革命を管理する軍。自らの巨大利権も

著者: 坂井定雄 さかいさだお : 龍谷大学名誉教授
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― クーデター後のエジプト(4)―

 シーシ軍最高評議会議長に率いられる軍がクーデターを起こした論理あるいは信念は「革命の管理」だといえる。
 選挙で選ばれたモルシ大統領の政権は、「1月25日革命」後1年4か月間の軍政を引き継ぎ、1年間、国民生活と経済の再建、治安の回復に懸命の努力をしてきたが、多くの国民が実感できる改善はできず、不満が高まり広がった。さらに昨年12月に国民投票で承認・実施された新憲法がイスラム色の強い内容となったため、リベラル、世俗、左派各派など野党勢力が危機感を強め、反モルシ運動が高まった。
 そして今年5月、深刻な外貨不足が引き起こした燃料危機の中、2004年の独裁政権下で始まった「キファーヤ運動」という自由と民主化を求める市民運動に加わった知識人たちが中心になり、新たな草の根運動「タマルド」(反乱)がモルシ大統領の辞任を求める署名運動を開始。野党勢力のすべてがそれに加わり、タマルドによると6月29日までに全国民の4分の1を超える、2千2百万署名が集まったという(同胞団によると17万署名)。署名運動の推進で新たな勢いを得た野党勢力は6月30日、「モルシ辞任」要求のデモを全国で開催、100万人規模の民衆を集めた。
 一方、ムスリム同胞団を中心とするモルシ支持派も同日、大統領就任1年を祝い「選挙で選ばれた正当な大統領を守れ」を掲げ、こちらも100万人規模の民衆を集め、国論が二分し、厳しく対立している姿を国内、国際社会に示した。どちらの指導者たちも「平和的なデモ」を呼びかけ、両者の衝突は小規模に終わったが、軍は同日、48時間の期限をつけてモルシ辞任を要求し、実行したのだった。
 前回書いたように、モルシ政権下の1年間、政権に協力してきた軍が、なぜ野党勢力側にサイドを移し、結局、クーデターを起こしたのか。
 それはまず、モルシ辞任以外に、事態が解決できないとシーシ以下の軍首脳部が判断したからだろう。軍と内務省の中央治安軍を動員すれば、両者の大規模衝突は避けられても、国論を二分している対立は解消できず、国の困難と混乱は続きさらに悪化する。武力による政権打倒は同胞団はじめムルシ支持者たちの、激しい抗議行動を引き起こすが、軍と警察によって押さえつけ、軍が策定する政治プログラムを進めて、政権と議会を再建し、軍は国政を委ねる。軍はモルシを拘束し、国家最高権限を奪うと同時に、憲法を停止。暫定大統領の任命、内閣の組閣、立法議会選挙、新憲法の制定、新大統領選挙―の政治プログラムを発表し着手したが、これこそ、軍による国政管理だ。
 しかし、議会選挙、大統領選挙、新憲法国民投票で過半数を獲得したムスリム同胞団は、結成以来65年間も政権と戦い続け、弾圧に耐え続けた組織だ。選挙で選ばれた大統領の正当性は、失政があったとしても、否定することはできないという確信は堅い。同胞団が無抵抗に屈服するはずはない。大規模な平和的デモで抵抗し続ける同胞団を屈服させるためには、軍と警察は武力で制圧しようとせざるを得なくなる。たちまち軍の管理は流血にまみれた。
 エジプトは52年の「7月革命」いらい、軍のトップが最高権力者の大統領だった。政府も議会も、大部分が民間人で構成され、軍は政治に直接介入はしないが、背後で国政を管理してきた。しかし、初めて民主的な選挙で選ばれた大統領のモルシは、軍との協調に努めながらも、最高権力者として軍を管理しようとし、トップ以下の人事を入れ替えた。さらに、今春、軍の退役将軍が多い県知事の多くを退職させ、同胞団系の人物を任命した。軍の不満が高まっていた。そこに国論を二分する巨大な反モルシ・デモ。エジプト軍は国政の管理者として、姿を現したのだった。

▽独立王国のような軍の特権
 さらに軍の行動の背景には、モルシ大統領が、“独立王国”といわれる軍の特権に手を出そうとしたことへの反感があったに違いない。
 大幅な赤字財政に苦しむモルシ政権が、軍が経営する大規模な事業から税収を得ようと検討を始めたため、軍側が強く反発しているというエジプト紙の報道があった。エジプト軍は兵器生産・修理のほか、家電はじめ民生用品を生産する工場など広い分野の事業を経営している。英BBCは「エジプト軍が所有する事業の規模の推定は、GDPの8-40%と幅がある。その理由は、軍の事業収入が、国の軍事予算と同様に秘密にされているからである」と報道している。また軍はエジプト最大の地主でもあり、土地開発企業のトップ3の経営者が軍の退役将軍だ。そのほか軍の退役将軍たちは、大統領が任命する県知事や国営企業に天下りしてきた。
 エジプトには、アラブ諸国では最大の軍事産業であるアラブ産業機構(AOI)があり、兵器廠(長官は大将)の下に、9の国営工場で兵器と民生用品を生産し、1千人以上の高級エンジニアを含む1万9千人の従業員がいるという。主な生産品は米国の技術供与によるM1A1戦車、兵員輸送車、装甲車、ホーク対空ミサイル、パイロット訓練装置、多種の火砲、AK47狙撃銃はじめ小火器など多岐にわたり、エジプト軍だけでなく湾岸諸国や、アフリカ諸国にも輸出している。80年代のアフガニスタンでの反ソ連戦争のさい、CIAは米国の援助に見せないように旧英軍仕様のリーエンフィールド小銃数十万丁をAOIで生産、反ソ武装勢力に供与した。80-88年のイラン・イラク戦争では、イラクを支援した米国はソ連製の多連装ロケット・ランチャーの複製をAOIで生産、イラク軍に供与した。79年のエジプト・イスラエル平和条約以後、米国は毎年、イスラエルに約30億ドル、エジプトに13-15億ドルの軍事援助を供与してきたが、エジプトの分は大部分がAOIでの兵器生産・修理に使われた。エジプトの軍事産業を大きく育てたのは米国だった。エジプト軍と米国との関係を示すAOIの歴史だ。(続く)

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