◆パンデミックで分断された地球に、プーチンの侵略戦争が始まりました。2月24日未明、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。軍事力の差は大きく、プーチンはチェルノブイリ原発を占拠したばかりでなく、核兵器の使用さえほのめかしています。本サイトの立場は、4半世紀前からはっきりしています。「戦争は一人、せいぜい少数の人間がボタン一つ押すことで一瞬にし て起せる。平和は無数の人間の辛抱強い努力なしには建設できない。このことにこそ、平和の道徳的優越性がある」(丸山眞男 )。今回はかなり長文で、更新します。
◆ ちょうど益田肇さんの『人びとのなかの冷戦世界』(岩波書店)を読んでいる途中で、新たな戦争の勃発です。1950年6月に朝鮮戦争が始まったとき、第二次世界大戦を経験した欧米・東アジア・東南アジアの人々は、「第三次世界大戦の勃発」ととらえました。実際は朝鮮半島の中で南北両国が「統一」を求めて軍事化し、スターリンもトルーマンも核戦争を恐れていたのに、東西「冷戦」の雰囲気に巻き込まれていきました。それもミクロに見れば、地域によっても、人種・民族・宗教、階級・階層・職業など人々の帰属集団や情報の濃淡によっても受け止め方は違っていたのに、5年前までの体験から「冷戦」と局地的「熱戦」は不可避と思われたのです。アメリカの「赤狩り」、中国大陸での「反美扶日」、日本の「逆コース」や「レッドパージ」も、それぞれの地域の内的事情で生まれながら、「冷戦」イメージをかたちづくります。著者によれば、南アジアやアフリカ、中南米では「冷戦」言説より「反帝国主義」の方が受容されました。今回も米国バイデン大統領が「第三次世界大戦」に言及しています。
◆ プーチンのウクライナ侵攻は、あたかも「ソ連邦の再建」を夢見るかのようです。NATO加盟をめざす現政権転覆のため、クーデターさえよびかけています。無人機ドローンやクラスター爆弾、サーモバリック弾も使われていますが、外交・軍事作戦は20世紀の力の論理むき出しで、わずかに国際世論を気にした情報戦を組み込んでいるところが新味です。米国・EU各国のスタンスは微妙に違いますが、それでも経済制裁SWIFT排除の他、アメリカもドイツもウクライナへの武器支援を決めました。世界中で抗議と反戦の運動が起こっています。ロシア国内でも反戦反プーチンのデモで数千人が検挙されています。アメリカのイラク戦争開戦直後の、世界社会フォーラムによびかけられた世界的反戦デモが想起されます。ちなみに、ウクライナのゼレンスキー大統領はロシア系のユダヤ人、祖父は赤軍の兵士で、親族にはナチスの「ホロコースト」犠牲者もいます。
◆ ウクライナは、かつて「ホロドモール」の国でした。2019年ベルリン映画祭に出品されたポーランド映画「赤い闇――スターリンの冷たい大地で」で広く知られるようになりましたが、世界恐慌期のソ連経済を支えるために、穀倉地帯ウクライナの生産物が強制調達され、第一次5カ年計画の強行的工業化・農業集団化のロシアに送られました。ウクライナ人は 1932年から1933年にかけて400万人以上が飢餓の中で死亡しました。ウクライナ人は強制移住により家畜や農地を奪われ、 600万人以上の出生が抑制されたといいます。当時、資本主義世界は大恐慌下の失業と貧困でどん底にあったのですが、社会主義ソ連は、失業もなく第一次5カ年計画で共産主義へと進む「労働者の祖国」と宣伝されました。そのソ連の「成功」の背後に、ウクライナの大飢饉、400万人の「ホロドモール」の人為的飢餓があったのです。その後遺症でしょうか、第二次大戦中には、スターリンのソ連に反発した対独協力部隊も出現しました。
