2024. 2.1 ● 新年に能登半島を襲った地震・津波は、多くの被災者の生命を奪い、1か月たっても水や電気のライフラインが復旧せず、大雪の中でボランティアの片付け手伝いも難しい、緊急事態が続いています。東京のホテルや料亭で毎晩グルメを漁り続ける首相も、被災時に東京の自宅にいて被災地に視察に入ったのは首相と同じ2週間後の県知事も、初動の遅れとライフライン・住民避難誘導の危機管理の甘さは、ちょうど同じ冬期の1995年阪神淡路大震災、2011年東日本大震災・大津波や2016年熊本地震の経験を活かせなかった、大惨事です。震度7を経験した志賀町は、北陸電力の原発のあるところ、活断層の有無と危険度がずっと問題になっていたところで、2011年以降停止していたのが不幸中の幸い。それでも燃料プールには1号機に672体、2号機に200体の使用済み核燃料が貯蔵され、冷却されていました。
● 北電は「安全上の問題はない」と直後に発表しましたが、その後変圧器の油漏れや3メートルの水位上昇、放射能計測ポスト13箇所のデータ欠落など、次々に問題が見つかりました。この地域の活断層の予測は建設設計時とは大きく変わってきましたから、もし稼働中であったら、福島原発なみの事故もありえたでしょう。今回100人以上の犠牲者を出した珠洲市は、1976年の関西電力の原発計画を住民の粘り強い反対運動によって2003年に凍結させた立地断念地点です。東京電力の福島もそうですが、関西の電力を能登半島に求めたのも、もともと原発には人間にとっての大きな危険が予測されたからでした。志賀原発ばかりでなく、柏崎原発も、敦賀から高浜に至る「原発銀座」についても、改めて本格的な安全審査が必要になるでしょう。
● 原子力発電は、日本のポスト高度経済成長時代の、基幹産業の一つでした。石炭から石油へ、その石油が中東への輸入に頼り危機になると、今度は石油から原子力と称して、1980年代以降のエネルギー転換を主導してきました。そのバブル期に向かう日本の国際的地位上昇の推進力になったもう一つの産業が、トヨタをはじめとする自動車産業でした。石油危機と排ガス規制・低燃費による欧米での小型車志向に乗って輸出を増やし、アメリカ車はもちろんドイツ車の市場にも浸食して、文字通りの基幹産業になりました。原発推進が2011年福島原発事故で挫折し再生エネルギーへの転換が不可避になっても、日本の自動車産業は「失われた30年」の例外部門としてシェアを拡大し、2023年までトヨタは4年連続世界一で、ホンダ・日産・スズキも世界的メーカーです。
● ただし、ここにも脱炭素・EV化の波が迫ってきて、車種別ではテスラのEV車がトヨタ・カローラを上回り、EV車では中国車が大きく伸びています。そこに、トヨタ傘下の豊田自動織機が自動車エンジンの性能試験のデータを「きれいに見せる」不正書き換えで型式指定申告、ランドクルーザーなど10車種が出荷停止になりました。すでに同じ傘下の日野自動車・ダイハツ工業も認証制度の不正が明るみに出ていましたから、トヨタグループ全体での数十年の不正です。どうやら「失われた30年」のほとんど唯一の売りであった自動車輸出は、原発同様に、安全性をないがしろにした利益優先の大企業体質でもたらされたものであったようです。株式市場は不動産バブルと外資による日本買い、日銀マイナス金利で好況に見えますが、このトヨタ失速で失う国際的信用は大きく、日本経済はさらに世界から取り残されます。
● その日本経済の中心にある経団連会長によれば、自民党に対する政治献金は、「社会貢献」なのだそうです。なるほど低賃金・物価高のもとで内部留保を蓄積してきた大企業にすれば、「失われた30年」を金融政策やアベノミクスでごまかしてきた自民党政治に一部を「献上」し、地方議員や投票買収の「裏金」に使ってもらうのは、自社・自産業維持の担保・保険金なのでしょう。軍需産業やベンチャービジネスでは、なおさらです。震災復興が必要なのに、経済効果さえ怪しい大阪万博に固執するのも、財界としては、ギャンブルがらみのカジノ資本主義に近づく、一階梯なのでしょう。しかし、ますます貧困化する科学技術政策・大学政策、家族定住を認めないまま低賃金長時間労働に閉じ込めようとする外国人労働者政策・難民政策を見れば、この国の没落は、加速するでしょう。
● 医療や介護の労働価値を高める北欧型福祉・社会保障、従属や追随を拒否するインド風自主外交、トランプによって攪乱されるが日本よりはましなアメリカの権力分立と政治資金の透明性、教育や文化への集中投資で生き残る小国シンガポールや韓国の知恵、体育館に集住避難させる日本と同じ地震国でありながら、被害者救済や避難設備・生活支援で隔絶したイタリアの人権を踏まえた災害対策など、いくらでも学べる海外の事例があるのに、この国は、外国人と見れば警官がすぐに職務質問し、ミス日本に日本国籍だが日本人の血筋がないと差別しSNSでいじめ、群馬では2004年から公園内にあった朝鮮人強制連行の慰霊碑を自治体が撤去、なんとも多様性を無視し忌諱する国です。その頂点が、現職外務大臣をルッキズムで評する自民党副総裁がまかり通ることでしょうか。
