青山森人の東チモールだより 第366号(2018年3月16日) - 領海画定条約は締結したが、パイプラインの行き先は未決定 -

「国連海洋法条約」に基づく領海画定条約の締結

長い間、チモール海を挟んで向きあう二つの国・東チモールとオーストラリアの対立の種となっていた領海画定に決着がつきました。これら両国は領海(国境)画定にかんして達した基本合意に、3月6日、ニューヨーク国連本部においてアントニオ=グテレス国連事務総長の立会いのもと、調印がされたのです。

東チモール側から調印に臨んだのはシャナナ=グズマン領海画定交渉団長ではありませんでした。なぜならCNRT(東チモール再建国民会議)という一政党の党首であるシャナナ=グズマン氏の交渉団長としての地位は与野党分け隔てなく東チモール国民の総意ではありますが、シャナナ=グズマン交渉団長は正式に現在の第7次立憲政府に入閣していないため政府代表として調印できないからです。したがって東チモールの代表として調印式に臨んだのは、領海画定交渉に一貫してシャナナ団長とともに参加し、現政権の国境画定担当首相代理でもあるアジオ=ペレイラ氏でした。オーストラリア側からはジュリー=ビショップ外相が調印式に臨みました。この調印式の様子はインターネットで見ることができます。調印のあと、アントニオ=グテレス国連事務総長と仲介機関である和解委員会の委員長そして両国代表がそれぞれ英語で軽い演説をします。「東ティモール」は英語でEast Timorというので英語で演説するときEast Timorでよさそうですが、国際社会の慣例となってしまったのか、皆がみなこぞってポルトガル語のTimor-Leste(ティモールレステ、チモールレステ)を使用しています。ところがジュリー=ビショップ外相は、たぶん普段はEast Timorといっているせいでしょうか、随分と妙な発音でTimor-Lesteといっていました(まあ、どうでもいいことですが)。

東チモールとオーストラリアは2017年8月30日、領海画定にかんして基本合意に達しましたが、合意内容は秘密交渉という性質上、具体的に明かされませんでした。しかしながら領海の線引きは中間線がひかれるという「国連海洋法条約」に基づくこと、「グレーターサンライズ」ガス田開発にかんして特別制度が設けられることなどで合意したと報じられてきました。そして基本合意に達したあとも延々と交渉が継続されました。

この交渉とは、「国連海洋法条約」に基づく仲裁裁判所による調停機関・「和解委員会」が東チモールとオーストラリアを仲介し、「グレーターサンライズ」ガス田の開発企業(「大阪ガス」も含まれる)も加わって進められてきました。

3月6日以前からポルトガルの通信社「ルザ」は情報筋から得た情報として、パイプラインが東チモールにひかれなければ東チモールはガス田からの利益の80%を得られるが、パイプラインが東チモールにひかれるとなるとそれよりも低い配分になるであろうと報じました。そして領海画定にかんして確定しても、ガス田開発にかんしてとなると困難な交渉が続けられであろうという見方が一般的でした。

さて、3月6日に調印された合意の内容とはいかに…、大筋は上記のとおりでした(条文は後日公開されるようです)。つまり、領海画定は「国連海洋法条約」に基づくこと、「グレーターサンライズ」ガス田開発にかんして特別制度が設置されること、当ガス田の利益配分は、東チモールにパイプラインがひかれない場合は80%、ひかれる場合は70%とする、という内容です。

 国連や当事国そして国際社会は、「国連海洋法条約」に基づく領海紛争の調停であることが歴史的であるとして、この条約締結を賛美しています。東チモール国内でも、独立して領土を獲得したことに伴う本来の正当な領海をようやく獲得できたとしてこの条約締結を「勝利」としてうけとめ、シャナナ交渉団長が3月11日に久しぶり帰国したときは凱旋パレードがおこなわれ、ニュース映像を見ると、かつての解放軍の戦士たちが抵抗博物館の前に集まりシャンパンを開けて祝うなど祝賀ムードが盛り上がっていたようです(去年8月末日に基本合意に達したあと、9月に帰国したシャナナ交渉団長にたいしても凱旋パレードがおこなわれている)。

