731部隊と原子力ムラは、戦後70年の双生児!

著者: 加藤哲郎 かとうてつろう : 一橋大学名誉教授・早稲田大学客員教授
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symbolnonuke◆2015.3.11 四年目の3・11です。テレビも新聞も、8月の戦争モノのように、震災復興と原発メルトダウン後の福島を伝えています。しかし、現実はそう単色ではないでしょう。ちょうど14日(土)に「2015原発のない福島を! 県民大集会」があるというので、フクシマの現在を見にいってきます。ドイツのメルケル首相が来日、戦後70年の歴史認識でも、脱原発・廃炉から再生可能エネルギーへの転換でも、ドイツから学ぶべきことは多いはずですが、改憲・軍事化・原発再稼働にのめりこむ安倍首相は、聞く耳を持たないようです。3月7日にベルリンでは、フクシマ原発事故4周年の脱原発デモが盛大に行われました。次回更新予定の15日前後はフクシマですので、少し早めの短い更新とし、3月1日号も残しておきます。10日は東京大空襲70周年、スターリン大粛清前のキーロフ暗殺を想起させるロシアの野党指導者暗殺、日本のテレビでは絶対みられないVICE NEWS の映像報道「Japan vs. the Islamic State」なども気になりますが、3・11の歴史的意味を、現地で考えてこようと思います。

3月28日(土)午後2時30分から、早稲田大学3号館10階 第1-2会議室 で、20世紀メディア研究所公開研究会が開かれます。私も「情報収集センター(歴史探偵)「2015年のi73ppttops尋ね人」で皆様にお願いした「占領期右派雑誌『政界ジープ』と731部隊「二木秀雄」について情報をお寄せください」について、中間報告します。

「731部隊二木秀雄の免責と復権ーー占領期『輿論』『政界ジープ』『医学のとびら』誌から」と題して、おおまかな内容は、すでにパワポ草稿になっていますから、ご関心の向きは、カラーpdfをダウンロードし、あらかじめご一読ください。当日は限られた時間の報告で、配付資料も縮小した白黒コピーで見にくくなると思いますので。

3・28パワポ報告要旨:731部隊二木秀雄の免責と復権

もっとも、基礎資料となる二木秀雄が敗戦直後の金沢で発行した旬刊『輿論』の創刊号など数号が、全国八方手を尽くしても、見つかりません。二木が上京して1946年8月から56年頃まで刊行した時局雑誌『政界ジープ』についても、プランゲ文庫にも国会図書館にも欠号があり、特に朝鮮戦争から「政界ジープ恐喝事件」廃刊までの50年代のバックナンバーが、「日本の古本屋」等で収集しても、欠号が数多くあります。そこでこれらについては、敢えて本サイトに現時点で収集できた表紙カバーと、判明した「総目次」を掲げ公開して、皆さんの協力を仰ぎます。下記リストの「総目次」に号数だけ掲げて目次の入っていないものが、探索中のものです。お心あたりの方は、katote@ff.iij4u.or.jpまでご連絡ください。

 ●雑誌『輿論』『政界ジープ』表紙カバー

 ●雑誌『輿論』『政界ジープ』暫定総目次

731部隊の戦後についての研究は、昨年11月のゾルゲ・尾崎秀実70周年記念国際シンポジウムから始めたもので、長く取り組んできた専門家の皆さんからすれば、いろいろ問題があるでしょう。その国際シンポジウム記録が、日露歴史研究センター『ゾルゲ事件外国語文献翻訳集』第42号に掲載されましたので、私の報告と時事通信・高田記者の参加記をアップロードしておきます。その後に、二木秀雄石川太刀雄ら731部隊に関係した医師・医学者の言説を『輿論』や『政界ジープ』を追って見いだしたものは、3・11直後に始めた日本の原子力発電を推進した物理学者・自然科学者の言説研究で見いだしたものと驚くほど似ており、双生児とも呼ぶべきものでした。直接的関係では、今回報告する731部隊・金沢医大の病理学者石川太刀雄は、米軍原爆傷害調査団(ABCC)の一員で、都築正男・嵯峨根遼吉とほぼ同時期(1945年12月)に原爆についての論文を発表して「原子力主義」の時代到来を告げ、盟友二木秀雄は、『輿論』創刊時から「原子力の平和利用・産業利用」を提唱しています。ヒロシマで被曝の検査だけして治療を行わなかった医師・医学者たちのなかに、中国戦線で人体実験をしていた731 部隊関係者が入っていました。そして、日本軍の原爆開発に協力した核物理学者たちも、国際法違反の細菌戦を推進した医学者たちも、共に実験データ・専門知識を米国に提供することで、戦犯訴追をまねがれました。何よりも、戦争協力から占領軍追随への転身の論理、「純粋な科学研究のため」「いつかは人類に役に立つ」という、身勝手な弁解が共通します。731部隊員の供述記録には「どうせ殺されるマルタの命を、将来の人類のために役立てた」といった開き直りが見えます。

◆「日本に入った占領軍GHQの最初に直面した問題は、感染症の蔓延でした。当時世界最高の死亡率だった結核をはじめ、天然痘、発疹チフス、日本脳炎、性病から米兵を守るために、日本の医師・医学者の動員とウィルス研究、ワクチン開発・投与が必要でした。そこに、当時の日本の医学の最先端にあった731関係者も動員され復権していきます。GHQ公衆衛生福祉局(PHW)と厚生省がそうした「専門家」を登用し、新制大学の医学部に「白い巨塔」が復活していきます。原爆開発関係者の登用は、サンフランシスコ講和後に、「原子力の平和利用」が原子力発電に具体化することで本格化します。指導者には米国留学の道が準備されました。やがて通産省・科学技術庁・財界と結びつき「原子力ムラ」へと増殖し、安全神話を広めていきます。3・11福島第一原発のメルトダウン後、かつての731・ABCCの流れと結びついて、放射能の危険を過小評価し、原発再稼働を推進しています。ひとのいのちよりも科学と技術の進歩、まずはエネルギー供給と経済成長、という科学主義・生産力主義が、731と原子力ムラに共通する発想です。731医学をはじめ、戦争協力の科学を十分反省せずに戦後にひきついだことが、ドイツとは異なる日本の戦後70年に刻印されたようです。

 

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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