あの日本赤軍派のリーダー、重信房子さんが5月28日、懲役20年の刑を終え、満期出所。同日「パレスチナに生きる―戦士たちの記録」(幻冬舎)を出版した。おめでとう。
重信さんは、私にとって1973ー76年、共同通信社の支局長として中東レバノンのベイルートを拠点として中東全域をカバーしていたとき以来の取材対象だった。
とはいっても、直接お会いしたのは確か3回、急進的なパレスチナ解放勢力の事務所だったと記憶している。古い話だが、まだ若い私にとって、パレスチナ解放勢力の取材は緊張する場だった。出版された本の表紙と帯カバーだけでも、以下のように、書いてある。
「リッダ闘争から50年、2022年5月28日、満期出所」
「堪えた。捧げた。闘った」
77歳になる革命家が、出所を前に獄中で綴った、中東での日々。世界革命の夢。
「自分の死が前提であったリッダ闘争に、参加を決意したあの日」
もうこれが最後の日と頭ではわかっているのに、人間の生き死にに、どうしてあんなに平気で、また冷静でいられただろうと、半世紀を経て老齢となった今思い返すことがある。
でもそれは「平気」でも「冷静」でもなくて、使命への渇望が、感情,心状を無自覚的に抑えつけていたのだろうかと今は分かる
目次 戦士たちの記録―パレスチナに生きる
前章 はじめに 生い立ち 大学・自治会活動・赤軍派
第1章 ナクバの「記憶」― 1971年5月ベイルート ナクバの記憶 人間の尊厳が奪われた日のこと ナクバは続いている
第2章 パレスチナから京都へー バールベックの神殿の庭で 様々な変化の中で 戦士たちの葛藤 オリード山田の死 決断 出発 リッダ空港作戦 リッダ闘争を巡る攻防の中で それから
第3章 戦士たちの帰還と忘れられない人々― コーゾー・オカモトの帰還 カダフィのリビア 当時のパレスチナの友人たち 日本人たちの協力
第4章 国際連帯・国際主義の中でー 国際主義に目覚めて パレスチナ連帯 パレスチナとアジア連帯 アジア連帯の武装闘争 パレスチナ連帯に助けられて 国際主義のかたち 「反テロ」謀略に抗して 国際主義を捉えなおす さらなる国際主義・連帯を求めて(了)
追記 ロシアのウクライナ侵略について
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion12083:220531〕