5月20日夜9時のNHK「ニュースウオッチ9」。「自衛隊の“放水作戦” その時原発でなにが 徹底検証」には騙された。NHKの福島原発事故の報道には批判が多く、この番組を見ている人は少なかったかもしれないが、自衛隊の撮影した映像と担当隊員の短いインタビューをつなぎ合わせただけの、まるで自衛隊の広報番組だった。NHKの“徹底検証”などと報道するのは、メディアに関わってきた者の倫理としても、視聴料を払っている視聴者としても許せない。
自衛隊がヘリコプターを飛ばして、福島第一原発の原子炉上空から放水した光景は、NHKに限らずどのメディアも大々的に報道した。ヘリにぶら下げた水袋から放水した水は、大きくそれて、ときどき、やっと原子炉建屋に届いた。その水が果たして原子炉の炉心に届いたのかどうか、疑問だったが、この程度の水を建て屋の上に放水しても、炉心を冷却することなど到底できないことは、専門家でなくても分かり切ったことではなかったか。その後、消防庁と自衛隊の大型消防車が地上から大量の水を継続的に原子炉建屋に放水するようになったが、大量の汚染水が発生するために(これも分かりきっていたことだが)、外部からの放水は中止された。
このNHKの「徹底検証」では、既に放送されたヘリからの放水の映像とともに自衛隊員がいかに危険を冒したかを強調し、放射線防護用の金属板を敷いた機体の床の窓から、原子炉建屋を見下ろす隊員を映し、任務を短く語らせた。しかし、水が原子炉を収めた格納容器まで届いたのか、わずかでも原子炉の炉心を冷却したのかというデータも、その「検証」も全くない。危険を冒したというのなら、隊員を乗せたヘリの内部の放射線被ばく量がどれだけだったのか、そのデータも「検証」も全くなかった。自衛隊は当然のことではあるが、機体の床に防護用金属板を敷き、その上で隊員を作業させるなど、最大限の安全対策をしていたはずだ。自衛隊側が被ばく量のデータを公表していれば、東電側の作業員や放水車の消防署員の方が、大きいことが明らかになったのではないか。いったいNHKは何を検証したというのか。
「徹底検証」するなら、NHKの原発事故報道そのものを徹底検証するべきだ。事故発生以来、東電や原子力安全保安院側の発表する事故の状況の分析を、原子力発電推進に協力してきた、東大工学部原子力工学科の教授らにほとんど限定し、NHKの解説委員や科学部記者の解説も、ほとんどそのオウム返しだった結果、どんな報道をしてきたのか。視聴者に報道すべき、どのような事実や分析、推測を報道してこなかったのか(隠したとは言いたくないが)、どのような誤解や疑念を与え続けてきたのか、なぜ原発の安全性に警鐘を鳴らしてきた京大はじめ多くの専門家たちを排除して、彼らの見解を視聴者に届けなかったのか、「徹底検証」してほしいのだ。これは、後ろ向きに批判しているのではない。今後、原子力発電についての、日本の新たなエネルギー政策について国民的論議をしていこうというのに、NHKがこれまでのように、原発推進派の学者、専門家の見解しか報道しないのでは、どうなるのか。私たちもいま、そのためにNHKの原発事故報道を「徹底検証」しなければならないと思う。
付け加えるようだが、同じ20日の朝日新聞15面オピニオン欄の、安斎育郎・立命館大学名誉教授の「『村八分』にされ助手のまま」では、NHKが今回の原発事故報道で頼りにし続けた東大工学部原子力学科がどのような場所なのかが良くわかる。安斎氏は1960年にできた同学科の第1期生、15人の一人だった。国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めて作った学科で、『原子力村の村民養成機関』となった。「同期生のほとんどは原子力業界に進みましたが、わたしは学生のころから『原子力の安全が破綻したらどうなるか』いうことに関心があり、一人だけ原子力政策を批判する立場になりました」。安斎氏は「東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでした。主任教授が研究室のメンバー全員に『安斎とは口をきくな』と厳命し、わたしは後進の教育からも外されました」という。そして「わたしは『村八分』にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけです。『私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずはない』と直感的に分かりました」と書いている。
NHKはまず、安斎氏の研究と戦いの反省をNスペで報道し、今回の原発事故報道の「徹底検証」の序章にしてはどうだろうか。(了)
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