――八ヶ岳山麓から(393)――
8月末に日本のメディアは、中国のネット上に習近平総書記(国家主席)を批判する文書が現れたと報じた。5年に1度の中国共産党大会を秋に控えて、3期目を目指す習氏の権力集中と個人崇拝への動き、党指導部の権力乱用を批判したものである。
文書はベテラン党員3人の名前で、党大会への提案として8月22日に書かれ、中国の人権問題に詳しい「維権網」が25日に報じた(時事2022・08・29、テレビ朝日2022・08・30)。
「維権網」は「現在3人は当局の厳重な監視下に置かれ、いつ身の危険があるかわからない。しかし、彼らはすべてを準備しており、本ネットは3人の安全をひきつづき注視している」という。
3人の主張は、中国民衆の間に底流として存在する中共一党支配への反感、不満、恨みを代弁したものであろう。だが、これが党大会で議論される見込みはまったくない。それどころかこの3人は、ノーベル平和賞受賞者、零八宣言の劉暁波氏のように「国家政権転覆扇動罪」に問われ、長期刑に処せられる恐れがある。
投獄覚悟の主張がどんなものかを知るうえで重要だと思われるので、ここにその概略を記すことにした。
( )内は阿部の補充。
2022年8月22日
中共20回大会に党規約の二項目の改定を求める
董 洪義
馬 貴全
田 奇荘
第一、2017年中国共産党規約の総論の最後の段落の一文「党政軍民学、東西南北中、党はすべてを指導する」を取消すこと
中国憲法の規定では「すべての国家機関と武装力量、各政党、各社会団体、各企業・事業組織は、憲法と法律を遵守しなければならない」としている。共産党もまた政党の一つとして、憲法を順守すべきこと当然である。
だが、憲法は「中共の指導は中国の特色ある社会主義のもっとも本質的規定である」と規定している。中共は、全国人民の社会主義建設の権力を所有しているともいえる。だが憲法が中共に授与したのは、有限の権力であって無限ではない。
「党政軍民学、東西南北中、党はすべてを指導する」という文言が最初に世に出たのは文化大革命期であり、これは大衆組織各派の大乱闘による混乱に対して、速やかに秩序を回復しようとした毛沢東の指示であって特殊な文脈に属しており、一般的意義をもたない。また、マルクス・レーニン主義の古典のなかにも、改革開放の経験総括のなかにも、これに類した表現はない。
現在、わが国家は数十年の法治の普及を経て、経済は繁栄し、政治は安定し、国家機構は健全となり、政策・法規は普及した。官僚はおのおの職務を遂行すれば十分である。こうした背景のもとで、往年の「語録」の抜き書きを引用して今日の実践を指導するのは、情勢の変化に相応せず的外れではなかろうか。
我国がいま直面する主な問題は、党委員会の権力が過大で干渉が過ぎ、本来やるべきことをやらないことだ。指導幹部は大いに賄賂を稼ぎ、官職の売買は止まるところがない。中央規律機関は、国際的常識である高級官僚の個人財産公開を受け入れない。まさか腐敗・涜職の処罰を「永遠に放っておく」つもりではなかろうな。
共産党員によっては、その収入・福利は一般民衆よりはるかに高い。年間100元余の養老手当てしかない農村高齢者の生活は、ことばにならないほど苦しい。これはすでに党の信用に重大な影響を及ぼしている。だが、制度改革はどこにも見当たらない。
(下級の)人民代表大会が(一段階上の)人民代表を選挙するのは、人民代表大会の重要な職責である。ところが、党委員会がすべての人民代表候補者名簿の提出を代行している。
注)郷鎮と県レベルの人民代表は選挙民の直接選挙。省レベルの人民代表は県レベルの人民代表大会が、全国人民代表は省レベルの人民代表大会が選ぶ間接選挙である。したがってここでは県レベルと省レベルの人民代表大会を指す。
憲法は人民代表大会の代表が官僚の職務を問責する権利を保証している。これは全世界一般に行われる官界の不正を管理する手段であるが、党委員会は「間違っていないと思う」としてかたづけてしまい、人民代表は代表というよりお客様になっている。
