「90年前の3月1日に何があったか」  「ごまめのはぎしり」でも「カマキリの斧」でも、モノ言わねばならぬ 

 ロシアのウクライナ侵攻に抗議して、渋谷駅前でも2月27日にSNSの呼びかけに2000人もの人が集まったという報道がありました。在日ウクライナ人は勿論、日本人もそして在日ロシア人の方々も、だそうです。高齢のわたしでも、できることはしなければならぬ。たとえ「ごまめのはぎしり」でも「カマキリの斧」でも、プーチンに何を言っても「蛙の面にションベン」「馬の耳に念仏」であろうとも、モノ言わねばならぬ、と書くことにしました。
 ともかく、ロシアのウクライナ侵攻は言語道断です。衆人環視のもとで、堂々と強盗殺人をやってのけ、しかも「オレは核兵器を持っているゾ。早く降参しろ」と公言するのですから。プーチンに「殿、ご乱心」などと言っている場合ではない。ウクライナは「ブダペスト覚書」で1994年に核放棄を宣言した国です。ウクライナ人のだれかが「日本国憲法九条のような道を選択したのです」と言っていましたが、そのウクライナに核威嚇をするとはたとえ参加していないとはいえ、国連で採択、発効した核兵器禁止条約への明白な挑戦です。そのプーチンを「天才」とほめそやすトランプ前アメリカ大統領や、ロシアを支持する習近平中国主席がいるのだから、あなたたちの頭の中はどうなっているの?と聞きたい。
 これは20世紀の遺物であったはずの第二次世界大戦への道の再版ではないか、という思いがよぎります。あのとき日本は当事国でした。今年の3月1日が何の日かご存じですか。90年前のこの日、今の中国東北部で1931年9月の満州事変から半年余りで「満洲国」の「建国宣言」が出された日です。9月15日に日本は日満議定書によってこれを承認しました。国際連盟は1931年の満州事変開始のとき、中國からの提訴を受けて調査のためリットン調査団を派遣します。調査団は「満州」における日本の軍事行動は侵略であったことを認める報告書を提出、1933年3月24日国際連盟総会で採択します。じつはこの報告書は、「満洲」が中國の主権地であることを認めながら一方で日本の権益も認めるというきわめて妥協的なものでしたが、賛成42、反対1(日本のみ)で採択されました。日本は国際連盟を脱退、やがて1936年日独防共協定、1937年日独伊防共協定、1940年日独伊三国同盟によってナチスドイツとファッショイタリアと結び1941年アメリカ・イギリスに宣戦布告、世界を相手に「破滅的戦争」への道を走るのです。このとき「敵」としたソ連が今形を変えて「プーチンのロシア」になり、ウクライナ侵攻を「人目もはばからず」展開していることを「歴史の皮肉」などと論評しても始まらない。
 こんな「わかりきった」歴史のおさらいをした理由は二つあります。一つは、満州事変から日本が「満洲国」を「承認」する過程で、日本の国民の多くが(もちろん女性も)熱狂的に「満蒙は日本の生命線」という宣伝を支持し、「日満支三国友好」を唱える論調に引き込まれて行ったことです。日本人と「満人」の子どもを描いた記念切手まで発行されたのですよ。もちろんこれを「帝国主義戦争」として反対する人たちもいたし、女性団体の中でも「ファシズム反対」を訴える人たちがいました。政党では非合法だった共産党が「戦争反対」のビラを撒いています。しかしその後共産党はボコボコに弾圧され、作家の小林多喜二は共産党でしたが築地警察署で拷問され虐殺されたことはよく知られています。そして多くの女性作家たちも「自国の権益」という殺し文句に抵抗できず、沈黙あるいは国策協力に流されて行きます。平塚らいてうが「迷い、動揺し、もがき始めた」のは、満州事変以後でした。戦後らいてうは、満州事変までは女性たちの運動もある程度進んできたが、事変以後戦争への抜き差しならない歩みに組み込まれて行ったと書いています。
 それは戦後気が付いただけではないと思います。わたしは何処の著作目録にもないらいてうの文章が載った単行本を1冊もっていますが、それは1942年1月に発行された『女性新道』という本です。東京日日新聞社と大阪毎日新聞社の編集で、どうやら新聞の投書を集め、そこにらいてうや市川房枝らをはじめとする女性リーダーたちの寄稿が収録されたのではないかと思うのですが、すでに「大東亜戦争」が勃発し、らいてうが(戦後の自伝によれば)「自分にはもう戦争に反対する力がない」と自覚して茨城県戸田井に「早すぎる疎開」をする直前です。寄稿の中には戦争謳歌の言説もありますが、驚くほど冷静な論調も多く、作家宮本百合子の文章などは、時局に流されて行く女性作家たちへの鋭い警告が含まれています。
 そしてらいてうも、明治・大正・昭和の女性の社会的進出について自身の体験を交えて書き、最後は唐突に「そこへ満洲事変が突発しました―それが昭和6年です」という一言で終わっています。もしこれが1942年に近い時間に書かれたものだとしたら、「満洲事変」の衝撃を語っているのではないかという気がする書き方です。疎開後の彼女はほとんどものを書かなくなりますが、その1年前まで彼女は『輝ク』誌に「紀元二千六百年」を讃える文章や、日中全面戦争開始とともに中国で結成された国共合作による「抗日民族統一戦線」に反対し、日本のかいらい政権とされた汪兆銘政権の「和平」支持の文章を書いていたのです。この言説をもってらいてうは「戦争加担」の批判を受けるのですが、1941年と42年のこの「落差」は何か、これから新発見の日記等を解読して書きたいと思っています。
