人間の「生きる権利」を踏みにじる「トランプ帝国」の横暴が招いた第3次世界核戦争の危機!

2025.3.1 ●  トランプ2.0の嵐で、ウクライナもパレスチナも、もちろんアメリカ国内も大混乱です。残念ながら日本政府は、それに異議を差し挟むことさえできない部外者で、従順な門外漢です。ウクライナでは、ロシアのプーチンとの電話会談等で得たフェイク情報をもとに、トランプ大統領が「そこそこ売れたコメディアン」「選挙なき独裁者」と侮辱したウクライナのゼレンスキー大統領を、2月末に米国ワシントンに呼び出し、これまでの前民主党政権による支援・武器供与の見返りとして、ウクライナのレアメタルなど鉱物資源・石油・ガスなどの米国所有・共同開発・利益独占を脅迫し、認めさせようとしました。

しかし、ウクライナにとっての死活の条件である、将来の恒久的安全保障、NATOへの参加、ロシアの侵略・再侵略に対する制裁・保障がなかったためか、両首脳は口論になって、「ディール=取引」は不成立。先が読めなくなりました。トランプにとっては、ウクライナの安全保障は隣国ヨーロッパ・NATO諸国がなすべきことで、第3次世界大戦の危機さえも利権獲得の「ディール=取引」の対象でしかないようです。 ウクライナの人々や、戦争で家族を失ったロシアの人々の「生きる権利」、生命と生存に,トランプは無関心です。

● パレスチナのガザ地区については、イスラエルの入植計画以上の暴論です。ガザ地区を米国の所有するリゾート地として整備・開発し、超高層のトランプホテルの門前でしょうか、金ピかのトランプの立像が建つのだとか。パレスチナの人々の生活など顧みず、金の力で生まれ故郷から追い出し難民にする、暴力的妄想です。アメリカ国内では、政権発足後37日でようやく初閣議、ヒトラーなみの「選挙で選ばれた独裁者」が誰であるかは明らかなのに、閣僚でもないイーロン・マスクを、ヒーローに仕立てて、政府効率化局(DOGE)で200万公務員の多くをAIを駆使した仁義なき解雇・削減、対外援助・人道事業の縮小、移民・難民拒否、そして「アメリカ第一主義」の目玉である25%の関税が3月から始まります。トランプにとってEUは、「米国をだますため」に設立されたそうです。日米安保なら、「瓶の蓋」論を持ち出しかねません。「トランプ帝国」の友好国は、G7を共に担ってきた英独仏等欧州大国や日本から、プーチンのソ連、ネタ二エフのイスラエルに移り変わったかのようです。事実、国連でのウクライナ決議は、様変わりです。ロシアの非難が入った決議は欧州・日本を含む93カ国の賛成多数で採択されましたが、アメリカはロシアと共に反対の18カ国側にまわり、中国・インドなど65カ国が棄権でした。国連安保理では、より露骨で、ロシア批判のない「ロシアとウクライナの紛争の迅速な終結」を求める決議を、米ロ中主導の10カ国の賛成多数で採択しました。英仏など欧州5カ国が棄権しているのが、せめてもの救いですが、憂鬱です。トランプ=プーチンの汚れた同盟に、習近平や金正恩がからむ「独裁者たちの宮廷外交」が、これから4年も続くのでしょうか。

 ● 欧州政治には、早速トランプ効果です。2月23日投票のドイツの総選挙で、ウクライナ支援に熱心だった社会民主党(SPD)首班の与党が大敗、中道右派のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)がトップに立ち、イーロン・マスクが露骨に支援した極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)が、前回2021年選挙の2倍となる推定得票数20.8%を達成し、第二党です。旧東独地区で軒並み移民排斥・自国第一のAfDが第一党になり、旧西独でかろうじてSPDや緑の党が行き残りました。内部にいくつもの潮流があって、旧東独SEDの「民主集中制」など知らずにAfDに対抗する左翼党が、SNSを駆使して旧東独でも若い人々の支持を得、39議席から64議席に躍進したのが、せめてもの救いです。しかし、本来欧州結束の基軸たるべきドイツの連立政府の構成さえこれからの不安定で、ウクライナ戦争の行方は混沌です。20世紀の二度の世界戦争とその後の冷戦の教訓の下に作られた、国連、EUといった基本的枠組みさえ、ゆるがしかねません。

 ● 21世紀も4半世紀をすぎたのに、「帝国」ないし「帝国主義」という古典的概念が、浮かび上がります。ウクライナもパレスチナも「植民地分割」の対象とされ、メキシコ湾は名前まで変えられて、大国同士の取引で、地球の線引きがされているようです。しかし、ホブソン、レーニン風「帝国主義」は、自国の産業的優位をもとに他国に市場開放の自由貿易を強要するはずなのに、「トランプ帝国」は、25%もの高い関税で、国際競争力を失った国内産業を守ろうとしています。中国の「一帯一路」の方が、むしろ「自由貿易帝国主義」風です。ネグリ=ハートの「帝国」なら、金融と情報の地球的ネットワークが国民国家を超えてグローバルに支配するはずですが、トランプ=イーロン・マスクの「ビッグテック」支配は、「自国第一主義」で矛盾をはらみます。「領土奪還」と称するプーチンの古典的「帝国」も、20世紀に確立した国際法を無視した暴挙です。要するに、ホブソン、レーニンの古典やウォーラースタイン、ネグリらの現代的展開でも説明不可能な、「新帝国主義」です。いや日本の雑誌『思想』の昨年7月号は「帝国論再考」を特集し、古代から近世をも含めた世界史の再検討を提起していましたから、「新帝国」ともいえます。何よりも、分割されるウクライナやパレスチナの民衆の側に立った世界構造の解析と変革構想、「反帝国主義」の現代的論理と主体が求められます。20世紀の「パクス・アメリカーナ」に比して、アメリカの衰退は、明らかです。かつて「社会帝国主義」と呼ばれたロシア、中国に、インドやブラジルをも組み込んだ新たな世界再編の行方、国際政治の用語で言えば、秩序形成国(maker)、秩序攪乱国(shaker)、秩序受容国(taker)の現代的組替えが問題とされなければなりません。

