――八ヶ岳山麓から(509)――
先日、「NOWAR!守れ、9条」という石碑を立てようと、村の「憲法九条の会」に40人くらいが集まった。集会では、呼びかけ人20人余り、賛同者百数十人があること、設置場所や碑の原石、彫刻をする人などがすでにきまっていることが報告された。「憲法九条の会」の事務局を担当するKさん夫妻の長年の地道な努力の結晶である。
呼びかけ人は大部分が別荘・新住宅地の人で、「村生れ村育ち」の原住民からはわたしの同級生が1人加わっただけ。賛同者も同じ割合で、前村長も含めて原住民は10人ほどが名を連ねた。その他大勢は移住してきた人々である。わたしも「呼びかけ人」に加わるよう言われたが、名前を出したら村人の支持が小さくなると思って遠慮した。わたしは親戚・知人から「赤まっか」と思われているからである。Kさんにそれをいうとすぐに同意して「賛同者」の方に回してくれた。
実は、わたしには自分がこの集会に出ていていいのかという戸惑いがあり、少し居心地が悪かった。わたしは部分的改憲論者だからである。憲法第9条第1項で集団的自衛権を否定して非戦を固い原則とするのは当然だが、第2項は、「急迫不正の侵略に対しては領土内に厳密に限定した『専守防衛』の迎撃力を持つ」と改正し、同時に日米同盟からの脱却を求めるという考えである。
それでもわたしが「九条の会」に加わって改憲に反対するのは、自民党の改憲案は民主主義を著しく後退させるものだし、安倍内閣当時の加憲案は、自衛隊の海外派遣やアメリカとの集団的自衛権の行使をめざす軍事一辺倒の安全保障政策だったからである。
1960年代米ソの冷戦期、当時、社会党の安保政策は憲法擁護・「非武装中立」だった。わたしは軍事力なしに日本の独立は維持できないと考えて、共産党の「中立武装(自衛)」を支持した。「中立」とは、冷戦時代は米ソいずれにも与しないことだが、今日でもあらゆる軍事同盟からの離脱を意味する。日米安保条約を破棄し友好条約に変え、フィリピンがかつてそうしたように、日本の米軍基地を徐々に撤去する、というのが、わたしの考えだ。
アメリカ依存から脱却することは、一時的には中国寄りとみられるだろうが、外交努力によって国際的に厳格な中立が認められるように持ってゆく。以後、民主的で戦争をしない日本を維持するために、政治的、経済的に中国を含めた極東アジアの中でバランスを取りながら生きてゆくほかないという考えである。
今日、安全保障を語るのにウクライナ戦争は欠かせない。
そもそもプーチンのロシアは、ウクライナを中立国あるいは事実上の従属国にしようとしていた。2014年ウクライナの親露政権が崩壊すると、プーチンはロシア人の多いドンバス地方で親ロシア勢力に内戦を起こさせ、これまたロシア人の多いクリミアを併合した。バイデン米大統領はロシアの侵略が迫っていたのを知りながら、米軍をウクライナへは送らないと言明した。そして2022年2月ロシア軍はドンバス地方に侵入した。
アメリカを含むNATOの軍事援助は、ウクライナがロシア軍を撃退できる鋭利な武器ではなかったし、ウクライナに越境攻撃を許さなかった。ウクライナは「専守防衛」のモデルであるかのように貧弱な武器で自国領土内でロシア軍と戦った。プーチンが核攻撃をちらつかせてNATO諸国を威嚇するなか、ウクライナは戦局打開のために、ロシア領内を攻撃し、さらにはロシア領に侵入した。だが、戦局は不利のままである。戦争は3年目に入るが、どう収拾されるかはわからない。
この戦争を見ると、核保有国はともに真正面からの衝突を避けようとし、非核保有国は、核保有国からの侵略に対して他の核保有国の本格的支援と介入を期待できないことがわかる。核大国の得手勝手の論理からすれば、小国は見捨てられるのである。
では、中国が決意をもって尖閣諸島に通常兵器で武力侵攻してきたときはどうなるだろうか。海上自衛隊の艦船数と火力は中国海軍に劣る。自衛隊によって中国軍を撃退できないとなれば、安保条約第5条の発動、すなわちアメリカの軍事介入は当然あるはずだ。
ところが、そうはいかない。中国の20世紀末から20年間の軍拡と武器性能の向上は目覚ましい。2030年代後半には1500発の核弾頭を保有するといわれる。もちろんアメリカ本土を核攻撃できるだけの大陸間弾道弾を保有している。ウクライナ戦争の教訓からすれば、中国の侵攻にアメリカの本格的介入はないと見るべきである。尖閣で自衛隊が勝つ保証はない。そこで、軍事一辺倒の立場をとれば、中国に対抗できるだけの軍事力を持たないと、尖閣維持は無理だとわかる。台湾についても似たことがいえるのではないか。
さきに岸田前総理が目指した軍拡は、5年以内にGDP比2%を達成することを盛り込んだものだが、GDPの2%で陸・海・空3軍がどの程度の軍事力を持つか目標があったのだろうか。わたしには、アメリカの要求に屈してGDPの2%といっただけで、これといった具体的な構想があったとは思われない。
かりに、とりあえずの軍事目標を中国の通常兵器による侵略に対抗できる水準までとすれば、中国軍の水準が上がれば、日本は再度軍拡に挑戦しなくてはならない。いわゆる軍拡のジレンマに陥る。そこで右翼の一部は究極の目標として核武装を要求するだろうが、日本人の大多数は到底賛成する気にはならないだろう。
これについて、最近読んだ本の中で、ロシア軍事問題専門家の小泉悠氏は、残念ながら簡単な答えはないとしている。「現実に日本国がとる外交安全保障政策というのは(「平和一辺倒」と「軍事一辺倒との)二つのアプローチの間のどこかに位置するものとならざるを得ない。しかも中間地帯のどこに点を打つかについては、絶対的な正しい答えがない。国民から支持されたその時々の政権が『エイヤァ』で点を打っているわけです」と言っている(『小泉悠が護憲派と語り合う安全保障』かもがわ出版、2025・02・05)。
そうか「エイヤァ」だったか。じゃあ、軍事力のレベルもそれにならうことになるか。あらためて、我国が「専守防衛」の原則で軍備を持つとすればどの程度のものであるべきか、また戦争を避けるための外交はいかにあるべきか。これらを問題にしなければならない。「九条の会」に結集する方々はどうお考えだろうか。是非ともご見解を伺いたい。
注)上掲の小泉悠氏の本は非常に刺激的で時宜に適った内容です。ぜひ多くの方に読んでいただきたい。
初出:「リベラル21」2025.02.13より許可を得て転載
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-6683.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion14102:250213〕