 今、ロシアでも侵略戦争の実態は報道されず、プーチンを支持する人々が多数います。かつてと違うのは、それでも危険を冒して戦争に反対する人びとがいることだ。日本でもウクライナ侵攻に抗議する人びとは確実にいるけれど、まだおおきなうねりにはなっていない。気になるのは、「ウクライナは核を放棄したから攻撃された」といった論評があることです。日本は憲法九条を「改正」して対外武力行使を可能にせよ、「日本も核保有を」という声まで出ています。安倍元首相が「核共有(核シェアリング)」について日本でも議論をすべきだ、と発言したのもその一つ。これについて書きたいのが二つめの理由です。
 ロシアはウクライナが核を持っていてもいなくても今回のようにこの国を支配下に置く策動を着々すすめてきたと思う。では、国家がある限り軍備を強化して互いににらみ合うほかないのか。河北新報2月16日付のコラムで「世界連邦」に触れた記事があるのを見つけました。以下に引用します。
 物理学者のアインシュタインは1932年、国際連盟からこんな依頼を受けた。人類の最も重要な問題を取り上げ、適任の人物と書簡を交わしてもらいたい-。そこで選んだテーマが「戦争」▼なぜ人は戦争をするのか。彼は精神医学者のフロイトに手紙を書いた。フロイトの返信の概要は「文化の発展が知性を高め、人の攻撃欲望を抑制し、心と体の奥底から戦争への憤りを覚える平和主義者を生み出す」というものだった▼アインシュタインは「強い権限のある国際機関を創設し、全国家が主権の一部を預ける」という構想を示している。現在、世界連邦のような構想の実現は極めて困難だし、フロイトが期待を寄せる文化の力もまた迂遠(うえん)に感じられる▼アインシュタインが発した問いから90年、戦争抑止の回答は見つからない。民族の反目、宗教の相違、資源の争奪、歴史の怨念。無数の要素が複雑に絡み合い、数え切れない戦争が次々に起こった。そして今また戦争の前夜だという▼北大西洋条約機構(NATO)加盟を模索するウクライナ。ソ連時代の領域を死守したいロシア。兄弟国と言われた国々が一触即発の状況だ。戦争に勝者はない。双方に壊滅的な打撃を与えるからだ。フロイトの書簡には「勝利しても英雄にはなれない」とある。(2022.2・16)
 らいてうが戦後世界連邦思想に共鳴し、1950年に野上弥生子らとともに単独講和反対の「非武装国日本女性の講和問題についての希望要項」を発表したことは有名ですが、それが前年の1949年に世界連邦建設同盟に入会して、その理想を実践しようと決心、どこからも指示されたのではなく、自分ひとりで考えた末の行動だったことが、昨年公開された1950年を中心とする手書きの日記から推察できることがわかりました。この日記はまもなくデジタル化されらいてうの会のホームページに公開されます。書き起こしも今年の夏までにらいてうの会の『紀要』に発表される予定です。その8項目にわたる要望事項のなかに「中国との講和を除外した講和に反対」という項目があります。それは、かつて中国に対する侵略戦争に反対できなかった自分を愧じ、その誤りを繰り返さないという意志表示でした。
 河北新報のコラムは、現状を憂慮している点で共感するところがあります。確かにこれほど「自国第一主義」が横行するいま、「世界連邦は非現実的」というのも無理はない。けれどもらいてうが世界連邦に共鳴した理由は、そもそも個別国家の主権は認めるとしても『戦争をする権利』だけは個々の国家にはない、ということでした。「国家主権の制限」という考えです。
 国際政治学者の松井芳郎さんの講演を聞いたことがありますが、彼も個別国家は固有の権利として自衛権を持つが、「それを武力行使という形で行使することは制限する」というのが日本国憲法九条の精神だと説明してくださいました。らいてうにとって世界連邦というのは、単なる理想ではなく、現実の戦争を起こさせないための平和秩序構築の根拠だったわけです。1950年ごろまでは国連を世界連邦実現の第一段階として活用するという考え方に同調していたと思われ、1950年の声明草稿(これがいくつもある)には「軍事基地反対」条項に「国連の基地だけは認める」という書き込みがありますが、抹消されています。ウクライナ問題を見てもわかるように、国連が安保理の大国拒否権などによって国際紛争を解決できない状況にあることは事実ですが、それでも国連を機能不全と決めつけるだけでは、事は収まらないと思う。眠い目をこすりながら見たのでテレビ番組の名前も覚えていないが、「どんな小さな声でも発信することによって国連を動かすこともできる」という発言を聞きました。河北新報さん、「戦争抑止の回答はみつからない」が、それでも「黙らない」を合言葉にがんばろうではないですか。
 
(ブログ「米田佐代子の森のやまんば日記」2022年2月27日付より。28日補筆)

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