業についていけず、多くの教師がポルトガル語の使用に難儀しているという現実は、言語問題そして教育問題としてどっかと東チモールに腰をおろしています。

子どもたちに立ちはだかる教育の言語障壁を取り除くため、第一期シャナナ=グズマン連立政権(2007年に発足)は、多言語社会に対応するための多言語教育を計画します。まず2010年に教育省は「ユネスコ東チモール国民委員会」に多言語教育のための作業部会をつくるよう依頼します。この部会は外国人専門家の助けを借りながら、初等教育に焦点をあてた「母語に基づく多言語教育」方針をつくりました。

2011年、オイクシ地方・マナトト地方・ラウテン地方の3地方12校に母語を使った授業を試しに導入する計画が発表され、シャナナ=グズマン首相(当時)の妻で教育親善大使かつ「ユネスコ東チモール国民委員会」のカースティ=グズマンさんが調停役を務めました(「東チモールだより第205号」参照)。

2012年にはもうその母語導入の試みが始まったとばかりわたしは思っていましたが、準備に時間がかかったのでしょう、実際は2013年から試験的導入が始まりました。今年で3年目を迎えたわけですが、その結果について『東チモールの声』紙(2016年10月28日、電子版)は、母語を試験的に導入している学校では他の学校と比べ、生徒たちはより良く勉強を理解していると報じています。興味深い結果です。なおこれは新聞社が独自の調査・取材をしたうえでの記事ではなく、「ユネスコ東チモール国民委員会」の発言を紹介したものです。

この記事によると、外国人の専門家がすでに最終評価をすませており、母語を導入して教えられた生徒の方が、そうでない公立学校の生徒よりも学習が向上したといいます。一般の公立学校でも教師は生徒にたいして母語を使うことには使いますが、教師がそれぞれまちまちの方法をとっているので、母語導入のプログラムが組まれた方が生徒の理解はすすむとのことです。そしてマナトト地方でこのプログラムを観察したアントニオ=ダ=コンセイサン教育大臣は(2015年6月に急死したラサマ同大臣に代わって就任)、子どもたちの思考が拓けてきてよく学べるようになったと母語導入の成果を肯定的に語っています。

母語導入に成果が現れたという「ユネスコ東チモール国民委員会」の報告と教育大臣の見立ては、今後、東チモールの言語政策に影響を及ぼしていくことでしょう。

母語導入は「戦略開発計画」の一環

ところで母語導入の試みが発表された2011年という年ですが、これは「戦略開発計画2011~2030年」(以下、「戦略開発計画」)の「2011年」に呼応しています。

「戦略開発計画」とは、2030年までに近隣アジア諸国との格差を埋め上位中所得国家になることを目標にして、2011年から2030年までの国家づくりの基本戦略を示したものです。その要・中核に据えられているのは「タシマネ計画」という南部沿岸の大規模開発事業です。しかしこの計画はチモール海の「グレーターサンライズ」ガス田から東チモールにガス・パイプラインがひかれることを大前提としており、オーストラリアという手ごわい交渉相手がいて不確実性要素に満ちていることから、非現実性が常に問われている計画です。したがって「タシマネ計画」を要とする「戦略開発計画」も夢物語であると市民団体などから揶揄されています。オーストラリアとの外交関係と「タシマネ計画」の進捗状況をみれば、総論として「戦略開発計画」は大幅な見直しが必要です。

しかしながら、言語問題・教育問題にかんしては、二つの公用語と地方語の発展を目指し、「母語に基づく多言語教育」の推進を図るという方向性を「戦略開発計画」は示しており、これにかんしては肯定的に評価してもよいとわたしは思います。

ちょっと振り返ってみます。母語導入の試みが発表された当初、説明集会で母語導入の旗振り役のカースティ=グズマンさんは、若い女性たちから「何いってんのよ、わたしたちはテトゥン語でいくのよ」と本を投げつけられて反対されたそうです(ジャ-ナリストからきいた話、真偽のほどは?)。あるいはまた、この試みは外国人の陰謀だとかシャナナ首相(当時)の個人的な思惑だといわれたりして批判を受けました(当時フレテリンはまだ野党だったので、政策にたいして批判・野次がさかんに出ていた)。わたし自身も母語を学校教育へ導入すれば混乱あるいは差別を招くという意見をよく耳にします。

2014年6月、国会は小学校6年生になった子どもたちにテトゥン語とポルトガル語の二つの公用語の基礎をしっかりもってもらうための段階的なポルトガル語の教育をしていくという内容が含まれる法令を決議し、そして公布されました。これにたいして2015年2月、ビセンテ=グテレス国会議長(当時)は外国人と国連機関は東チモールが選択した言語の基本戦略を妨害しないで敬意を払ってほしいとこの法令への反対を表明すると、カースティ=グズマンさんは(2015年3月、シャナナ=グズマン氏と離婚)、国会議長は遠隔地には公用語をよく話せない子どもたちがいることを忘れている、東チモールはポルトガルの植民地ではない、国会議長には国益を守る義務、とくに子どもたちがよりよく知っている言語で教育を受ける権利を守る義務があると批判すると、さぁたいへん、ポルトガル語を使うこととポルトガル植民地主義的であることを結びつけるカーティスさんの論調に国会議員たちが強く反発しました(詳しくは「東チモールだより」第 296号と第297号を参照)。