◆ ロシアとウクライナの間には、9世紀のキエフ大公国以来の長く複雑な歴史的経緯があり、今回の侵攻を予告した昨年夏のプーチン論文のタイトルは「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」でした。しかし20世紀のウクライナは、ソ連邦の中でスターリンにより犠牲にされた「国内植民地」で、「赤い闇」の中にあったのです。歴史的には、E・H・カー、ジョナサン・ハスラム、ロバート・コンクエストや渓内謙らの研究で明らかにされてきましたが、公式には、20世紀末ソ連の解体、ウクライナの独立によって、本格的な自国史作りの俎上にのりました。ウクライナの人々の怒りと抵抗の基底には、この「ホロドモール」の記憶があり、チェルノブイリ原発事故の体験があり、ナチスのユダヤ人虐殺「ホロコースト」ウクライナ版への危機感があるのです。
◆ 現在ウクライナに残る日本人の多くはキエフ在住で、120人ほどといいます。彼らから日本にも、刻々のSNSの声が伝えられています。インターネットニュースでも、CNNやBBCなどによっても、侵略と抵抗の動きを知ることができます。これが、1930年代の「ホロドモール」時代とは、大きく異なる点です。「資本主義に対する社会主義の勝利」を演出してウクライナの飢餓を隠蔽したスターリンと違って、プーチンの情報戦は「大義」を見出す点で困難にならざるをえません。
◆ 1930年代初頭のウクライナ「ホロドモール」を現地で外国人労働者として体験した、一人の日本人女性がいました。片山千代、当時のコミンテルン幹部会員・片山潜の次女です。日本労働運動の父と言われ、最初の共産主義者であった片山潜は、二人の娘に看取られて、33年11月に亡くなりました。その直前まで、長女の安子は舞踊家としてコミンテルンのホテル・ルックスでの父の介護が認められましたが、次女の千代は、「日本のスパイ」と疑われ、青山学院出の労働者経験のない女性としてウクライナに「下放」されており、「ホロドモール」大飢饉を実際に体験する、唯一の日本人となりました。千代はその実情を、ハリコフのトラクター工場宿舎からモスクワの父・姉に40通の手紙で知らせ、食料と台所用品と金を送ってくれるように、自分を早くモスクワに戻してくれるように、と繰り返し訴えていました。
◆ 詳しくは旧ソ連在住日本人粛清犠牲者研究で書いた拙稿「32年テーゼ」と山本正美の周辺」(『山本正美裁判資料論文集』解説、新泉社、1998)の第5節「片山潜の娘千代の訪ソが生み出した波紋」ほかをご覧ください。以下にその一部を引用しておきますが、すでに日本共産党の象徴に棚上げされ、コミンテルンでも実権を失った老境の父・片山潜、父の「威光」で粛清をかいくぐりソ連に留まって戦後は日ソ友好の架け橋となる姉・片山安子は、自分の防衛にせいいっぱいで、「ホロドモール」犠牲者・千代に手を差し伸べませんでした。ようやく父の葬儀列席でウクライナから脱出した千代は、心身を病みながら重労働に従事しましたが、1946年に精神病院で死亡しました。さびしく不幸な後半生でした。片山潜も安子も、千代の体験したウクライナの悲惨を熟知しながら、「ホロドモール」を示唆する記録を残すことはありませんでした。
◆ 1997年末に、モスクワのロシア現代史史料保存研究センタ(現RGASPI)において「片山潜ファイル」を閲覧しましたが、そこには、片山安子や千代が父潜に宛てた手紙類も保存されていました。そのうち1931年から33年にかけて書かれた約40通の手紙の中で、ウクライナのハリコフ・トラクター工場に送られた片山千代は、スターリンの強行的工業化・農業集団化により飢餓におちいったウクライナの惨状を切々と語り、モスクワの父潜・姉安子に対しても厳しい言葉を発していました。