多年、多くの選挙民は人民代表が(電話やメールアドレスなど)連絡方法を公開するよう求めてきたが、人民代表大会は回答を引き延ばしにしている。
かくして最高権力を持つはずの人民代表大会は、すでに耐え難く無力な状況に陥ってしまった。
党が「一切を指導する」として前面に立ちはだかるために、多くの公務機関は存在感を失ってしまった。武漢の新型コロナ感染があのように大きな混乱を招いたのは、司法機関が「伝染病防止法」に照らして官僚の法的責任を追及することなく、真相を明らかにした李文亮医師を「公安訓戒」処分としたからである。
もしも再び重大な感染状況が生まれればどうするのか。また安定維持方式(ロックダウン)で対処しようというのか。
党規約は「党は一切を指導する」と強調するが、権力を行使したのちの責任のとりかたが明確になってはいない。なぜこのような重大な抜け穴が生まれたのか。
役人として大きな権限を持ちながら責任を取らなくてもいいというなら、誰だって官職の奪い合いに夢中になる。これが官職売買の市場を開くものになっているのではないか。
注)以前から役所の官職売買はなかば公然と行われており、出世階段に応じて相場がある。
「党が一切を指導する」という原則は、常識では通用しないし、論理も通らない。古今中外どんな組織も「一切を指導する」権利を与えられたものはいない。またいかなる人物でも「一切を指導する」ことなどできはしない。中共の主な目的は、国家の繁栄と隆盛、人民の幸福と安泰であり、「一切を指導する」権力を独占するのが目的ではない。
急務は現在の指導方法を改めることである。党規約に以下の内容を加えるよう提案する。
「中国共産党は、責任・権限・利益を統一した科学的指導体制を樹立するよう努力する。
党と政の分離を促進し、おのおのその職を遂行する。すべての公権力は必ず法の定めるところによって権限を与えられ、公開・透明に事を運ぶ。権力の限界・責任・期限・評価の基準・審査の方法を明確にする。
重要な部署の主たる指導者は適時公聴会に参加し、人民代表大会・政治協商会議・メディア・大衆代表の評価を受ける。
幹部職員が(コネ・賄賂などではなく)実力でその職務をかちとるのを奨励する。
候補者数が当選者数をうわまわる選挙を実施する。
メディアが各レベルの党機関と指導幹部に対して批判と監督をするのを奨励する。
厳密な制度・厳粛な評価・厳格な賞罰を用いて、権力争いや官職売買の劣悪な空気に歯止めをかける」
第二、党規約第2章第6款、党はいかなる個人崇拝も禁止すること
「第6款」後半の「党の指導者の活動するところは、党と人民の監督のもとにあることが保障されねばならない、同時に党と人民の利益を代表する指導者の威信は守られねばならない」という内容を削除するよう提案する。
これは本款の趣旨と関係がなく蛇足である。個人崇拝は国家存亡にかかわり、単に「禁止する」というのでは、陰謀家の野心を
阻止することもできず、かつその意図がどこにあるか知れず、(上官に)媚びへつらい昇格を求めるのを阻止することも難しい。
真正の「禁止」は、相応する制裁、懲罰を伴わなければならない。この款は以下のような内容を加えるよう提案する。
「個人崇拝がかつて国家と人民、党に極めて重大な損害を与え、かつ権力の過剰な集中と大衆による監督が欠けていたために極めて悲惨な教訓を残した。
特に党指導幹部は,みな個人崇拝の限界を明確に自覚し、批判し、制止し、かつこの類の行為を告発しなければならない。
規律委員会は適時個人崇拝の画策者を捜査し、職権を利用して個人崇拝を行う指導幹部をすべて党から除籍し、公職追放を提案しなければならない」
以上、我々は、(改正された)法令発布後ただちに強大な圧力を持って執行に移し、規定された目的を達成するよう希望する。さもないと個人崇拝は再び復活し、文化大革命の悲劇は確実に再来するであろう。(完)
(2022・09・02)
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