 ● かつてmakerの一角に入りかけた日本は、アメリカに従属するtakerにも見え、辛うじて潜在的shaker の立場にたって、自主的発言ができるかどうかが、問われています。せっかく被団協がノーベル平和賞を受賞したのに、核兵器禁止条約への日本政府の態度を見ていると、オブザーバー参加さえ難しく、世界ののけ者になりそうです。むしろ、北朝鮮に対抗して韓国で強まっている自前の核開発・核武装論が、日本でも、再び現れかねません。原発で習熟した潜在的核技術を元に、核保有国に向かうのではないかと、危惧されます。「再び」というのは、50年前にもあったからです。2010年のNHK「核を求めた日本」放映をきっかけに、民主党内閣のもとで外務省から資料公開されたように、佐藤内閣期には、沖縄返還・ノーベル平和賞の裏側で、秘かに核開発・保有計画が進行し、当時の西ドイツ政府と協議するところまで進んでいたのです。清水幾太郎の『日本よ国家たれーー核の選択』(文藝春秋。1980年)より、10年も前でした。世界は、国連を無視したトランプとプーチンの「取引」によって、中国・北朝鮮・イスラエル・イランの核問題まで新たに抱え込んだかたちです。

● トランプ登場によって、日本のロシア・ウクライナ研究者の中でも、新たな議論が始まったようです。塩川伸明さんがフェイスブック上で紹介する2月8日のウクライナ開戦3周年のオンライン討論会では、和田春樹・伊東孝之・松里公孝の三氏が、それぞれにロシア・ウクライナ戦争の行方を述べたとのことです。長老和田教授は、一貫した「即時停戦・和平」論者でしたから、トランプ就任を好機として歓迎したようです。戦争をロシアの侵略とみてきた伊東教授は、もともとウクライナ国民が抵抗する限り外部から停戦を言うべきではないという立場でしたが、ウクライナの世論の歴史的変化により、領土を譲っても平和を望む世論が強まってきたとして、やはりトランプによる停戦交渉はやむなしとしたようです。一番若い松里教授は、アメリカの狙いに着目して、ウクライナのNATO加盟についての民主党バイデンから共和党トランプへの態度変化が重要で、「露ウ戦争開戦時のウクライナでは戦意はきわめて高く、ロシアでは厭戦気分が強かったが、3 年間でそれが逆転してしまった」実情を踏まえて、「まずは停戦、それから和平交渉」という外交の王道につくべきだということのようです。塩川教授も議論の紹介だけで、自分の評価は差し控えているようですが、まずはウクライナ戦線膠着とトランプ登場という、新たな条件下での平和を考えるべきという点では、私も学ばされました。NATO/EU/G7/日米安保・国連等々、20世紀に作られた国際協調・世界平和維持の仕組みを含め、国際政治は。新たな段階に入ったということでしょう。それは必ずや、アジアにも跳ね返ってきます。世界は、第3次世界大戦・核戦争の危機を孕んだ、カオスのなかにあります。

●  かつて中学時代の三年間を過ごした、岩手県・大船渡の山が、燃え続けています。地元出身・佐々木朗希のドジャース入り・結婚で3・11東北大震災・大津波以来の町興しになるはずだったのに、3.11では避難先となった高台・山間部から火が出て、津波の被災地だった海岸線の民家を巻き込み、私の住んでいた市街地にも近づいています。21世紀日本では、最大の林野火災なそうです。中学時代の友人にメールとSNSを送っていますが、もう10年も没交渉だったので、生死も不明、気がかりです。自分の方は、心臓病からの快復の見通しが立った年末から、少しづつですが、研究生活への復帰を始めました。そのとっかかりとして、蔵書・資料整理を4年ぶりで再開し、書庫に眠っていた自分の昔の雑誌論文等を、整理しました。可能なものはPDFにして残し、雑誌そのものは廃棄する作戦です。まだ内容的に整理するには至っていませんが、本サイト「研究室」のページに、数多くの論文の他、対談・座談会・エッセイ等を新規に収録することができました。特に1990−94年に、80年代『現代と思想』(青木書店)の名編集者であった故西山俊一さんが興した窓社の雑誌『季刊 窓』に、自分でも忘れていた多くの論文が掲載されていました。「総目次」と共に、「日本はポストフォード主義か」の国際論争や、「民主集中制」をめぐる藤井一行・橋本剛・平田清明さんとの密度の濃い座談会討論など、現在でも生々しい意味のある論稿が、見つかりました。4月の新学期には、これら新規収録論文を組み込んだ、カリキュラムの再編成に取り組みたいと考えています。東欧革命・ソ連崩壊から90年代の理論的展開=転回に関心ないしノスタルジアがある方は、乞うご期待です。

初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html

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