20世紀社会主義の自己崩壊と共産党の自滅

20世紀社会主義は戦時社会主義
 1989年に始まったソ連・東欧社会主義崩壊を現地で追跡できた私は、その歴史的証言を『ハンガリー改革小史』(日本評論社、1990年)にまとめた。戦後社会主義体制の崩壊という歴史的変動に遭遇するなかで、20世紀社会主義を総括する必要性を感じた。ハンガリー共産党(ハンガリー社会主義労働者党)が瓦解する過程や周辺諸国の共産党支配が総崩れする状況をどのように理解するか。私はその後の著作の中でも、常にこの問題意識を持ちながら分析を行ってきた。
 上記の拙著では、「20世紀社会主義は、その生誕から崩壊に至るまで、戦時社会主義という性格を超えることができない存在だった」と結論付けている。20世紀は第一次世界大戦と第二次世界大戦の二つの大戦、さらには莫大な人的犠牲をもたらしたヴェトナム戦争に象徴される「戦争の世紀」であった。社会主義の抽象的な理念はそれとして、現実に存在した社会主義はその生誕から崩壊に至るまで、20世紀という時代の制約を免れることはできなかった。その制約が20世紀社会主義の自己崩壊を帰結した。
 当然のことながら、20世紀初頭の社会主義思想と運動は封建的君主制との闘いという歴史的制約を受けていた。当時の社会主義思想は封建君主制にたいする共和制を目指す近代啓蒙主義の流れを汲む進歩的思想である。労働者階級の独裁権力を樹立して、一握りの支配層が大多数の人民を支配する君主制に代わって、多数が少数を支配する社会体制を構築しようとするものだった。
 しかし、現実の歴史過程は単純には進まない。共産党が権力を取ったロシアでは激しい政治闘争を通して、共産党支配が「世俗の王制」を生み出した。権力を確立する過程の中で、共産党の独裁支配は共産党書記長を個人的に崇拝するという「世俗の王」を生み出すことになった。このソ連型の統治は戦後の東欧社会主義政権にも移植された。20世紀を通して、共産党組織や社会主義権力は、帝国主義戦争と前世紀から続く君主制の封建遺制の影響から免れることはなかった。
 権力的地位にない共産党はそのような影響を受けないと考えるのは、空想的観念論である。20世紀という時代の制約は、権力的地位にあろうとなかろうと、すべての共産党組織を規定している。封建制の母斑を抱えた現実の社会主義権力と共産党が支配してきた社会では、その権力が崩壊した後も、あるいは崩壊せずに変容を重ねた後も、さらには共産党の形式をとると否とにかかわらず、個人独裁という統治の枠組みを保持するかそれを強化して、権力を延命させ生きながらえている。それらに共通するのは、暴力的威嚇にもとづく独裁制という統治の枠組みである。それが、今なお、ロシアや中国、あるいは北朝鮮の政治支配を可能にしている。20世紀戦時社会主義が、暴力にもとづく支配という骨と皮だけに形骸化された成れの果てである。
 20世紀を通して、西欧でも共産党はそれなりの政治的地位を保っていたが、東欧社会主義の崩壊によって、すべて社会民主主義政党に吸収されてしまった。ロシアや旧ソ連の共和国では形を変えた独裁的支配が継続し、封建的独裁国家に劣化してきた。北朝鮮はそのアジア的典型である。わずかに中国共産党だけは、膨大な農村人口を社会的分業の中に取り込むことによって市場経済を飛躍的に発展させ、資本主義的経済を土台に据え、共産党権力を維持し続けている。市場経済を否定するソ連型社会主義から脱却することによって、中国共産党は延命の道を歩むことができた。その結果、中国共産党は巨大な市場経済をベースにした国家資本主義経済を統制する独裁党として、巨大経済社会の「見張り役」に転身させることに成功したが、戦時社会主義の政治支配だけは堅持している。
 日本を除き、先進資本主義国の共産党はすべて、市場経済を前提とする社会民主主義政党に姿を変えた。ソ連型「計画経済」が西欧型市場経済に敗北したのだから、それは自然なことであった。政治的民主主義と市場経済を土台にした福祉国家を目指す西欧の社会民主主義は、ソ連型社会主義よりもはるかに発展的で人間的なシステムであることが歴史的に証明された。日本共産党はこの歴史過程を正しく認識し、自らを変えるチャンスを失った。
 20世紀社会主義の自己崩壊を分析し、正しく認識する作業を怠った日本共産党は、党名保持に固執しただけでなく、「現存してきた社会主義は真の社会主義ではなかったから崩壊したのは当然」という思弁的思考で社会主義崩壊の影響を避けようとした。それどころか、20世紀初頭の戦時社会主義の党組織原則を頑なに守ることで、21世紀を生き延びようとしてきた。こうして、20世紀社会主義崩壊から進むべき道を再考し、自らを変革する契機を逸してしまった。
 20世紀戦時社会主義に代わる社会的展望を明らかにするのではなく、一方で19世紀の抽象的な社会主義理念を掲げながら、他方で100年以上も前の党組織原則を金科玉条のように掲げているのでは、21世紀の社会進歩から後れを取るばかりである。20世紀のソ連・東欧社会主義も、頑なにソ連型システムに固執することによって、自壊への道を歩んだのである。
 自由に言論を戦わすことができず、金太郎飴のように、党中央の決定をオウム返しに唱えるような党員に誰が魅力を感じるだろうか。そういう不自由な党が政権を取れば、ロシアや中国のような言論統制が行われる社会になるだろうと推測されても仕方がない。こういう社会的感覚を持つことができない政治指導者に、時代を先取りする力を期待することはできない。
 結局のところ、日本共産党は1989年に始まるソ連・東欧社会主義の崩壊から何も学ばなかった。「社会主義の理念ははるか彼方にある」ことを唱え、ソ連・東欧社会主義と違うことを強調するのは、それこそ空想的社会主義である。20世紀社会主義の崩壊から学び、自らの組織を改革できなかったことが、現在のじり貧状況を生み出した。この段になっても、そういう反省すらできない幹部が指導する党に未来はない。
 もっとも、東欧社会主義崩壊にいたる党内論争が解党を促進したことを考えれば、党幹部の危機感は理解できる。党内の議論を自由化すれば、ほとんど収拾がつかなくなり、解党的な状況が生まれる恐れがある。党幹部が危惧しているのはそれだろう。しかし、党内の議論を自由化しようがしまいが、戦時社会主義の軍事的組織原則を頑なに守る組織には自壊する道しか残されていない。阿部治平氏が結論付けたように、このままでは共産党は「マルクス主義の思想的サロン」というきわめて小規模な政治的思想集団に縮小していくだろう。それもこれも、現実の社会主義の分析から学ぶのではなく、100年以上も前の「古典」の字句を弄(もてあそ)ぶ観念論的思考に凝り固まっているからである。あれほど隆盛を誇っていた日本のマルクス経済学が訓詁主義学問に陥り、日本の学界でその影響力を失ったのと同じ結末である。

