「ハンガリー版プーチン令」の決議が延期
Fidesz政府が国会に提出した「透明性」法案(外国からの資金流入をすべて監視し、違反したものを処罰するプーチン令)は6月10日火曜日に国会決議される予定だったが、銀行協会、ハンガリー弁護士協会などが、再検討を要望する書簡を政府に届けたため、まだFidesz内部の議論が整理されていないとの理由で、採決を遅らせることを決定した。弁護士協会は「法案の現在の形では、効果的な司法審査の可能性も、弁護士の秘 密、医療、告白(教会での)、銀行の秘密の保護に関する適切な保証がない」ことを理由に、法案の採決は好ましくないことを伝えている。 銀行協会は口座の秘匿が失われることによって、ハンガリーから資金や資本が流出する可能性を指摘している。
また、宣伝広告全国協会は、「現在の法案のままでは、広告市場の発展が阻害され、広告業界の地盤沈下を惹き起こす」と、採決の見直しを要請している。法案には、今年1月からの遡及的発効についての追加条項もあり、Fidesz 内部で議論が続いているという。 欧州委員会や欧州議会は、ハンガリーの法案の行方に関心を示しており、採決された場合には、さらにハンガリーへの制裁に動くことが予想される。
元外務大臣イャセンスキー夫妻が暴漢に襲われる
6月1日、体制転換後の MDF 政権で外務大臣を務め、第一次オルバン政権でワシントン大使、第二次オルバン政権でノルウェイ大使を務めたイャセンスキー・ゲーザ夫妻が、路上で暴漢に襲われた。イャセンスキーは1993 年にハンガリーとウクライナとの協定を結んだ当時の外務大臣(当時はMD政権)で、現在 Fidesz 政府が大キャンペーンの行っている「反ウクライナEU加盟」投票の最中、ハンマーで頭部を襲撃するという暴力行為を受けた。イャセンスキーの長男ジョルトは熱狂的なオルバン信者として知られており、こ の事件の後に、「父は長い間、サタンに仕えている」という談話を発表して、人々を驚かせている。イャセンスキーは病院からのインタヴューに、「私の怪我より残念なことは、オルバン信者がカルト化し、息子がそれに憑りつかれていることだ」と心境を吐露している。
イャセンスキーがノルウェイ大使を務めていた2014年、オルバン政権はノルウェイ政府がハンガリーに拠出したノルウェイ基金(2004-2014年総額5億300万ユーロ)にたいし、反政府勢力への資金支援に使われていると主張し、警察と税務当局をって、繰り返し強制捜査を行った。しかし、この捜査からは何も実証されず、ハンガリー政府とノルウェイ政府の関係が悪化し、残額の6割近い支援額が凍結された。この時、イャセンスキーはオルバンを説得し、関係改善に努めるように努力したが 聞き入れられず、ノルウェイ大使を辞任した。この辺りの事情は、拙著『体制転換 の政治経済社会学』(日本評論社、241-243頁)に詳しい。当時、パクシ原発拡張でプーチンと密約を結んだオルバンが、プーチンに倣って 外国からの資金流入に神経を尖らせていた。現在焦眉の課題になっている「ハンガリー版プーチン令」は、2014年のノルウェイ基金事件に始まる、オルバンの懸案事項なのである。
DK党首にドブレフ・クラーラが選出
ジュルチャーニ党首が政治の舞台から引退を表明した後、DK(Demokratikus Koalicio)の党首信任選挙が行われ、ジュルチャーニ元夫人のドブレフ・クラーラが新しい党首に選出された。奇妙なことに、政界を引退したジュルチャーニは一度も公衆の前に顔を出すことも、声明を出すこともしていない。すべてのことがドブレフ・クラーラの口から語られるだけで、政界引退についても離婚についても、本人の口から一切の釈明が行われていない。私は、ジュルチャーニは自らの意思に反して、義母のアプロー・ピロシュカと妻のクラーラから絶縁されたのではないかと考えている。彼らが住んでいた屋敷は、カーダールの側近で、社会主義労働者党政権が倒れるまで政治局員を務めていたアプロー・アンタルの邸宅である。ジュルチャーニが党首でいる限りDKは躍進できないという党内の声を、義母と妻がジュルチャーニ説得の役を引き取ったのだ。その結果、納得できないジュルチャーニが、義母と妻に三下り半を突き付けられ、家を出たのではないかだろうか。アプロー・ピロシュカは気の強い「鉄の女」として知られているが、娘のクラーラも母の気性を受け継いでいる。この二人の「鉄の女」に追い出されたのが、ジュルチャーニ引退の真相ではないだろうか。
