日米安保条約がアメリカから破棄される日

――八ヶ岳山麓から(507)――

以下は、信濃毎日新聞(1月28日)に載った、フランス文学者で武道家の内田樹氏の「左翼と国防」と題するエッセイの要約である。

内田氏はあるとき、市民団体に頼まれて講演をした。その時、「落ち目になったら米国は日米安保条約を破棄するかもしれない」と言ったら嬉しそうに拍手をした人がいた。その人は日米安保条約を悪の根源と考え、それが破棄されたら、日本が平和になると思ったのである。

「違いますよ」と氏は言う。「(そうなると)日米同盟以外の安全保障戦略を持たない日本の政治家と官僚は茫然自失、・・・・・・」結局「自衛隊が日本の安全保障戦略を起案することになる。とりあえず改憲する。9条2項を廃し自衛隊を憲法に明記する。防衛予算を倍増し、自衛隊定員も増やす」

「『国防上の配慮』からスパイ防止法を制定しろ、国内に潜む『敵国のエージェント』を摘発するために特別高等警察を復活しろとか言い出すデマゴーグ(扇動家)たちが湧き出て来る。つまり日米安保破棄後には『大日本帝国の劣化コピー』のような先軍政治の国が誕生する」

「米国に見捨てられ、ロシアとも中国ともろくなパイプがなく、韓国と同盟できるほどの信頼関係を築けていない日本に残された道は『全世界に猜疑のまなざしを向けるハリネズミのような国』……になるかもしれない」

「日米安保を米国に廃棄されるというのは『そういうこと』である。だから、その前に日本国民は自前の安全保障戦略を構想しなければならない。左翼の皆さんは『国防』という言葉にアレルギーを示すけれど、今ここで国防についての議論を避けていたら、日本の未来は暗い」

これについてはわたしには既視感があった。第1期トランプ大統領のときだが、朝日新聞OBの薬師寺克行氏(現東洋大学教授)が同じような問題を論じたのである(「トランプ『日米安保破棄』発言の真意は何か」(東洋経済オンライン(2019年6月29日、(https://toyokeizai.net/articles/-/289517)。

薬師寺氏は、「日米安保条約」や「日米同盟関係」は、大半の日本政府関係者にとって確固たる不動のものであり、日本の内政・外交上の多くの政策の大前提となっている。したがって日米安保条約の破棄だとか、日米同盟関係が交渉の取引材料に使われるなどということはあってはならないことなのだ、という。ところが、その大前提を無視した発言が、第1期トランプ大統領の口から飛び出した。

2016年大統領選に当選したとき、トランプ氏は「日本は駐留米軍の経費を100%払うべきだ。そうしないならアメリカ軍は撤退する。その代わりに核武装を許してやろう」と発言したのだ。

とはいえ、もし日米安保条約がアメリカからの発案で破棄されればどうなるか。

薬師寺氏はこれを論じて、「陸海空、海兵隊のすべてのアメリカ軍が日本から出ていく。アメリカ軍と自衛隊の共同訓練、情報収集や情報交換などもストップする。その結果、自衛隊そのものの力も低下し、日本の周辺国に対する抑止力は著しく低下する。一方で中国やロシア、北朝鮮の軍事的圧力が格段に高まる。国内では防衛力強化や自主防衛論が高まり、防衛費の大幅な増額は避けられないという。それが財政を圧迫し、同時に核武装論も出てくるかもしれない」という。

さらに薬師寺氏は、「日米安保条約破棄で困るのは日本だけではない」として、アメリカにとっても負の結果が出ることを指摘する。「外国にこれだけ多くの自由に使うことが可能な基地を持っていることは、アメリカ軍を世界中に展開するうえで大きな意味を持っている。したがって、仮にトランプ大統領が本気で日米安保の見直しなどを提起すれば、国防省も国務省も強硬に反対するであろう」

このようなわけだから、薬師寺氏は、日米両国政府間で日米安保条約の破棄が正式な交渉テーマになることはおそらくないだろう」という。内田・薬師寺両氏の見解に共通するものは、日米の既成の支配者あるいは高級官僚は日米安保体制の解消を想定したことがないという点である。だが、トランプは違う。

アメリカは衰弱している。かつてオバマ大統領は「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と発言して、世界の複数の地点で軍事介入をする力がなくなったことを認めた。すでに紹介したように、現在トランプ政権の国防次官コルビー氏もこれを認めている。トランプの「アメリカ・ファースト」は、もちろんこの現実を反映したものである。

次の日米会談では、2期目のトランプ大統領も1期目同様、「日本は駐留米軍の経費をすべて支払うべきだ。払わないならアメリカ軍は撤退する」と石破首相を脅しにかかる可能性はある。というのは、今回の大統領選後の1月8日、トランプ氏は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国に対し、各国のGDPに占める国防費の割合を、目標としてきた2%ではなく、5%に引き上げるべきだと言ったからだ。

自民党も立憲民主党も日米同盟を前提とした防衛政策を提唱している。意外にも左翼政党である共産党も同じで、2015年10月志位委員長(当時)は記者会見で、国民連合政府を論じた際、日本有事の際は急迫不正の侵略には自衛隊を出動させる、同時に日米安保条約第5条で共同対処すると述べていた。

世論調査によると日米同盟によって日本は守られていると考える国民は、いま8割を超えている。国政選挙によって、日米同盟を解消する政府ができるのは,何十年先のことになるかわからない。だが、アメリカ側から安保体制解消の脅迫があったとき、慌てふかないためには、「孤立した日本」あるいは「真の独立国家日本」の研究は必要だ。

トランプのおかげで、日本が日米安保破棄後の問題研究に真剣に取り組むべき時代が来たのだ。ところが、伝統的に日本政府とりわけ外務省と防衛省は日米同盟抜きの外交のあり方、自立した防衛力などといったテーマをタブーとしている。アメリカに気兼ねしているのである。

左翼の間ではもっと難しい。安倍晋三内閣当時のわたしの経験だが、革新グループの集まりで、「尖閣諸島へ中国軍が上陸をしたらどうするのか」と聞くと、たいてい「専守防衛の自衛隊で撃退するほか手はない」という答えがある。ところが、「そういう紛争にならないような外交をしなくてはならない」という意見が必ず出る。この「平和外交」が出て来ると、「どう防衛するか」という論議に進まないのである。

ましてや、日米安全保障条約が破棄された時の日本国家の在り方、防衛政策など議論の対象にはならない。内田氏の「左翼の皆さんは『国防』という言葉にアレルギーを示すけれど、今ここで国防についての議論を避けていたら、日本の未来は暗い」という忠告は、空念仏に終るかな?(2025・02・03)

初出:「リベラル21」2025.01.06より許可を得て転載
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