しかしこの条約締結を賛美するのはあくまでも外交辞令上のことです。水面を泳ぐ水鳥の優雅な姿の下には足をバタバタと動かす現実があるように、領海画定交渉の水面下ではドロドロした国際社会の現実があります。

まだ喜べない領海画定条約の締結

オーストラリア側にとっても東チモール側にとっても領海画定条約が締結され、領海紛争が解決したものの本音では満足できない要素があります。両国に共通する不満とはパイプラインのひかれ先が未だ決まっていないことです。当然ながら自国にパイプラインをひき寄せたい東チモールとオーストラリアにとって、この先まだまだ困難な交渉が待ち受けています。

オーストラリアの報道で注目されるのは、東チモールが「国連海洋法条約」に基づく領海を獲得できたことはインドネシアをその気にさせる引き金になりうるという専門家の指摘です。つまりオーストラリアはインドネシアとの領海も二国間協議で決めましたが、東チモールに倣ってインドネシアもオーストラリアにたいして「国連海洋法条約」に基づく領海画定を要求してくるかもしれないという可能性です。そして「グレーターサンライズ」ガス田の位置を地図でみると、チモール島の少し東側にインドネシア領の島々が浮かんでおり、なかでもレティ(Leti)島はガス田に東チモールの東端のジャコ島並みに近いところにあります。このガス田の一部がインドネシア領域にかかっているとインドネシアが主張してくれば、ガス田開発はさらにややっこしくなるかもしれないのです。

1999年までインドネシアに侵略された東チモールの抑圧された状況を利用して利益を得てきたオーストラリアは、東チモールが自由になったことによってそれまでのように利益が得られなくなるのを受け入れようとせず、東チモールが独立(独立回復)したのちもチモール海の旧態依然とした領域から利益を得てきました。しかしこのことで結局、オーストラリアは東チモールに中国という選択肢を与えることになり中国の進出を東チモールに許してしまうという反動を喰らってしまいました(想像するにオーストラリアはアメリカからお目玉を喰らったことだろう)。オーストラリアの対東チモール政策の失敗です。

そもそもオーストラリア当局による東チモール閣議室の盗聴工作が発覚したことが、2006年に結んだCMATS(チモール海における海洋諸協定にかんする条約)の見直しを東チモールが強く求めるきっかけになりました。国際裁判所で盗聴にかんする審議が始まる直前、オーストラリアは盗聴にかかわったとされるオーストラリア諜報部員で東チモール側の証人となるはずの人物を拘束し、オーストラリア人弁護士から東チモール側の証拠を押収したことが東チモールを完璧なるまでに怒らせたのです。このたび領海画定条約の締結をみたことに鑑み、オーストラリアの元諜報部員([証人K]とオーストラリアの報道では呼ばれている)が未だに拘束されているならばオーストラリア政府は釈放すべきです。調印後の演説でジュリー=ビショップ外相はこの条約締結を讃えたのですから、この条約の締結に大きく貢献した「証人K」は自由を奪われるべきではなく感謝され釈放されるべきです。さもないとオーストラリア政府の言動のなかに矛盾があまりにも露骨に露呈していることになり、外交姿勢としてみっともないのではないでしょうか。

逼迫する東チモール

 東チモールがもしこれまでのように(2007年から10年間のシャナナ連立政権のように)大規模開発中心の国家運営をしていけば、そしてこれまでにように財政の8~9割が石油に頼りつづければ、チモール海の「バユウンダン」油田が2022年ごろには枯渇するであろうから、いまから10年後には「石油基金」がなくなってしまうだろう……このように指摘されたのは2~3年前です。となると、このままでは「石油基金」がなくなるまであと7~8年(2026年ごろ)しかないということになります。

領海画定条約が締結されても、「グレーターサンイライズ」ガス田の具体的な計画が未だたてないとなると、東チモールははたしていまから7~8年以内にこのガス田から利益を得られであろうか。そう考えると、東チモールは非常に逼迫した状況に置かれていることがわかります。

したがってこれからの7~8年間、東チモールには四つのとるべき道があります。一つ:これまでの財政体質を改め「石油基金」をもっと慎重に使う、二つ:チモール海の新たな天然資源田からお金を得る、三つ:これら二つの道を組み合わせる、そして四つ:財政破綻の道を突き進む。