◆ 片山千代は、父の葬儀でモスクワに戻っても、ウクライナでのトラウマは残り、そのまま心を病み、ソルジェニツィンの告発した旧ソ連の精神病棟に入り亡くなりました。つまり「日本の共産主義の父」の娘は、ウクライナの「ホロドモール」の犠牲者でした。それから半世紀以上たって、すでにウクライナ併合の野望を持っていたプーチンを日本に呼び、手厚く接待した首相がいました。安倍晋三です。かつて「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」とプーチンに媚びた歴史修正主義者が、ウクライナの戦争と東アジアの危機に乗じて、「核シェアリング」まで言い始めています。開戦直後に「プーチンは天才」とつぶやいたトランプと双璧でしょう。この面では、憲法学者水島朝穂さんの紹介する、元早大総長西原春雄さん(93歳)がよびかけ、元国連事務次長 の明石康さん(91歳) 、元国連大使・OECD事務次長の谷口誠(92歳)さん、元内閣官房副長官石原信雄さん(95歳)と登山家三浦雄一郎さん(89歳)らも加わった「長老」たちによる「東アジア不戦メッセージ」に、ぜひ耳を傾けましょう。アメリカで「ヴェテラン」といえば退役軍人たちのことですが、日本の長老たちの言葉も、体験の重みがあり、説得力があります。
◆ 核兵器でも、パンデミックには勝てません。戦争はむしろ、ウィルスを拡げます。第一次大戦時の「スペイン風邪」は、アメリカ軍のヨーロッパ戦線参戦がもたらしたもので、世界で5億人が感染、5千万人が死亡しました。現在地球上で、COVID−19の感染者は5億人に近づき、600万人が死亡しています。日本の感染者も500万人に達し、死亡者2万3千人とされていますが、日本は検査体制が崩壊し、政府統計は信用できませんから、厳密に検査すれば、おそらくその数倍・数十倍になるでしょう。ロシアの感染者が1600万人、死亡者35万人、ウクライナが感染者500万人、11万人死亡とされていますが、この両国が戦場でぶつかりあい、兵士が都市を占拠したりしたら、さらにウィルスは拡散するでしょう。沖縄や岩国でも見られたように、狭い空間で集団生活する兵士たちは、格好のウィルス運搬媒体なのです。ロシア・ウクライナ戦争は、世界の政治経済を撹乱するだけではなく、COVIDー19への世界的対処を、確実に遅らせることになるでしょう。この面でも、STOP WAR!です。この問題での私の連続講演記録は、以下のyou tube映像で。連続講演はあと二回、3月5日と19日です。
●東京オリンピック・パラリンピック強行との関係、
https://www.youtube.com/watch?v=01gt8vWDJ1A&t=7s
●映画「スパイの妻」から見たパンデミック、
https://www.youtube.com/watch?v=smgAbMjmfRM
●731部隊・100部隊から「ワクチン村」へ。
https://www.youtube.com/watch?v=cJhMbXRZ7G4&t=3236s
.NEW●2020年永寿総合病院クラスターから見えた731部隊の影は戦時インドネシアの人体実験につながる、
.https://www.youtube.com/watch?v=z3Z25-FnLT8
.NEW●「新・1940年体制」ともいうべき国家安全保障、治安・経済政策に従属した日本の感染対策、
https://www.youtube.com/watch?v=3aqXTdIxQmE
◆ 『戦争と医学』誌22巻(2021年12月)に寄稿した「戦前の防疫政策・優生思想と現代」をアップしました。ゾルゲ事件関係で、『毎日新聞』2月13日学芸欄のインタビューに答えています。日独関係史がらみで、『岩手日報』2月20日の社会面トップ記事、「可児和夫探索」の調査取材に協力しました。可児和夫は、ナチス・ドイツ敗北後に日本に帰国せずベルリン近郊に留まりソ連軍に検挙された医師・ジャーナリストで、もともとナチスの作った東独のザクセンハウゼン強制収容所に、1945−50年収監されていた、唯一の日本人で、片山千代のウクライナ「ホロドモール」体験に似た収容所体験記「日本人の体験した25時ーー東独のソ連収容所の地獄の記録」(『文藝春秋』1951年2月)を残した、現代史の貴重な証言者です。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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