● 自民党の派閥政治と裏金の問題は、まさにポスト高度成長期の政治に、一貫してつきまとってきたものです。1994年の政治改革の不徹底のツケが、30年後に政界を揺るがしています。中選挙区ではカネがかかるというので小選挙区制を導入し、政党助成金制度が生まれたのに、企業・団体献金については抜け穴だらけで、自民党安倍派の政治資金パーティで6億7500万円以上、二階派で2億6400万円、岸田派でも3000万円の違法収入が、明らかになりました。政党が政治家個人に支出する「政策活動費」は、各党幹事長クラスの非課税資金となっており、自民党二階幹事長時代は5年間で50億円、22年の自民党茂木幹事長の9億7150万円のほか、麻生太郎副総裁に6000万円、野党でも22年に、立憲民主党の泉健太代表・西村智奈美幹事長各5000万円、維新の会藤田幹事長5057万円、国民民主党榛葉幹事長6600万円が、使途不明のまま使われてきました。そろそろ確定申告の時期、インボイス制度まで導入されて厳しく脱税を取り締まられる中小零細業者や庶民からすれば、はらわたが煮えくり返る思いでしょう。
● 20世紀後半の日本を牽引し、21世紀の第1四半期の「失われた30年」でもしぶとく生き残ってきたが。そろそろ賞味期限が怪しくなった原子力村、自動車産業、自民党に比すれば、ぐっとスケールが小さいですが、自民党に対抗する野党の一つである日本共産党も、どうやら賞味期限切れのようです。30年前の政治改革の時期には、土井たか子委員長率いる日本社会党が、自民党に対する対抗軸として生きていて、一時は「山が動いた」とまで呼ばれた躍進を遂げました。1994年村山首相の自社さ連立政権までは存続しましたが、阪神・淡路大地震対策を含む安保・自衛隊政策での政策変更で失策・失速し、社会民主党などへと分解・解体しました。もっとも、その日本社会党解体が、15年後に民主党政権を可能にしたといえなくもありませんが。
● 1990年代に東欧革命・ソ連崩壊で存亡の危機だった共産党は、解体した日本社会党支持票の一部の受け皿となることで、西欧諸国共産党が崩壊していく中でも、なんとか生き残りました。しかし、東アジアに生き残った中国共産党・朝鮮労働党とのつながりを否定しても党名から有権者は離反するばかりで、党勢の歴史的衰退は、宮地健一さんや広原守明さんが分析する党員の高齢化、党員数・機関紙の半減として進行し、30年後の新たな政治改革の時代に直面して、日本社会党と似たような道を辿ろうとしています。ちょうど30年前が、インターネット元年とか、ボランティア元年とか呼ばれた時期で、政党にとっての情報環境も、社会運動の編成主体も、大きく変わっています。この21世紀的環境に、どのように積極的に対応できるかが、かつての保守にとっても革新にとっても、延命の鍵となるでしょう。
● 共産党は、新聞やテレビの報道では1月第29回党大会での田村智子女性委員長誕生によるイメージ刷新・巻き返しも報じられていますが、SNSを中心としたウェブ上での情報や you tube 映像を眺めてみると、志位議長の「院政」をはじめ、旧態依然です。1年前から二人の有力党員が党首公選制を求めるなど、同党の異論を排除するコミンテルン以来の「民主集中制」の問題点が吹き出し、二人は除名されても、それを支援し論じる多くのサイトが生まれました。党大会前には7人の党員・元党員の覆面記者会見、党大会では中央の措置に異議を唱えた神奈川県の代議員への集中砲火で、社会的常識からするとパワハラとしか見えない弾劾・糾弾、そして前大会以来の党勢衰退も目標未達成も「反共攻撃」のせいにして、無責任な旧主的組織保存と自己推薦老醜人事、せっかく新たな政治改革の時代のきっかけを「しんぶん赤旗」が作ったはずなのに、積極的解体か、自然死かの、選択を迫られています。私の考えは、すでに30年前に「科学的社会主義の審問官ではなく、社会的弱者の護民官に」と提言し、「インターネットは民主集中制を超える」と予測してありますし、健康上の理由もあって詳しくは述べませんが、自民党の金権派閥解体をさらに促すような、野党を横断した新たな政策グループ風再編が急務であるとだけ、述べておきます。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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