授業への母語導入にかんして、たとえそれがポルトガル語教育の充実を目指すためであっても、ポルトガル語の位置づけが揺らぐのではないかと勘違いされると、知識人・エリートたちが猛反発(あるいは動揺か)を示すのです。限られた一部の層の世界とはいえ、東チモールにはポルトガル語がアンデンティティとして根付いていることがうかがえます。

「母語に基づく多言語教育」の中間報告

授業への母語導入、正確に言うと「母語に基づく多言語教育」の導入ですが、その試みについて2014年4月に、「ユネスコ東チモール国民委員会」による支援(あるいは依頼か)を受けたオーストラリアの専門家4名が調査・データ収集・授業参観をして、「東チモール母語に基づく多言語教育の試験計画、戦略的評価」と題する中間報告書を作成しています。この報告書は調査・分析から得た「鍵となる教訓」(10項目)と、これからの行動のための「勧告」(6項目)に結論をまとめています。以下、概要を紹介します。

●鍵となる教訓
1. 母語の使用はおおいに成功した。
2. 「母語に基づく多言語教育」は地域社会・家庭そして学校の関係を向上させる。
3. 「母語に基づく多言語教育」は生徒の出席率に良い効果をもたらす。
4. 良い効果をもたらす子ども本位の取り組みは、時々、伝統的教師本位の取り組みと衝突する。「母語に基づく多言語教育」は子ども本位の教育のためであると同様に伝統的手法のためでもあるので、この衝突は認識・検討される必要がある。
5. 教師は少ない訓練できわめて上手に教える。しかしながら、さらに充実した訓練が国の制度として組み込まれた方がよい。授業で使われるすべての地方語を強化するための訓練も必要である。
6. 追加的多言語原則がよく理解されていない。教育課程作成時や訓練そして広報などあらゆる場面で繰り返し明確にしておく必要がある。
7. 教育課程におけるポルトガル語の位置づけが多くの教師たちによく理解されていない。
8. この計画から一校が撤退した。その理由を注意深く検討する必要がある。
9. 「ユネスコ東チモール国民委員会」とその協力関係にあるNGOなどの機関は「母語に基づく多言語教育」に必須である。
10. この試みを継続・拡大していくためにあらゆる種類の資源が重要である。

●勧告
1. 「母語に基づく多言語教育」は規模拡大していくべきである。
2. 学校と地域社会における母語の状況を見極めるため、「母語に基づく多言語教育」の基本情報として言語分布図作成の実習が緊急課題である。
3. 母語としてのテトゥン語の役割は注意深く扱う必要がある。
4. あらゆる場面で追加的多言語原則はより注意深く説明される必要がある。なぜならこの原則は、話し言葉と書き言葉につながっていき、ポルトガル語へとつながっていくからである。
5. 「母語に基づく多言語教育」を維持・拡張していくため国家予算に組み込むべきである。
6. 「母語に基づく多言語教育」は革新的な取り組みであるので、誤解を招かないように交流をして推進していく必要がある。

子どもたちのための「戦略開発計画」であってほしい

以上の「教訓」「勧告」も興味深いのですが、調査団の具体的な観察例はさらに興味が惹かれます。例えば、子どもたちの母語を話せない教師がテトゥン語で教えているので母語導入の対象校にふさわしくない学校があるとか、ラウテン地方ではファタルク語という影響力の強い地方語があるためにマナトト地方と比べて母語導入の効果が見られるとか。残念ながら2014年のこの調査団はオイクシ地方を訪れていません。オイクシ地方はインドネシアの西チモールに囲まれた飛び地としてまた一味違った言語状況にあるかもしれないので、最新の報告書を早く読みたいものです。

想像するに、デリ(ディリ、Dili)地方にもし母語導入をするとしたら、かなりややっこしい話になるのではないでしょうか。なぜなら地方遠方から親戚を頼って“上京”し、首都の学校に通う子どもたちが大勢いるからです。デリ出身の子どもたちにとって母語はテトゥン語ですが、だからといってテトゥン語をこの地方の母語と決めつけて「母語に基づく多言語教育」を推進すると、首都で学ぶ地方出身の子どもたちの母語を国が否定することになります。実際、首都で学ぶ子どもたちの母語はテトゥン語によって存続が脅かされているのが現実です。つまり地方語にとってテトゥン語は脅威となっているのです。地方語の維持・発展のために、複数の母語が存在する一つの教室のなかで、はたしてどのような「母語に基づく多言語教育」が可能なのか、知恵を絞る必要があります。

母語を正規の授業に組み込んで子どもたちにあまねく教育の機会を与えることは、子どもたちへの投資であり、最も実りある見返りが期待できる未来への投資です。見返りが期待できない「タシマネ計画」はひとまず見直しのために休んでもらい、革新的な「母語に基づく多言語教育」を要にした「戦略開発計画」であるべきだと考えます。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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