ドブレフ・クラーラは、アプロー・ピロシュカがブルガリア・ソフィアの通商代表部に勤務していた時に知り合ったPetar Dobrevとの間に生まれた子供である。旧体制時代の通商代表部はいわば経済スパイの役割を担っており、アプロー・ピロシュカもドブレフもその任務を遂行していた。ドブレフがブルガリアの諜報部員だったという説は信ぴょう性が高い。ウィーンのケルントナー通りに事務所を構えていたハンガリー国立銀行の支店(CW Bank)は、社会主義政権時代にココム規制を免れ、西側製品を輸入するために利用されていた。アプロー・ピロシュカ(ハンガリーの電子機器会社Videotonの海外業務責任者として)も、ドブレフ・ペータ(ブルガリア共産党のダミー会社を通じて)も、この銀行に口座を開いていた。とくにブルガリアのダミー会社がこの銀行を頻繁に利用していたことが知られている。そして、体制転換が始まって間もなく、この銀行資産が中欧の共産党のダミー会社によって食い物にされた。巨額の融資を受けながら、会社を倒産させる方法で全資産が略奪されたのである。
アプロー・ピロシュカがこの略奪スキームに絡んでいたことは間違いない。さらに、ハンガリーのポシュタバンクとチェコ・コメルチニ銀行を舞台とする国際詐欺事件にも、アプロー・ピロシュカが絡んでいる。表舞台に彼女の名前は出ていないが、これも旧商務代表部やVideoton時代に知り合った関係性を利用した詐取事件である。この決済に絡み、コメルチニ銀行から巨額のお金を流出させたのは、 当時の大蔵大臣がコメルチニ銀行の決済に信任を与えたからである。この大蔵大臣こそ、アプロー・ピロシュカが Videoton に招聘した技術者であった。この辺りの事情は、前掲書『体制転換の政治経済社会学』(66-74頁に詳しい)。また、アプロー・ピロシュカとチェコ政治家との関係については、「体制転換過程の腐敗現象をどのように理解するか -中欧3国を舞台にした銀行詐取事件のからくり」
(https://www.morita-from-hungary.com/j-01/01-09/01-09-41.pdf)に詳しい。また、プーチンのハンガリー公式訪問(2006年)時に、プーチンはジュルチャーニの私邸を訪れている。アプロー・ピロシュカとプーチンは、旧諜報部員仲間として顔見知りだったことが、この訪問を実現させたのではないだろうか。そしてこの時、その後にスキャンダルとして報じられたモスクワのハンガリー通商代表部建物の売却の話が話されたのではないか。2008年に突然、この通商代表部不動産の不透明売却がモスクワでメディアに取り上げられ、それがハンガリーへ波及した。モスクワの一等地にある代表部不動産が2330万ドルでルクセンブルグのオフショア企業に売却され、その後ロシア政府に1億870万ドルで転売された。これはロシア側から持ち込まれた取引で、当然のことながら、ロシア政府首脳の承認を得た案件である。取引をインフレートさせ、そこから分け前を得る。資金の元手はロシアの国家財政である。双方の政府首脳の承認なしにはとても実現できない取引である。