 当然、四つ目の道を好んで選択する者はいないでしょう。三つ目の道が最善策ですが、一つ目の道が含まれる気配はいまのところありません。新しい天然資源田として「グレーターサンライズ」ガス田からパイプラインが東チモールにひかれることを大前提とする大規模開発「タシマネ計画」はすでに大金が注ぎ込まれて進行中であり、シャナナ=グズマンCNRT党首は見直しをするつもりはないようです。去年7月の選挙で政権から降りたものの、発足したフレテリン(東チモール独立革命戦線)の連立政権を袋小路に追い込み、来る5月に実施される前倒し選挙で権力を奪還するつもりです。そして開発路線を突き進むつもりでしょう。そのシャナナ=グズマン交渉団長にとって、領海画定条約の締結で正当な海域を獲得できても、パイプラインを未だ呼び込めていない現状に満足するはずがありません。

シャナナ交渉団長、仲介者を批判

 条約締結前の最終交渉となった2月のクアラルンプール交渉の後に、シャナナ交渉団長は仲介にあたった和解委員会に書簡(英文、2月28日付け)を送っています。オーストラリアABC局はその手紙を入手し公開しました。この書簡のかなでシャナナ交渉団長は交渉過程で鬱積した不平・不満を吐露しており、わたしたちは交渉の裏事情を垣間見ることができます。

シャナナ交渉団長の不平・不満とは、和解委員会が中立の立場を保たず、東チモールにパイプラインをひかれることを望まないオーストラリア側・企業側に肩入れしているという点です。内情を知らない者にとってこの指摘の正当性を客観的に判断することはできませんが、少なくとも交渉にたいする東チモール側の心の内として、オーストラリア側と企業側に加え仲介者も相手となった三対一の厳しい交渉であったことをうかがい知ることはできます。

この書簡から、パイプラインが東チモールへひかれた場合、東チモール側はオーストラリアへ10%の利益配分を提案したことがわかります。そしてその提案を和解委員会は「驚いた」とシャナナ交渉団長は記しています。このたび締結された条約は東チモールが得られる利益配分は70~80%であるからして、東チモールとしては随分と取り分を失ったといえます。

またこの書簡のなかで興味深いのは、シャナナ交渉団長による先進国の批判です。例えばこうあります――「和解委員たちによる恥知らずで大胆な態度をわたしは讃えなければならない!!!これは先進諸国に共通する資本主義者の物の考え方の表れであるといわねばならない。東チモールはこのような政策と態度が世界経済の原動力であることを学習しなければならないのだ」。またオーストラリアの先住民の現状に言及しオーストラリアを暗にこう批判します――「わたしは1968年初めてオーストラリアの北部準州を訪れ、1974年に二度目の訪問をし、25年後の1999年9月、三度目のダーウィン訪問をした。疑い無くわたしはこう述べることができる、この土地の真の所有者であるアボリニジの人々の生活環境はその25年間、実質的に何も変わっていないと。続いてオーストラリアを何回も訪問する数年間でわたしはそのことを確信した」。そして、東チモールにパイプラインがひかれれば、それは東チモールの人々の利益になるばかりでなく、東チモール側がオーストラリア側にコペンハーゲンで提案したところのオーストラリアが受け取る30億ドル以上の利益(つまり10%の利益配分)を、オーストラリアのターンブル首相は北部準州の問題解決と先住民の生活の質向上のために使える、とシャナナ交渉団長は書簡で述べています。

シャナナ交渉団長は仲介者としての和解委員会の姿勢を「先進諸国に共通する資本主義者の物の考え方」と揶揄し、オーストラリアの先住民を引き合いに出して収奪された東チモールの歴史を間接的に想起させようとしています。直接的に東チモールの悲劇の歴史を持ち出さないのはいかにもシャナナ=グズマン流の婉曲表現です。

東チモール国内に目を向ければ、シャナナCNRT党首が目指す開発路線は東チモールが資源に呪われそうなので賛成はできませんが、対外的にはシャナナ交渉団長による先進国批判にわたしたちは謙虚に耳を傾けなければなりません。そしてわたしは自らの東チモール人との接し方を省みるしだいです。

~次号へ続く~

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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