中国にも急がねばならぬ事情がある

――八ヶ岳山麓から(524)――

アメリカと中国は5月14日、互いに異例の高額関税を115%引き下げた。とりあえず90日間、アメリカの対中国関税は30%、中国の対米関税は10%になる。この米中の一時的「妥協」が成立する1日前、中国共産党中央準機関紙の環球時報は中国人民大学政治学教授楊光斌(ようこうひん)の論評を掲載した(2025・05・13)。
表題は、アメリカに敢然と立ち向かうとした習近平主席の硬発言とは異なり、「なぜ米中経済の『デカップリング』(注decoupling 切り離し、分離の意)は間違っていると主張するか」というものだった。楊光斌論評は中国の本音を婉曲に示していると、わたし(阿部)は思う。――以下とびとびに引く。( )内は阿部。

「アメリカ政府は近年、科学技術、経済、貿易などの分野で、中国への妨害を強め、米中間の経済関係の発展を圧迫し続けており、多くの人々は、それが『新たな冷戦』、あるいは米中経済の『デカップリング』につながるのではないかと懸念している。筆者の見解では、この『デカップリング論』は、世界史の変遷を考慮しない思い違いである」
楊氏は、まず歴史を顧みて、第二次世界大戦終結時、アメリカは世界のGDPの56%を占め、事実上あらゆる分野の工業製品を生産することができたが、その後、アメリカは各国を支援し、特にドイツと日本を製造大国として育てたという。だがその経済的な実力は、アメリカを脅かす程度ではなく、ドル覇権体制の補完といえる程度だったとする。
だが、中国の経済力は、改革開放以来、アメリカや日本、EUなどの大規模な外部投資を誘致し活用することによって世界の生産と供給の連鎖の中心に位置するようになった。「その世界トップクラスの生産量、巨大市場、経済のグローバル化プロセスへの深い参加は、中国が長期にわたって『世界の工場』となり、これを基盤として『賢い製造大国』へと前進することを可能にした」
楊氏は、これがアメリカにとって脅威となったという。だが、中国とアメリカが『連鎖を断ち切る』ことができない。それは市場の分業によって形成された相互の『抱擁』あるいは相互依存のためであるとし、また他の国々がアメリカに対して中国と同じ経済的利益を有することによって、中国を封鎖する同盟を構築することができないためだと主張する。

さらに、対中国貿易収支の巨額の赤字についてのトランプ政権の認識を批判してこういう。
「アメリカは経済の『非集中化(分散化?)』と『産業の空洞化』に深く足を引っ張られている。そのために中国をますます『脅威』とみなし、『ラストベルト』など自国の問題を……『(アダム)スミスの(分業)定理』によるグローバルな生産とサプライチェーンの構造のせいにしている」
そのうえで、ドル支配による世界の富のアメリカへの集中、アメリカにおける富の偏在を指摘して、「アメリカ経済が大きなリードを保ってきた手段のひとつは、『ドルの潮汐』による世界の富の収穫である。アメリカに多くの富が集まったのに、なぜいまだに『ラストベルト』のような問題が存在するのだろうか?表面的には富の分配の問題であるが、その深層にあるのは、現在のアメリカがアメリカ国民のわずか1パーセントのための『人民の、人民による、人民のための政府』になってしまったからだ」と主張するのである。

トランプ政権は、カナダ、日本、オーストラリア、ヨーロッパなどの同盟国を含めて世界中を敵にまわす意味のない喧嘩を始めた。もちろん追加関税の最大の目標は中国だったが、高関税率発表と同時にアメリカ債が売られ、株安、ドル安が続いたことで関税戦争は中国に有利に傾いた。このため政権支持率の低下に加えて、中国が供給していた消費財の品不足、インフレが昂進する懸念が生まれた。そこで大急ぎで中国と妥協した。信濃毎日新聞は「米が譲歩、迫られた現実路線」「中国側には勝利ムード」という見出しで解説記事を掲載した。
アメリカから資本流出が生じたとき、金融界には中国政府筋がアメリカ債を売ったかもしれないという噂があったという。実際に売られなくても、中国は日本に次ぐアメリカ債の保有国だから、これをほのめかすだけでも債券市場はパニックになる。

楊光斌氏は、さらに中国の産業構造を誇り、これがアメリカに脅威を与えていると主張する。「今日、中国は世界で最も完全な工業化した生産システムを構築している。加えて新興市場諸国、さらには中国に代表されるグローバル・サウスの国々の集団的台頭は、先進的生産力における西側の独占を打ち破り、……世界の権力構造を、より大きな正義と合理性の方向へと変化させつつある」「アメリカをはじめとする西側諸国が、長年享受してきた独占と、経済そのものにとどまらない独占的配当を失うのではないかと、『不安な』状態」に陥っている理由もここにある」
たしかに中国は現在までのところ、日用雑貨・クリスマス用品から自動車・軍用機・潜水艦・空母・ミサイル、さらにAI半導体などほとんどの分野の産業を擁している。とくに梁文鋒氏の設立したDeepSeek社によるOpenAIと同等の性能を持つ「DeepSeek-R1」の開発などは、高水準の企業の存在を示すものである。だがよそから見れば、中国市場には生産過剰、内需の不足が存在する。

中国の昨年の対米輸出は3兆7000億元(≒5140億ドル、74兆円)だが、高関税が施行されるとなれば輸出企業の大量倒産は免れない。それを避けようとすれば、大半を国内で売りさばかなければならない。習近平主席も国内の経済成長を促すため、潜在的な消費を「全面的に実体化させる」取り組みを提唱して、消費の再活性化、国内需要の拡大、投資効率の促進が国家の最重要課題だと述べたという。
だが、中国市場は価格競争が厳しく利益率が低い。支払いの遅延や返品率の高さといった問題もある。輸出企業にとって、東南アジアやアメリカの市場よりも国内市場開拓の方が困難といわれる。それに中国の個人消費の対GDP比は、2023年に39.6 %で経済主要国の中では著しく低い。ひとびとは災害や老後・傷病に備えて財布のひもをしっかり締めているのである。習近平氏の呼びかけにもかかわらず、3兆7000億元の新市場、消費拡大は幻想に近い。

だから中共中央としては、関税交渉はできるだけ早くおわりにしたいのである。ベセント米財務長官と何立峰中国副首相の協議が、関税の「大幅引き下げ、協議は継続」になったのは「万歳三唱」という気分だっただろう。だが、これからの交渉は急がねばならない。不動産バブル破裂以来の国内経済の深刻な不振が待ったなしの状態にあるからである。

国家統計局によると、若者(16~24歳)の(農民工・学生を除く)都市部失業率は今年3月16.5%。そのうえ、この6月には大学・大学院生1200万人が卒業する。2024年は就職内定率50%以下だった。今年はどうなるかまだ結論は出ない。若者の失業は社会不安を生む。いままでこれを力で抑えてきたが限度がある。だからこそ中共中央は、対米関税交渉の結末を大量倒産、大量失業を避けられる程度にまでもっていかなければならない。論理を無視し力による恫喝を決め手とするトランプ政権相手では実に困難な仕事である。
(2025・05・18)

初出:「リベラル21」2025.5.20より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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