林芳正外相が訪中して、4月2日、中國の秦剛新外相と会談した。2年半前の21年10月に岸田内閣が発足してから閣僚が中国を訪れるのはこれが最初だったそうだ。正直、ちょっと驚いた。それほど長期間、閣僚の往来が日中間になかったということは、前のトランプ政権の時代の貿易不均衡から始まって、今のバイデン政権の世界戦略にまで続く米中間の緊張関係が日中関係にも影を落としていたことになる。両国の閣僚が「カンペイ!」と盃を挙げるのがなんとなく気がひける雰囲気があったのであろう。
米中の外交幹部がアラスカのアンカレッジで怒鳴り合いを演じたのが、バイデン政権発足後2か月余の21年3月、それ以来の米中外相会談となるはずだった今年2月の米ブリンケン国務長官の訪中計画が、例の気球問題で流れるというふうに、どうも日米と中国は外交の歯車がかみ合わなかった。
そしてともかく今回の林外相の訪中となったのだが、これがなかなかの厚遇だった。昼食を含めて2時間半と予定されていた秦剛外相との会談は4時間程に延長、予定になかった(とされる)李強首相からは夕食の接待を受け、またその間には王毅前外相(共産党外交責任者)とも会談するという、破格(失礼ながら)の待遇を受けた。
しかし、それらの会談は友好的な雰囲気であったかというと、それがかならずしもそうではなくて、むしろかなり厳しいやり取りとなったようなのである。
林外相が日本の製薬会社の駐在員が帰国直前に拘束された最近の事件について、早期釈放と安全な経済活動の保障を求めたのに対して、秦剛外相の答えは「法理に基づいて処理する」という以上の言葉はなかったという。
そして逆に秦剛外相からは福島原発の汚染水の排出問題について、「ことは人類の健康と安全にかかわる問題であり、日本は責任を持って処理してほしい」とか、米が半導体の対中輸出制限に日本も同調するよう求めている問題についても、「米はかつて日本の半導体産業をひどく痛めつけた。日本はその痛みを分かっているのだから、『虎の手下』にならないで欲しい(『不応為虎作伥』)」と、遠慮なしの注文をつけている。
また王毅前外相は「中日関係に時として雑音や妨害が入るのは、日本国内の一部勢力がひたすら米に追随して対中政策を誤らせ、米と組んで中国の核心利益にかかわる問題で挑発するからである」と、米の台湾政策を批判する形で日本に注文をつけた。(秦剛、王毅両氏の発言は『環球時報』電子版による。なお秦剛発言にある『不応為虎作伥』は『環球時報』4月4日の社説のタイトルにも使われている。)
これらに対して、林外相も従来からの日本政府の方針に則った答え、ないし反論をしているが、いずれにしろ現在の日中関係には「ニイハオ、カンペイ」の友好第一主義はもはや通用しなくなったことを浮かび上がらせたのが、今回の林訪中であったとはいえる。
******
3月27日の本欄に、私は『大がかりな中ロ首脳会談 ― 習近平が踏み出した一歩の先は?』という一文を掲載した。そこで私は同月20~22日の習近平国家主席のロシア訪問について、中國がウクライナ問題でロシアのプーチン大統領を支持する立場を明らかにしたものと意味づけた。この訪問がその直前に開かれた中国の全国人民代表大会で国家主席三選を果たしたニュー習近平の国際デビューであると同時に、反米という自らの立ち位置を明確にしたからである。
習近平にすれば、それは自らが欲したものではなく、「中國は唯一のライバル(the only competitor)」
と公言する米バイデン大統領に対して、受けて立つという気概を示さねば「戦わずして負ける」ことになってしまうという意識もあるであろう。
しかし、同時に前世紀以来の中国の歴史を振り返ると、この国は米とロシアの中間にあって、どちらと組むかによって、その時々の国のあり方を変えてきたという経緯がある。
1917年の10月革命が成功する以前のロシアは、隙を見て中国から利権を奪う帝国主義国家の一つに過ぎなかった(清国は帝政ロシアにかなりの領土を奪われている)。しかし、毛沢東らによる革命が成功して生まれた新国家は、内戦において米がライバルの国民党を支持した経緯からプロレタリア革命の先輩たるソ連に近づき、友好関係をむすぶ(1950年・中ソ友好同盟相互援助条約)。
しかし、60年代に国造りの方式においてソ連と対立し、米ソ2大国をともに敵に回した時期では、中國は国造りも行き詰まり、70年代初めに今度は米と手を結ぶ(1972年・ニクソン訪中)。それ以降、約20年、この3国は「米中・対・ソ」の関係が続き、この間、中國は改革開放路線で経済成長をなしとげた。
中国とロシアの関係がじわじわと再び接近するのは、ロシアが「ソ連」という国名もろとも共産主義を捨てて、ロシアにもどり、中國では革命の先達が鄧小平を最後にほとんど世を去り、習近平がトップの座に座って以降である。そしてロシアのプーチンと中国の習近平はともに自らに転げ込んだ支配者の地位を他人に渡すまいとする点で大きな一致点を持ったがゆえに、互いに親近感を強めあったと思われる。
この2人は、外部からは詳細は見えないが、みずからの地位を築く、あるいは守るために、国内政治においてともにかなりの無理を押し通した(習近平の場合で言えば、強引な反腐敗運動でライバルを倒し、幅広く恨みを背負っている)結果、逆にその地位から降りることが出来なくなっていると思われる。あくまで地位にしがみついて、自らに恨みを抱く人間を排除し続けなければならないのである。
プーチンのウクライナ侵攻も来年の大統領選挙を乗り越えて、さらにその地位に留まるためであり、一方、プーチンがウクライナを屈服させて配下に組み敷くことに成功すれば、中国の台湾統一は当然というムードの醸成に役立つと見た習近平がプーチンに肩入れするのは当然の成り行きであろう。
そこから生まれるのは、「中ロ・対・米」という新しい対立の構図である。幸か不幸か、バイデンも民主主義抜きの生産力巨大国家を危険と感じ取り、中國を「唯一のライバル」と位置付けた。これからしばらく(どの程度の長さかは予測できない)この新しい枠組みが世界をしばることになるのではないか。
岸田内閣からの初の訪問者である林外相を、中國はこの新しい枠組みへの訪問者として、米陣営から引き離す対象の第一歩と位置付けて、手厚くもてなし、かつ言うべきことを言ったのではなかろうか。
そういえば、このところ中国への各国からの訪問者が絶えないし、中國から出かける要人も多い。しばらくその動きを観察してみよう。本格的な強国外交が展開されるかもしれない。(230403)
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5044:230405〕