筆者のサスキア・サッセンによれば、ロヒンギャ危機に対して宗教・民族紛争(コミュナル紛争)という言い方は事柄全体の一部しか言い表していない。紛争の背景にあり危機をつくりだしているのは、小土地所有の農民などから土地を強奪するエスタブリッシュメントの軍事=経済戦略であるといいます。1990年代以降、ミャンマー全土で国軍による広大な土地の強奪が行われ、鉱山開発、木材伐採、農業、水資源の用地として活用するためその土地が企業によって買収されていったとします(転売は一種のマネーロンダリングであり、不正強奪を隠滅する手段ですーN)。ちなみにヤンゴン中心街の土地やベンガル湾を望む西海岸リゾート地が、ミャンマー人(華僑)のダミーを使って中国人によって買い占められている噂がひと頃広がりましたが、根拠のないものではないでしょう。
北部ラカイン州のロヒンギャ地域は、将来のビジネスにとって有望と見込まれ、それだけにロヒンギャは邪魔な存在だといいます。すでにロヒンギャ地区の土地1,268,077 ha (3,100,000 エーカー)を企業の農業開発のために割り当てが済んだそうです。たしかにロヒンギャ地区は地政学的にも重要な地域で、バングラデッシュやインドに国境を接し、かつまた中国が雲南省からインド洋へ抜ける回廊として確保し、一帯一路戦略に組み込みたい重要地域なのです。
私見ですが、モンゴルや東南アジアの発展途上国では、新自由主義の経済路線に基づいて(つまり官民一体で)多国籍企業による大規模資源・エネルギー開発が行われ、農民からの土地強奪や環境破壊が恐るべきスピードで進行しています。農業開発は主に多国籍企業によるアグリビジネスであり、養豚・養鶏からはじまりゴム・コーヒー・さとうきび・パーム油・とうもろこし・バナナ・キャッサバ等の換金作物をプランテーション方式で大規模に栽培するのです。そして土地を追われた農民は、低賃金でこうした大規模農場で農業労働者として働かされるようになるのです。
国連から「民族浄化作戦」と非難された国軍の掃討作戦ですが、その裏に経済的利害が絡んでいるとする筆者の主張は説得的です。ミャンマーが国境を接する二大大国である中国とインドは、なにより資源・エネルギーを渇望しています。ただ一般的に考えれば、事後テロリズムの温床となってしまう危険性のある紛争処理の仕方は、国際社会の手前もあり余りに乱暴すぎて両大国とも必ずしも賛成できないでしょう。もっと合法的にロヒンギャに「自発的に」―実態は経済的強制や心理的強制で―土地を手放させる方法はいくらでもあるでしょう。その意味では紛争の原因をすべて経済的要因へ還元してしまうとすれば、その見方はラカイン危機の全体を捉える上でやや行き過ぎと思われます。ただ筆者サッセンの言いうように、将来の経済開発を見越して全国の有望な土地についは、「地方軍の指揮官と非国家武装勢力は、・・・ほとんどの土地開発を事実上支配している.」のは事実です。開発利権に絡む汚職はどの程度かは分かりませんが、地方都市にある軍関係者の豪邸をみればおよその察しはつくというものです。
しかも筆者の言うように、外資による土地利用は雇用効果の薄い資源・エネルギーなどの採掘部門に偏っており、中産階級や労働者階級を生み出す製造業部門に向かわないのです。民主化の担い手は育たず、外資とそれと結びついた国内の産軍複合体※が肥え太り、貧富の差は拡大こそすれ縮まることはありません。
※国産ブランドのミャンマー・ビールは日本のキリンによって買収されましたが、ミャンマー・ビールこそ軍関係の独占企業、通称「ウーパイ」の所有するものでした。「ウーパイ」は中国の軍需企業と組んでレッパダウン銅鉱山を開発し、そのため多く農民が村を追われました。スーチー氏は議員として開発を認める側に回りました。
土地問題が歴史的に民主主義改革の柱であることは広く認められるところです。アジアでも封建的大土地所有を排し、まがりなりにも近代的土地所有権(特に農地)を創出する土地改革に成功した日本、台湾、中国、韓国などが、アジアの奇跡を先導し近代社会を築くことに成功しました。他方、フィリピンのようにスペイン統治の遺制である大土地所有の改革に失敗したところは、いまだ農村の極度の貧困を解消できず、たえずゲリラや麻薬マフィアが再生産されています。
ミャンマー通の識者たちがこの国のあらゆる紛争の温床となっている土地問題にほとんど触れないのは、怠慢というほかありません。実はそのことと呼応し合っているのですが、民主改革の責任政党であるNLD自身が、じつは土地改革にあまり熱心ではありません。口では農業の振興を言いますが、その土台となる農民の土地に対する権利は不十分であり、この20年ほどにわたって国軍やクロニー企業に不当にも強奪された土地の返還も十分ではありません。土地改革のためには、封建的大土地所有者に該当する国軍との政治的対決が必要なのですが、国軍との融和と協調を何よりも優先するスーチー政権ではそのことは不可能になっています。統治の政治経済社会的骨格は軍政時代とそれほど変わらず、軍政という大枠の中での民生部担当がスーチー政府であるといっても過言ではありません。しかしだからと言ってスーチー氏の国民への影響力が小さくなったわけではありません。国際社会からのバッシングの波はスーチー氏を孤立させるどころか、スーチー氏の国内求心力をかつてなく高めました。国民は「We stand with You.」(国民はあなたと一緒です、あなたを支持します)と応えて、スーチー氏にシンボル化されたナショナリズムの高揚がみられたのです。国民の全権委任といってもいいくらいの支持を背に受けて、スーチー氏がロヒンギャ問題もさることながら、民主化のための構造改革に踏み出せるかどうか、まさに政治家としての正念場です。
国軍によるロヒンギャへの暴力的追放は、その底にロヒンギャ居住地域の将来の土地利用や再開発計画の思惑を秘めながら、ビルマ族仏教徒の反ロヒンギャ感情や過激仏教僧侶による969運動などを利用して、おそらく国軍指導部において十分ねりあげられた作戦として展開されたのでしょう。ARSA―ほんとうにロヒンギャによるテロ組織なのかどうか―の突然の襲撃に対する単純な反攻作戦でなかったことは確かです。ミャンマー通の識者が振りまいた、国際な圧力をスーチー氏にかけすぎると彼女の孤立を招き、ミャンマーの民主化が危うくなるという「杞憂」に反し、国際社会の圧力はロヒンギャ救済に実を結びつつあります。スーチー=民主化の砦という自宅軟禁時代の観念は今日十分な検証が必要です。民主的改革をサボタージュする人はいてもいなくても民主化が進まないことには変わりありません。カントはイギリス経験論のヒュームによって独断論(ドグマチズム)のまどろみから目覚めさせられたと告白しましたが、この間の政治経験による科学的検証なしにいつまでもスーチー氏を民主主義のヒロイン扱いするのはもうやめるべき時です。
2017年10月17日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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