平時社会主義を構築できなかった20世紀社会主義
 私は近著『体制転換の政治経済社会学-中・東欧30年の社会変動を解明する』(日本評論社、2020年)で、20世紀戦時社会主義と1989年に始まった体制転換の社会的歴史的変動の総括を試みた。旧来の社会哲学的命題に頼るのではなく、現実から分析する視点から、なにゆえに20世紀戦時社会主義が「発展する社会」ではなく、「死滅する社会」になったのかを分析した。そこから、社会が自己崩壊するとはどういうことか、20世紀社会主義社会が崩壊する必然性はどこにあったのかを考察した。旧来のマルクス主義の概念を駆使しても、これを解明することはできない。詳しくは拙著を参照されたい。
 ハンガリーに在住する私にとって、ハンガリー動乱を歴史的に総括することも、分析課題の一つであった。東欧社会主義の成立と崩壊を理解するうえで、ハンガリー動乱の歴史的理論的な評価は決定的に重要である。当時、東欧社会主義国は「人民民主主義国から社会主義を樹立した」と描かれた。ソ連共産党によって定式化された「人民民主主義革命から社会主義革命へ」という命題と、現実の歴史過程との間には説明がつかないほどの乖離が存在する。東欧社会主義樹立の現実過程は、ソ連社会主義時代を通して日常的に実行されていた政治的反対者への陰謀工作や暴力的粛清に満ち溢れている。ソ連共産党の公式命題は、その現実の醜いプロセスを覆い隠すイデオロギーに過ぎなかった。これを解明するために、80頁の紙幅を使ってハンガリー動乱をもたらした政治的過程を叙述し、東欧社会主義が社会体制としていかに脆弱なものだったかを叙述した。
 ハンガリー動乱後の1960年代初頭から、いわば「戦時経済管理」から「平時経済管理」への転換が最大の政治課題になり、市場経済メカニズムの導入がソ連でも東欧でも活発に議論された。今から見れば、戦後社会主義体制の中で、もっとも活発な議論が展開された時期であった。現実の切迫状況が議論を活性化させたのである。「共産党政治局主導の計画経済」による経済停滞が深刻化し、経済管理の大胆な改革なしには資本主義経済と競争できないことが明らかになったからである。
 しかし、ソ連も東欧諸国も、戦時的計画経済=配給経済(上からの配分指示経済)に代わる市場を組み込んだ社会主義経済を構想することも、現実化することもできなかった。市場経済の大幅な解禁がソ連型支配を崩壊させるという危機意識が、この論争の終止符を打った。事実、「プラハの春」がこの議論を吹き飛ばし、社会主義陣営が支援したヴェトナム戦争がアメリカの敗北に終わった時点で、20世紀戦時社会主義を改革する機運が消滅した。その後、ソ連・東欧社会主義は再び長期停滞の道を歩み、「プラハの春」抑圧から20年の時間を経て、腐った樹木が朽ち落ちるように自己崩壊した。ソ連社会主義70年、東欧社会主義40年の歴史が終わった。人の一生より短い社会寿命であった。
 20世紀社会主義が、その生誕から崩壊に至るまで、平時の社会主義経済を構築できなかったこと、レーニン党組織や党独裁権力を改革できなかったことが、20世紀社会主義の絶対的な限界であった。その限界は、今なお共産党を党名として掲げている政党についても当てはまる。自分たちだけが歴史の限界から免れていると考えるのは、あまりに主観的で空想的である。