国会でこの取引を追及されたハンガリー政府の説明は二転三転した。実際の取引の内情を知っているのは、ほんと一握りの政治家だったからである。ロシア側にとって、金銭額としてはそのほど大きな取引ではないが、この取引によって、プーチンもジュルチャーニも、それなりの報酬を得たはずである。2010年のFidesz政権樹立の後、この取引にかかわったハンガリーの官吏たちが逮捕・起訴されたが、その後無罪放免となった。首謀者である政治家は誰一人として責任を問われることはなかった。この事件の詳細は、前掲書『体制転換の政治経済 社会学』(118-121頁に詳しい)。DKの党首になったドブレフ・クラーラは、「左翼なくして、欧州は成り立たない」と述べ、自らが左翼勢力を代表する政治家だと強調した。しかし、欧州で左翼が苦戦しているのは、右派と同じ程度腐敗しているからだという自己認識がない。
現代はもう右左の時代ではない。2026 年ハンガリー総選挙の課題は、「右か左か」ではない。「民主主義か、独裁か」である。ドブレフ・クラーラは聡明な女性だが、その出自に制約されてピント外れのスローガンを打ち出している。ジュルチャーニと同様に、政界を引退すべきだろう。
メーサーロシュのCL観戦
このところ、Fidesz 政権下で焼け太りした実業家の贅沢三昧が話題になっている。オルバン首相は沈黙しているが、ラーザール大臣はこれらの実業家を「社会のダニ」と表現して注目を浴びた。しかし、ちょっとやそっとで、これら成金たちの行動が変わることはない。オルバンもメーサーロシュもサッカー狂いで有名で、プライヴェットジェット使 ってサッカーの試合を観戦するのが恒例になっている。成金たちの贅沢三昧がメディアで叩かれている現在、総選挙を控えた政治家は行動を慎んでいるが、実業家の方は馬耳東風である。5月30日にミュンヘンで開催されたUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦、インテル対パリサンジェルマンの試合を見るために、メーサーロシュとその仲間たちはプライヴェットジェットを使ってミュンヘンに向かった。メーサーロシュはブダウルシからフェリヘジの空港まで、20km程度の行程を豪華なヘリコプターで移動したことも話題になっている。
あらゆる公共事業を一手に引き受け、一介のガス配管業者からハンガリーの長者番付のトップになったメーサーロシュには、使い切れないほどの資産がある。だから、ちょっとした移動でも、豪華ヘリを使ってしまうのだ。ミュンヘンの宿泊ホテルは、パリサンジェルマンチームと同じホテルだった。 最近、マジャル・ピーテルがメーサーロシュの蓄財に触れたことにたいし、メーサーロシュは「第二次オルバン政権が樹立される2010年前から、私は億万長者だった」と答えている。しかし、それがまったくの虚偽であることが、各種メディから指摘されている。オルバン政権から事業発注を受ける前のメーサーロシュの会社の売上や利益はそれぞれ、数億フォリント、数千万フォリントに過ぎず、資産は10億フォリントにも達していない。ところが、15年間のFidesz政権下でため込んだ資産が1.5兆フォリントにも上る。ほぼすべてが公共事業受注から得た資産である。オルバンがメーサーロシュたちの蓄財を容認しているのは、億万長者番付にこそ顔を出していないが、メーサーロシュの資産にも匹敵するロスアトムから得た巨額の裏金があるからだ。表立っては首相職の給与しか得ていないピューリタンの振りをしながら、500ユーロの札束をポケットに突っ込んでいる俗物である。だから、自らやFidesz政権を批判するメディアが目障りでたまらない。外国から金をもらっているメディアがFidesz政権とオルバン失脚を狙っていると疑心暗鬼になり、「ハンガリー版プーチン令」で息の根を止めてやるというのが、オルバンの浅はかな考えである。(6月4日)
初出:「リベラル21」2025.6.10より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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