「本多延嘉追悼50年の集い」参加にあたって

 「呼びかけ人」である古い友人に誘われた。彼は、「懐古と懇親が基調」だが、「当然革共同の総括」が問われ、それを「60年〜70年の新左翼全体あるいは共産主義運動全体を視野に入れた総括にしたい」と言う。そうなればいい。そう考えそう願って参加するつもりである。
・中核派に訴える 「対革マル戦争」の総括を人民に提示し納得させるべきである
 しかし、まず「対革マル戦争」を問題にせざるをえない。今でも、人民の中で疑問と批判は大きい。連合赤軍事件と同じく(※)、日本の人民闘争と革命運動に大きな損害となっている。疑問と批判に応える総括が必要である。以下、私の態度と意見を表明したい。
※連合赤軍の総括は『追想にあらず』(三浦俊一編集/2019年)を読んでほしい。
・本多氏追悼 革マル派の暴力に斃れた全員を追悼 「内ゲバ」とは批判しない
 暴力的党派闘争は革マル派の党是になっている。それは、党派だけでなく、大衆運動と人民闘争を破壊する。中核派や解放派だけでなく、「70年闘争」を破壊する攻撃であった。
 1960~70年代、新左翼は「三派or五派or八派共闘」を組み、全学連・全共闘と反戦青年委員会を指導し、人民闘争を主導した。60年安保闘争では、ブンド・全学連は存在したが、まだ社共・総評ブロックが人民闘争を主導していた。それが「70年闘争」では、議会主義と改良主義の社共から、「実力闘争」(基礎はプロレタリア階級独裁と暴力革命の思想)の革命的左翼へと、主導権が移行した。これは画期的であった。
 革マル派の暴力的党派闘争はそれを破壊する攻撃であった。闘争と運動の中で批判し抑止するのが基本であるが、それだけでは止められない。その基本に持ち込むには、「理があり節度がある専守防衛の暴力」も必要である。だから、中核派と解放派が革マル派と対立し、闘争は暴力化したが(「対革マル戦争」)、「内ゲバ」とは批判しない。闘争自体は支持する。
 ブンドは、中核派と解放派の壁によって革マル派の暴力から守られていた。にもかかわらず、「中核派や解放派の党派闘争」と他人事にした。ここは反省しなくてはならない。
・しかし「革命戦争」規定は納得できない 「八派共闘」で革マル派と闘争するべきであった
 中核派は「対革マル戦争=革命戦争」と位置づけた。それによって、専守防衛を超え、無制限の暴力になった。実際は革マル派の暴力的党派闘争の構図に引き込まれたのではないか。
そもそも革命戦争の情勢ではなかった。現実離れした革命戦争方針は、ブンドでは崩壊と連合赤軍事件に帰結した。中核派では深刻な内部問題は発生しなかったのか。
 当時、革命的左翼の「八派共闘」が存在した。共産党が「秩序派」として全共闘運動に反対する暴力的闘争に出てきた時、「八派共闘」の暴力的闘争で対処した。「理があり節度がある専守防衛の暴力」であった。革マル派の暴力的党派闘争に対しても、そうするべきであった。
 中核派と解放派が中心になるとしても、「八派共闘」で闘争する。そうすることで、「70年闘争」を、つまり人民闘争と革命運動を防衛する闘争にする。「理があり節度がある専守防衛の暴力」にする。闘争と運動の中で批判し抑止する基本の構図に革マル派を引き込む。そういう戦略と方向性で闘争するべきであった。
・プロレタリア階級独裁は複数or多数の党派の共闘である この確認が内ゲバを抑制する
 革命的左翼の「三派or五派or八派共闘」の内部でも、暴力的党派闘争は存在した。こっちの方は明確に内ゲバであり、防止しなくてはならないものであった。
 「八派共闘」と「全国全共闘」から、将来のプロレテリア階級独裁(コンミューン・ソヴィエト型国家)をイメージできる。一党独裁ではない(それは官僚制国家資本主義)。プロレタリア階級の革命党を自認する複数or多数の党派の共闘になる(真理の存在は絶対的だがその真理に対する認識は相対的)。こう確認すれば、内ゲバは相当に抑制できるのではないか。
 全共闘運動は、大学という小社会における、学生という特殊な階層の反資本主義闘争であった。一瞬、革命が垣間見えた。将来の社会主義革命を、「全共闘運動の全人民化・全社会化」とイメージできる。そこから、革命のための重要な教訓を引き出せる。
・最後に党派性を表明したい 「反帝反スタ」は二元論 やはり一元論の「反帝」
 共産主義運動全体の総括も、祖国防衛主義の突破と反戦闘争も、要は中国論になる。中国は帝国主義である。米国(or米日)と中国、両方の帝国主義に反対する。
 資本主義は「労働と所有の分離」である(「労働力の商品化」はだめ)。中国では、法形式的には国家所有の生産手段も、実質は官僚が独占し所有している。官僚が階級化し、労働者階級を隷属させ搾取している。資本主義の生産関係である(「過渡期の歪曲・疎外」ではだめ)。特徴づけて官僚制国家資本主義と規定する(それがスターリン主義)。(おわり)