戦時社会主義は人民抑圧権力に転嫁
 前掲書(『体制転換の政治経済社会学』)の最終章では、20世紀社会主義と体制転換の総括を行っている。この分析のロシアおよび中国への適用は、拙稿「第一章 体制転換の分析視角と課題」(池本修一編著『体制転換における国家と市場の相克』(日本評論社、2021年)に詳しい。
 これらの論考で20世紀社会主義に共通する特徴を上げている。
① 共産党による一党独裁政治(啓蒙絶対権力=世俗の王制)
② 軍事組織をモデルとする共産党組織と武装組織(政治警察)の創設
③ 特定指導者の個人崇拝による長期支配(世俗の王)
④ 私的所有・私的営業を基礎とする市場経済の廃止、所有・営業の国有化・集団化
⑤ 国民経済計画と称する経済目標の政治決定
⑥ 市場に代わる戦時的配給(数量・価格管理)制度による生産と消費の制御統制
⑦ 体制および党批判(=異端)の排除(政治警察による)
⑧ 西側への旅行制限による鎖国
⑨ 戦時体制を永続化させる反帝国主義イデオロギーによる国家統一
 
 言うまでもなく、社会主義の目標を達成するためには、それを保証する政治社会体制が必要である。20世紀の歴史に制約された戦時社会主義は、人民国家の樹立という抽象的な目標実現のために、手段を選ぶことなく国民生活を徹底的に統制し、異論を封じる政治社会体制を作り上げてきた。その結果、人々の社会経済活動の意欲は削がれ、自らが積極的に改善改革を提言する自由や活力が失われた。目的を達成するはずの手段が、人々の豊かな社会生活を抑圧するという体制を作り上げたのである。
 こうして作り上げられた社会体制は、社会主義という名のイデオロギーによって正当化された。そのようなイデオロギーがたんなる飾り言葉でしかなくなった後もなお、社会を抑圧し続けている。今のロシアや中国、北朝鮮がまさにそれである。戦時社会主義時代に作り上げられた政治的支配は、社会主義が死してもなお、社会を支配し続けている。そして、先進国で唯一存続している共産党にも、戦時社会主義の痕跡が今なお深く根付いている。そのような国家社会や党に、21世紀の未来があるとは思われない。

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